野田首相のカダフィの死に見る拉致解決の本気度

2011-10-22 09:47:15 | Weblog

 リビアの独裁者、カダフィが遂に斃れた。反体制派兵士によって射殺された。生かしておいて、裁判にかけ、表面的には強気を装って怒鳴ったり吠えたりするだろうが、自由の効かない囚われの身であることに変わりはなく、独裁の非道を暴く過程で本人自身に独裁者の末路の惨めさを厭という程、長い時間に亘って味わわせるべきだったという思いもするが、既にこの世にない。

 主要各国首脳がカダフィの死を受けて声明を発表している。

 キャメロン英首相「カダフィ大佐の死亡を確認した。多くのリビア人が、この凶暴な独裁者の手によって殺害されたことを忘れてはならない。リビアの人々には、今後、強く民主的な将来を築くチャンスが訪れるだろう。イギリスがこれまで果たしてきた役割を誇りに思う」(NHK NEWS WEB

 受けた苦難を記憶し、同じ道を後戻りしてはならないことを暗に警告している。

 サルコジ仏大統領「大佐の死は、40年余りに亘ってリビア国民を苦しめてきた独裁的かつ暴力的な体制からみずからを解放する闘いにおける重要な一歩だ。リビア国民にとって、団結と自由のもとでの和解という新たなページが開かれた」

 過去の記憶に基づいた過つことのない新生リビアへの期待を示している。

 EU=ヨーロッパ連合のファンロンパイ大統領とバローゾ委員長の共同声明。

 共同声明「大佐の死亡という報道はリビアの国民が長期にわたって経験してきた独裁と抑圧の時代の終えんを意味する。リビアは歴史の新たなページをめくり、民主的な将来に向けた歩みを始める。国民評議会には、すべてのリビア人による和解を進め、民主的、平和的、かつ透明性の高い政権への移行を求める」(NHK NEWS WEB

 「透明性の高い政権」とはカダフィの独裁政治を反面教師とした、「独裁と抑圧」を伴わない国民に開かれた政権、情報公開と説明責任を常に果たす政権のことであろう。

 首脳ではないが、中国報道官。

 姜瑜中国外務省報道官「リビアの歴史に新たな一ページをめくった。(スムーズな政権移行や民族の団結を促し)社会の安定や経済再建の早期実現を望む」(MSN産経

 「社会の安定や経済再建の早期実現」は最重要に必要なことではあるが、各国もリビア国民自体も求めていることで、記事の扱いからそうなっているのか、当たり前のあるべきことを当たり前に求めている印象しか受けない。

 リビアの42年を経てここに至った変遷はカダフィの独裁が発端であり、多くの国民にとって独裁の反対給付である自由の抑圧を苦しい道のりとして、そこからの解放を結末としたのである。自由の抑圧というその長い苦難と苦難からの解放に向ける視線があって然るべきだが、感じ取ることができない。

 マスコミはオバマ米大統領の声明を最も多く扱っている。いくつかの記事から取上げてみる。
 
 オバマ米大統領「リビアにとって歴史的な日となった。独裁者の暗い影は取り除かれた。リビアの人々はすべての国民を取り込み、寛容で民主的なリビアをつくる大きな責任がある。

 (リビアに対するNATO=北大西洋条約機構の軍事作戦について)1人のアメリカ兵も上陸することなく目的を達した。21世紀は各国が一体となった行動が成果を挙げることを示した」(NHK NEWS WEB

 ここでもやはりカダフィの独裁を反面教師とした、反面教師とする故にこそ新生国家建設に向けて後戻りの効かない大きな責任を負っていることの自覚を求めている。

 オバマ米大統領「専制の暗い影が取り除かれた。今日の出来事によって、鉄拳支配は終末を迎えると再び証明された。人間の尊厳を否定する指導者は成功しない。

 (評議会など反カダフィ勢力を支えたリビア市民に対して)「あなたたちが革命を勝ち取った」

 そして、〈すべての勢力が対立を超えて参加する「包括的で民主的」な国家の建設に責任を持つよう求め、暫定政府の早期樹立と自由で公正な選挙の実施を呼びかけた。〉(asahi.com)と伝えている。

 オバマ大統領の「人間の尊厳を否定する指導者は成功しない」の言葉を記事は中東やアフリカで民主化を弾圧する政権に対する警鐘だと解説しているが、カダフィを一つの例として独裁者一般を指し、警告を広く世界に発信したということであろう。

 当然、政治改革を求めてデモを繰り広げている一般市民を軍事力を以って弾圧・殺傷しているシリアのアサド大統領もそういった「指導者」の内に入るし、国民を飢餓・餓死に追いやり、言論の自由、その他の基本的人権を認めず、国民を政治的にも経済的にも抑圧している北朝鮮の独裁者金正日も、その一人に祭り上げなければならない。

 キャメロン英首相、サルコジ仏大統領、オバマ米大統領の3人の声明に共通して窺うことができる感情は独裁政治と独裁者に対する嫌悪、もしくは憎悪であろう。

 対して独裁政治と独裁者を心の底から憎む民主国家日本からの発信。

 玄葉外務大臣「リビア政府が進める新しい国造りにとって、重要な出来事だ。リビアにおける武力衝突が収束して、治安状況が一刻も早く安定するとともに、暫定政権が一体性を保持した形で早期に立ち上がるなど、本格的な復興に向けた環境が整うことを期待している。わが国の知見や技術を活用しながら、リビアの新しい国造りを支援していきたい。

 (具体的な支援の在り方について)「国民評議会側は、武力衝突で負傷した人の義手・義足などの支援を日本に求めており、当面は、医療関係で、無償資金協力の形でしっかりと対応していく。もちろん環境や治安状況が安定していけば、投資の話が出てくる可能性は十分あるだろう。現在、日本大使館の開設に向けて調査を進めている」

 藤村官房長官「リビア政府の新しい国造りにとって極めて重要な一つの通過点だと思う。日本としては、リビアでの武力衝突が収束し、治安状態が一刻も早く安定するとともに、一体性を保持した暫定政権が早期に立ち上がることなど、リビアの本格的な復興に向けて環境が整うことを期待したい。今後も、国際社会と協力しながら、すべてのリビア人が参加する新しいリビアの国造りに向けた取り組みを支援していきたい」(NHK NEWS WEB

 二人の発言は姜瑜中国外務省報道官の発言に似ている。国家建設への視点からのみリビア問題を取り上げている。自由の抑圧を長いこと経てきた国民の、経てきたこととそこからの解放に些かも目を向けていない。

 国家の歴史は国民一人ひとりが自らの歴史として抱える。リビア国民の場合、それぞれの思考や感情が、少なくとも当面は独裁、あるいは自由の抑圧という歴史の影響を受けることになる。日本が独裁の歴史に直接的に関与しなかったとしても、歴史に対する理解を欠いたなら、信頼関係は満足に築くことはできないだろう。

 いわばあって然るべき視点だったが、持つことができなかった。

 日本の首脳である野田首相の声明を探したが、今のところお目にかかることができないでいる。次の記事がある。

 《【カダフィ大佐死亡】野田首相、コメントせず》MSN産経/2011.10.21 23:50)

 昨日(2011年9月21日)朝、首相官邸への出邸時に記者団から質問を受け

 記者団「リビアのカダフィ大佐が死亡しましたが、一言お願いします」

 野田首相「・・・」

 〈何も答えずに立ち去った。〉と記事は書いている。

 記事冒頭の解説。〈大産油国である同国の情勢は安全保障や世界経済に影響を与えるため、米英仏など主要国は首脳の談話を発表しており、日本政府の感度の鈍さが露呈した。〉

 欧米の声明は「大産油国である同国の情勢は安全保障や世界経済に影響を与えるため」だけの発信ではないだろう。日本や中国の声明を除いて、何よりも独裁政治の終焉、リビア国民の独裁政治からの解放、自由の獲得を祝った声明であったはずだ。

 但し、「日本政府の感度の鈍さが露呈した」は独裁政治や自由の抑圧に対する反応という点では妥当な批判と言えるはずだ。

 記事結びの解説。〈原則として毎日、首相が記者団の質問に答える「ぶら下がり取材」を拒否する首相は、記者から声をかけられても無視することがほとんど。この日は首相談話も発表せず、オバマ米大統領がホワイトハウスで「圧政の暗い影は取り除かれた」と声明を読み上げたのとは対照的だった。〉――

 野田首相はオバマ大統領が「人間の尊厳を否定する指導者は成功しない」と他の独裁者とも結び付けて警告を発したようにカダフィの末路を金正日と結びつけていると思わせる趣旨の声明を欧米の首脳に遅れることなく直ちに発信すべきではなかったろうか。

 独裁政治や自由の抑圧を激しく嫌悪する気持を当たり前の感情として持っていたなら、そうするだろうということだけではなく、金正日によって日本人が北朝鮮に拉致され、囚われの身となっているという特殊な事情を抱えているからである。

 拉致首謀者の金正日と金正日擁護の立場に立つその一族の打倒こそが拉致被害者解放のより早期な解決のキッカケとなり得る可能性を孕むからだ。

 だが、野田首相はカダフィという独裁者の死、その末路を好機として金正日という独裁者の存在と結びつけるどのような情報発信も行わなかった。

 ここから窺うことのできる野田首相の姿勢は拉致解決の本気度である。


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no will (noga)
2011-10-22 20:54:28
待ちの政治では、迅速な対応はできない。停滞気味である。

現実の内容は、「世の中は、、、、、」の内容であり、理想の内容は、「あるべき姿」の内容である。これは非現実である。
日本語には時制がなく、日本人は現実 (現在) と非現実 (過去・未来) の世界を独立させて並行して言い表すことが難しい。
非現実 (理想) に向かうための現実対応策が語れない。
現実から理想へと一足飛びに内容が飛ぶ。言霊の効果のようなものか。その過程が明確にされない。

時制を考慮することなく自分の思った内容を述べようとすると、現実肯定主義派と空理空論 (曲学阿世) 派のどちらかに分かれることになる。
これでは政治音痴は止まらない。
両者は話が合わない状態に陥り、議論ができない。そこで、悪い意味での数合わせで、民主的に、物事を決するしかないことを日本人は心得ている。
だから、大連立の構想には意味があると考えられているのかもしれない。

守旧派の世界は理想的ではないが、過不足なく成り立っている。革新派の世界は穴だらけで成り立たないことが多い。
安心と不信の背比べである。だから、政治家は静観が多く、意思決定には手間を取る。
静観には現在時制を働かせるだけで十分であるが、意思決定に至るには意思(未来時制の内容)の制作が必要になる。
意思の制作に未来時制が必要であるということは、自分が意思を作って示すことも他人から意思を受け取ることも難しいということになる。
つまり、社会全体が意思疎通を欠いた状態のままでとどまっているということである。
それで、勝手な解釈に近い以心伝心が貴重なものと考えられている。

時代に取り残されるのではないかという憂いが常に社会に漂っている。
だが、理想もなければ、それに向かって踏み出す力もない。
筋道を明らかにされることのない励みの要請には閉塞感を伴う。玉砕戦法のようなものか。
だから、我々は耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ必要に迫られることになる。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


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