菅仮免の沖縄全戦没者追悼式の挨拶と対応し合った記者会見発言の責任の程度

2011-06-24 10:55:16 | Weblog



 沖縄戦の組織的戦闘が終結した1945年6月23日から66年を迎えた昨2011年6月23日、「沖縄慰霊の日」を迎え、沖縄本島南部の糸満市で正午前から沖縄県主催の戦没者追悼式が行われた。

 人間性豊かな思い遣り深い菅仮免が出席、挨拶。首相官邸HPから全文を採録してみる。

 沖縄全戦没者追悼式 総理あいさつ
 
 平成二十三年 沖縄全戦没者追悼式が挙行されるに当たり、戦没者の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。

先の大戦において、ここ沖縄の地は、国内最大規模の地上戦の場となり、苛烈な戦闘により多くの尊い命が失われました。今、改めて、県民の筆舌に尽くしがたい苦難に思いを致すとき、胸塞がる思いを禁じ得ません。さらに、東日本大震災と原子力発電所の事故という未曽有の困難の中で、「慰霊の日」を迎えることに、私は特別な感慨を覚えます。私たちは二度と悲惨な戦争を経験してはならないことは言うまでもありません。いつの時代も、人間の尊厳と生命を守ることこそ政治の任務であることをこの場で心に刻んでいます。

本年は、終戦から六十六年となりました。戦後、沖縄は、大きな悲しみを乗り越えて立ち上がり、力強い発展を遂げてきました。しかしながら、今なお、沖縄には米軍基地が集中し、県民の皆様に大きな御負担をおかけしております。本土復帰から三十九年が過ぎたにもかかわらず、沖縄だけ負担軽減が遅れていることは慙愧に堪えません。今後、米軍基地に関わる沖縄の負担軽減と危険性の除去への取組に最大限努力いたします。

沖縄は、独自の文化を育んできた、我が国が誇るべき地域です。豊かな自然に恵まれ、また、我が国で最も高い出生率により人口増加が続き、成長著しいアジアと近接するという地理的な優位性を有するなど、更なる飛躍の可能性を大いに備えています。

本年度は、十か年の沖縄振興計画の最終年に当たります。政府としては、現行の沖縄振興計画の総仕上げをしっかり行ってまいります。また、沖縄の優位性や潜在力を最大限に生かし、沖縄の自立的発展のみならず、我が国及びアジア太平洋地域の発展に寄与しうる新たな沖縄振興策に取り組んでまいりたいと思います。一括交付金、県が主体となる計画への支援、跡地利用に関する法律の制定、出先機関の見直しなど、様々な制度について、地元の方々の声に耳を傾けながら、これを実現してまいります。

今日の日本の平和と繁栄は、戦没者の尊い犠牲の上に築かれています。我が国は、二度と国民を戦争という「不幸」に陥れないという不戦の誓いを堅持し、国際社会の一員として国際平和の実現を不断に追求してまいります。

この地に眠る御霊の御冥福と、御遺族の方々の御多幸を心からお祈り申し上げ、私の挨拶といたします。

平成二十三年六月二十三日  内閣総理大臣 菅 直人

 「先の大戦において、ここ沖縄の地は、国内最大規模の地上戦の場となり、苛烈な戦闘により多くの尊い命が失われた」

 「今、改めて、県民の筆舌に尽くしがたい苦難に思いを致すとき、胸塞がる思いを禁じ得ない」

 「私たちは二度と悲惨な戦争を経験してはならないことは言うまでもない」

 「いつの時代も、人間の尊厳と生命を守ることこそ政治の任務であることをこの場で心に刻んでいる」

 「今なお、沖縄には米軍基地が集中し、県民の皆様に大きな御負担をおかけしている」

 「沖縄だけ負担軽減が遅れていることは慙愧に堪えない」・・・・・

 先の沖縄戦に於ける沖縄県民に対する筆舌に尽し難い犠牲に始まって、戦後の今日になっても基地負担という形で一貫して沖縄県民には多大な犠牲を強いてきた。

 ここで既に戦前から今日に至るまで沖縄県民が持つべき人間の尊厳を失わせ、あるいは奪い、人間として守るべき生命を損なわせている。

 なぜなら「生命を守る」とは単に物理的に生きている状態を保つことを言うのではなく、人間の尊厳を十全に発揮できる状態で物理的にも生きていくことができるように保障することを言うはずだからだ。

 だから、政治の任務として国民の生命を守ると言うとき、人間の尊厳を守ることと等価値的に並立させているのであって、両者を等しく保障できて初めて政治の任務を果たしていると言える。

 だが、戦争で沖縄県民が持つべき人間の尊厳を奪ったばかりか、敗戦から今日まで66年もの間、基地の負担を過大に強いることで、その代償として人間の尊厳を奪い続けているにも関わらず、「いつの時代も、人間の尊厳と生命を守ることこそ政治の任務であることをこの場で心に刻んでいる」と実態と矛盾したことを言う。

 「沖縄だけ負担軽減が遅れている」と既に果たしていてもいい政治の責任を66年間も果たさずに放置して沖縄県民の人間の尊厳を奪い続けてきたその総量に対して「慙愧に堪えない」という言葉で、少なくとも現時点に於いては政治の責任に代えている。

 この消極性、政治の不作為、あるいは沖縄に対する無責任・誠意のなさは特に普天間基地の移設を「国外、最低でも県外」と負担軽減を打ち出したのは民主党政権であり、菅仮免にしても野党時代、「沖縄に米海兵隊は要らない。米本土に帰ってもらう」と最大限の負担軽減を確約している手前、民主党にも菅仮免にも許されない消極性であり、政治の不作為であり、あるいは沖縄に対する無責任・誠意のなさであろう。

 沖縄に米基地が集中して過重な負担を強いていることが沖縄県民の人間の尊厳を奪っている以上、沖縄県民の尊厳回復は基地からの解放を措いて他にないはずだが、「人間の尊厳と生命を守ることこそ政治の任務である」と言っていることと矛盾する「今なお、沖縄には米軍基地が集中し、県民の皆様に大きな御負担をおかけしている」人間の尊厳を壊したままの状況となっている。

 当然、米軍基地からの解放、真の意味での負担軽減は政治の任務でありながら、実質的には沖縄県民の生命を守っていることにはならない。

 慚愧に堪えないだ、心に刻んでいるだ、尊い命だと尤もらしげに言葉を連ねてはいるが、所詮口先だけで並べ立てた、菅仮免の人間性・責任意識が反映した奇麗事の数々に過ぎない。

 菅仮免は式典出席後、記者会見を行っている。いち早く時事ドットコムが報道していたが、その発言にも菅仮免の責任感の程度を見る気がした。同じ人間が口にするのだから、当然と言えば当然の責任の程度ということなのだろう。

 ただ、記事が伝えているとおりの言葉を使ったのかどうか動画を捜して確かめようとしたが、見つからなかった。昨夜の7時からのNHKのニュースでも途中までしか発言を伝えていない。NHKのウエブ記事の動画では普天間基地に関する発言は省略してあった。

 鳩山前首相が県外から県内移設へと迷走していた頃はマスコミの関心も高く、詳しく報道していたが、「慰霊の日」で訪れながら、基地問題よりも菅仮免の続投に重点を置いた報道姿勢となっている。

 《沖縄での菅首相発言》時事ドットコム/2011/06/23-13:49)
 
 記者「米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)移設問題で、なぜ県外移設は無理なのか」

 菅仮免「沖縄の皆さんが、県外あるいは国外移転を望んでいることはよく理解している。そうしたことを含めていろいろ検討もしてきたが大変そのことが難しい状況に、あるということで、何とか危険性を除去し、固定化を避けるため、努力しなければいけない。これからも沖縄の皆さんの声を聞きながらそうした方向で取り組んでいきたい」

 記者「延長国会で成し遂げたいことは何か」

 菅仮免「私がやらなければいけない課題は(震災の)復旧・復興、そして原子力事故の収束。それに向けて全力を挙げ、私自身、燃え尽きる覚悟でこのことに取り組んでいきたいと考えている」

 これだけの発言で記事は成り立っているに過ぎないが、大概の記事は後半の発言を重要視して取上げていた。

 責任感の程度を見た発言箇所とは蛍光ペンをつけておいた「あるということで、何とか」という言葉遣いである。

 昨夜の「NHK」の7時のニュースから採録してみる。

 菅仮免「県外、あるいは国外、イ…移設を望んでおられるということは、よく理解をいたしております。検討オーも、この間、したわけですけども、おー、大変そのことが、あー…、難しい状況にあると」

 「難しい状況にあると」で音声を途切らさせて、アナウンサーの解説する声が続いた。

 だが、「難しい状況でした」と言い切ったわけではない。「難しい状況にあると」と「と」をつけていることからすると、「時事ドットコム」が書いている「あるということで」は菅仮免の発言を語尾の敬語は抜きにしたとしても、そのまま伝えたと見ることができる。

 県外あるいは国外移転を「いろいろ検討もしてきたが大変そのことが難しい状況に、あるということで」の言葉遣いは第三者の報告を伝聞形式で伝える表現であって、当然、「難しい状況」は菅仮免自身の判断ではなく、第三者の判断をそのまま自らの判断としたということでなければならない。

 逆に「難しい状況でした」と言い切った場合、そこに菅仮免自身の直接的な関与を見ることができるが、そうは言っていない。

 もしも菅仮免が、勿論第三者に指示を出してのことだろうが、県外あるいは国外移転実現を図るべく主体的・積極的にあれこれと熱心に指示を出す努力をしていたなら、「難しい状況に、あるということで」といった伝聞形式を取ることはあるまい。

 当然、「いろいろ検討もしてきたが大変そのことが難しい状況に、あるということで」の発言には菅仮免自身の努力の痕跡を窺うことはできない。

 また、うるさいことを言うとするなら、「何とか危険性を除去し、固定化を避けるため、努力しなければいけない」の「何とか」にしても、「何としても」、あるいは「何としてでも」の最大級に対する比較級の「何とか」であって、「何としても」や「何としてでも」から比べた場合、強い意志を欠いた言葉遣いとなっている。

 菅仮免は何も気づかずに何気なく使った言葉だろうが、普天間の国外、あるいは県外移設は難しい状況だとする判断も他人任せ、負担軽減も「何としても」、あるいは「何としてでも」やり遂げるという強い意志を示すことができずに、「何とか」と言うだけの責任で済ませている。

 自ずと責任意識の程度が現れているというだけではなく、一見立派な言葉を並べ立てた沖縄全戦没者追悼式の挨拶と対応しあった記者会見発言の責任の程度だと言える。

 勿論、どこでどのような発言をしようと、その人間の責任の程度が自ずと現れることになる。首相職が未だ本免許に至らない仮免だと言うだけではなく、人間自体もその人間性や責任意識から照らし合わせると本免許には至らない仮免人間にできているようだ。


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