野党の自公が参院で問責決議を受けた仙谷官房長官と馬淵国交相の辞任がなければ国会審議に応じることはできないとしている姿勢を仙谷官房長官が1月5日(2011年)午前の記者会見で激しく批判している。《官房長官 野党側の姿勢を批判》(NHK/2011年1月5日 12時5分)
仙谷官房長官「日本の今の状況では、政策や制度の議論をそっちのけにして敵だ味方だと、スケジュール闘争や審議拒否で政治を動かしていくという幻想を持つべきではない」
かつて一度もそういった「政策議論をそっちのけにして敵だ味方だと、スケジュール闘争、審議拒否」を行使したことのない政党に所属する人間が言っている主張に聞こえる。だが、歴史は確実に繰返している。
この仙谷官房長官の記者会見の前日、1月4日の年頭記者会見で菅首相は過去の「スケジュール闘争、審議拒否」を次のように口先だけで反省している。
菅首相「今、振り返ってみますと、(野党時代)政局中心になり過ぎて、必ずしもそうした政策的な議論が十分でなかった場面も党としてあるいは私としてあったのかなと思っております」
「あったのかな」ではなく、事実“あった”のであり、“存在”したのである。「あったのかな」の「かな」は不確実な可能性、“かもしれない”を表す言葉で、そこに誤魔化しがある。誤魔化してばかりいる菅首相としたら、極々自然に出てきた誤魔化しかもしれないが、口先だけの反省だから、「かな」と内心で首を傾げながら言うことになったのだろう。
国民の審判・選択を前提として政権を獲り、自分たちの政治を行うことを野党の存在意義としている以上、ときには政局中心の行動であっても私自身は反対しないが、野党時代の自分たちが政局中心の動きをしていながら、与党になると野党の政局中心の行動を批判するのは自己都合に過ぎる。
菅首相にしても仙谷官房長官にしてもご都合主義なばかりの人間となっている。
仙谷官房長官「審議拒否で解散に追い込もうというのは、すべての国民の望むところではない。菅内閣は、少なくとも、国会の二院制の中で参議院よりも優越している衆議院からは圧倒的に信任されている。私と馬淵大臣に対する参議院での問責決議を盾に、国会全体の審議に応じないという、党利党略や政略を自己目的化したような戦術をとれば、国民の国会に対する期待と信頼を失ってしまう」
仙谷官房長官は「菅内閣は、少なくとも、国会の二院制の中で参議院よりも優越している衆議院からは圧倒的に信任されている」から、いくら参議院で野党が多数を占めていたとしても、そこでの問責決議を以ってして審議拒否することは不当で、国民の期待と信頼を失うとしている。
だが、2007年7月の参議院選挙では野党民主党は大勝、与党自民党歴史的大敗で参議院第一党となった。自民党が衆議院の優位性を言い立てたとき、民主党は参議院の結果こそ直近の民意だと主張、その主張を梃子にして政権奪取の攻勢をかけ、ときには審議拒否等を交えた政局中心の行動で自公政権を追いつめていった。
2008年1月の与党多数の衆院を通過させたテロ特措法案を参議院は野党多数で否決、衆議院が再議決して成立させたが、野党民主党は直近の民意は参議院にあるとして、その否決の正当性を主張、与党の再議決を不当だと批判している。
だが、自民党は民主党の参議院“直近の民意論”に対して衆議院の優位性を楯に譲らなかった。「衆議院は自民党支持が民意」とまで言っている。あるいは、「参議院も民意、衆議院も民意」(伊吹文明)だと言って、同じ民意としながら、衆議院の優位性を背景に衆議院の民意を上に置いた。
それぞれが我が党に民意ありの自己正当性を訴えたのだが、民主党側は、当然と言えば当然の理屈だが、自分たちで一度は直近の選挙結果、そこでの国民の審判を以って“直近の民意”だと自らの原則・ルールとしたのである。
当然のこと、直近の選挙で民意の選択を受けて参院選で敗北したからと言って、一度原則・ルールとしたことを無視していい訳はない。参議院で多数を握っている間の原則・ルールでしかなかったことになり、ご都合主義な無節操・無節度の謗りを受けることになる。
一度は自分たちの原則・ルールとした“直近の民意論”に準じるとしたら、仙谷官房長官の「国会の二院制の中で参議院よりも優越している」の主張は破綻し、故なき主張となる。
だが、仙谷官房長官はこの事実を無視し、かつての自民党と同じ姿を取って衆議院の優位性を大上段に掲げ、かつての与党自民党が野党民主党を批判したように、与党民主党が野党自民党、公明党を批判する歴史を繰返している。あまりにもご都合主義に過ぎないのではないだろうか。
また、菅内閣は「衆議院からは圧倒的に信任されている」にしても、当初の信任は鳩山前内閣に対するものであって、その信任を受けた現在の民主党の議席数であり、現在の菅内閣は世論調査からすると、参議院選挙での直近の民意を反映して「圧倒的に信任されている」どころか、圧倒的な不信任の状況にある。
とすると、やはり直近の選挙に現れた民意こそが“直近の民意”と言うことができる。
仙谷官房長官のご都合主義な発言は他にも例に挙げることができる。《2011年初閣議 菅首相の民主・小沢元代表に対する強硬姿勢を仙谷官房長官が支持》(FNN/10/01/05 11:46)
仙谷官房長官(内閣改造について)「予算を通すために、全民主党議員がエネルギーを注ぐべきだ。首相がじっくりと国会開会前にお考えになると思っている」
「予算を通すために、全民主党議員がエネルギーを注ぐべきだ」と言っているが、党を二分したのは仙谷・前原連合主導の、菅首相引きずられの、いわゆる「脱小沢」の動きであり、党と内閣の主要人事からの小沢派排除である。挙党態勢を壊して党を二分しておきながら、「全民主党議員がエネルギーを注ぐべきだ」と挙党態勢を言う矛盾に気づかない鈍感さ、ご都合主義は見事である。
東大出の元豪腕弁護士だか何だか知らないが、合理的判断に立つのではなく、クロをシロと言いくるめるような自己都合優先一辺倒のご都合主義がこの男の正体ではないだろうか。果して閣僚としての資格があるのだろうか。
参考までに――
《自民党幹事長・伊吹文明の合理的判断能力なき自己都合な「民意論」-『ニッポン情報解読』by手代木恕之》
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