菅首相の「発信力」の正体に気づいていないことが既に首相としての資格がないことの証明となっている

2011-01-08 09:56:57 | Weblog


 菅首相が新しい年を迎えたせいか、やけに張り切っている。5日(2011年1月)にはテレビ朝日「報道ステーション」に出演し、昨7日は「プレスクラブ - ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局」に出演した。この張りきりが自らのスタミナを弁えてペース配分することができずにスタートから闇雲に走り出してすぐさま息を切らしてペースダウンし、レース開始早々に脱落してしまう痩せ馬の先っ走りで終わるのか終わらないのか、多くは前者と見ているに違いない。

 いくら張り切ったとしても、国民の多くは菅首相の人となりを既に承知しているからだ。もし菅首相が国民の多くを惹きつける政治家としての魅力ある人気を備えていたなら、その人気は菅首相自身の人格的且つ政治的発信力の成果・賜物なのだから、両機会とも同じ発信力を発揮する期待から、人気お笑い芸人や人気テレビタレントに劣らない多くの視聴者を掻き集めたに違いない。当然、目には見えないがテレビやパソコンにかじりついた多くの国民の存在を確信して、両機会とも菅首相の独壇場となったはずだ。何か言葉を発するたびに国民がパチパチと手を叩く姿さえ想像できたに違いない。

 だが、そうはなっていなかったようだ。《菅首相ナマ出演でテレ朝「報ステ」撃沈!視聴率急低下》ZAKZAK/2011.01.07)が題名で既に菅首相の人気――いわば国民の受け止め・評価がどの程度か教えている。

 「報道ステーション」前4週平均視聴率14・7%に対して菅首相出演は平均視聴率6・9%の半分以下で、〈テレ朝関係者は「菅首相が画面に登場した瞬間、ガクッと視聴率が落ちた」と話しており、改めて不人気ぶりが裏付けられた格好だ。〉と記事は国民の受け止め・評価を明快端的に解説している。一刀両断に切り捨てたとも表現できる。

 菅首相のこの新年早々のメディア登場は自身の墜落寸前の支持率低空飛行が発信力不足から来ていると勘違いしていることからの支持率挽回を狙った動きなのは誰の目にも明らかなのだが、少なくとも「報道ステーション」出演に限っては思惑通りの成果を獲得できなかった。

 既に一度ブログに書いたが、自身の支持率低迷と発信力について昨年12月4日に千葉県の農業組合法人の施設等を視察したとき、次のように話している。

 菅首相「(就任以来)なかなかにぎやかな6か月だったが、私としては、かなりいろいろなことが前に進んだと考えている。日本とアメリカの間でいわゆるオープンスカイ協定が結ばれたし、インドやペルーとの間でEPA=経済連携協定の締結で合意できた。さらには、ベトナムでの原子力発電所の建設を受注し、レアアースの共同開発も合意した。待機児童ゼロに向けた取り組みもかなりのことが進んでいると思う」

 菅首相「ただ、現在進んでいることや、進める準備をしていることを国民の皆さんに伝える発信力が足りなかったかなと考えている。『もう少し肉声で語れ』などといろいろと言われているので、今後は、いろいろな機会に国民の皆さんに積極的に私の考え方を伝えていきたい」(以上NHK記事

 私の政治は「かなりいろいろなことが前に進んだと考えている」が、その進み具合に反した低支持率はおかしい。その原因は「国民の皆さんに伝える発信力が足りなかった」ことにあると言っている。

 ブログに、〈だが、首相の発信を受けた国民の首相に対する現在の評価は内閣支持率で30%を切っている。それは発信力が単に国民の目に見える場所に立って目に見える形で発言することではなく、政策や諸問題に対する的確・迅速な対応こそが有効・有力な発信力となり得るからであって、的確・迅速な対応が全般的に国民の目に届いていないことの反映値としてある現在の内閣支持率であるはずである。

 特に国民は尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件での領土問題とそれ以後の対中外交姿勢、さらにメドベージェフロシア大統領の国後島訪問に端を発した対ロ外交姿勢に関して的確・迅速な対応を自らの発信力とし得なかったことが響いた世論調査の結果値であろう。〉と書いたが、菅首相が進行していると挙げた「オープンスカイ協定」、「インドやペルーとの間でEPA=経済連携協定の締結合意」、「ベトナムでの原子力発電所建設受注とレアアース共同開発合意」、「待機児童ゼロに向けた取り組み」等は菅首相自身の人格的且つ政治的発信力は直接的には殆んど関係しない政策であって、ブログに例として挙げた閣諸島沖の中国漁船衝突事件とそのことに関連した対中外交、さらにメドベージェフ大統領国後島訪問に対する姿勢こそが人格的且つ政治的発信力を直接的に発揮することになる政治行為であり、そのような発信を国民が受信し、判断した評価が支持率となって現れる国民世論なのだから、菅首相自身の人格的且つ政治的発信力そのものを改めないことには支持率は回復は期待できないことになる。

 何度でも繰返している端的な例を挙げて説明すると、野党時代に沖縄には米軍海兵隊は要らない、アメリカ本土に帰ってもらうと言っていながら、首相になると国の安全保障上、海兵隊は沖縄に必要だと言い換える無節操・不誠実な、菅首相が言っている「有言実行内閣」と言っている言葉を借りるなら、有言不実行な態度こそが菅首相の人格的且つ政治的発信力となっているということであろう。

 参院選大敗の原因となった消費税発言にしても、与党でありながら、自身の立場を忘れて増税率を具体的な根拠と将来的な見通しを挙げて説明するのではなく、そういった懇切丁寧な説明は一切なしに自民党の10%を参考にするとした安易な態度が菅首相の人格的且つ政治的発信力となって現れた。

 そしてその後選挙戦中に年収別増税分還付方式を打ち出したはいいが、遊説の場所場所で言う年収が異なる人格的且つ政治的発信が国民にその発信力を菅首相自身の人格と共に疑わせた。

 にも関わらず、問題点がどこにあるのか理解できずにインターネットを含めたマスメディアに頻繁に登場して政策や行動を語れば発信力が増し、理解可能な言葉となって国民に伝わると勘違いしている。市原悦子の家政婦以上に国民は菅首相の人格的且つ政治的発信を見ているのであり、そのような菅首相の人格的且つ政治的発信力から伝わるものがあるとするなら、既に世論調査に現れている否定的評価、あるいは否定的判断のみであろう。

 要は発信力とはテレビ番組やインターネット動画に出演して言葉を単に発信することではなく、言葉が基本的には自身の人格や思想、あるいは創造性の表現手段となっている関係から、言葉以前に誠実さや人間性等の人格や優れた政治的な思想や優れた政策的な創造性を自らの血肉として持っているかどうかが問題となる能力を言うはずである。血肉としていたなら、自然と言葉に現れて、優れた人格的且つ政治的発信力となるということである。
 
 この関係からして菅首相に発信力がないと言うことは、菅首相が特に見るべき人格や思想、創造性を自らの血肉としていないためにどう発言しようと優れた人格的且つ政治的発信としての表現ができない、受信する国民の側から言うと、人格や思想、創造性を感じ取ることができないということになる。

 その例を「プレスクラブ - ビデオニュース・ドットコム」の動画出演を扱ったインターネット記事から取り上げてみる。《首相、衆院選公約の見直し表明 「全部達成は困難」》47NEWS/2011/01/07 21:45 【共同通信】)

 菅首相(マニフェストについて)「パーフェクトに全部できるかというと、なかなか難しい。どこまでやれるか、もう一度見直さないといけない」

 修正の結果を国民に示す考えを明言したと記事は書いている。

 だが、マニフェストとは政権公約である。民主党の政策の優位性を数々書き連ねた政権公約を掲げて選挙を戦い、国民はその選挙公約に信を置いて投票し、政権選択を経て国民との契約となった。国民がマニフェスト、政権公約を政権選択の基準としている以上、それを修正すると言うなら、修正したマニフェスト、政権公約を改めて掲げて政権選択を国民に問うのが国民に対する誠実な態度というものであろう。

 そのくらいの厳しさがなければ、一国の政治を担うことはできないはずだ。

 だが、実現不可能だからと言って修正は言うものの、改めて民意は問うことはせずに政権獲得の正統性を得ないままに政権に居座る。いわばこの発言のどこにも菅首相の誠意ある人格や思想、創造性を感じることはできない。自己都合なだけの空虚な人格的且つ政治的発信力となっているということである。

 もう一つの例。《「気持ちが萎えるんです」 菅首相が見つけた「総理が辞める理由」》ガジェット通信/2011.01.07 22:38:19)  

 司会者神保哲生氏(ビデオニュース・ドットコム代表)「総理というのは、菅さんが総理になる前に思っていたことと比べてどうですか? 『総理というのは思ったよりこうだった』というのを一言でいうと何になりますか?」

 〈菅首相は11秒間、上を向いて沈黙。そのあと、ようやくこう答えたのだ。〉

 菅首相「過去の総理には小泉さんのように長くやった人と比較的短くて辞めた人がいますが、その辞める原因というのが、なんとなくわかるんですよね」

 神保哲生氏「辞める原因というのは?」

 菅首相「俺はこんなにやっているのになんで分かってくれないんだ?俺はこんなに頑張っているのになんで評価されないんだと、いろんな思いが伝らないことで、どこかで『これ以上やってもダメだ』と気持ちが萎えるんです」

 記事解説。〈もしかしたら、今の菅首相は支持率の低下で「気持ちが萎えている」状態なのかもしれない。そう思わせる発言だったが、続いて出たのは力強い言葉だった。〉

  菅首相「私のような”変わり種”がなった総理大臣ですから、徹底的にやってみようと思う。つまり、自分の気持ちが萎えることで『やーめた』ということはしない」

  締め括りの解説。(「『やーめた』ということはしない」という)〈この言葉が本心から出たものなのか、単なる虚勢にすぎないのか。その解が分かるのは、菅氏が首相を辞めるとき、ということになりそうだ。(亀松 太郎)〉・・・・

 「俺はこんなにやっているのになんで分かってくれないんだ?俺はこんなに頑張っているのになんで評価されないんだ」という思いに駆られる経験をしたからこそ言える言葉であり、確かに気持を萎えさせるに十分な内閣低支持率であり、簡単には各政策を前進させてくれないねじれ国会ではある。

 だが、元はすべて自分が招いた場面である。ねじれ国会をつくることになった参院選敗北の主たる原因の消費税発言にしても、国会で追求されることになった、過去の言動と異なる沖縄基地に関する姿勢にしても、尖閣事件に端を発した対中外交姿勢、そのことと関係した中国首脳との会談姿勢にしても、ロシア大統領国後島訪問以後の対ソ外交と日ロ首脳会談に於ける姿勢にしてもすべて自らの人格的且つ政治的発信力が成さしめた、国民の多くがノーと言うこととなった成果なのである。

 自分が作り出した成果、身から出たサビだと理解することもできずに、「俺はこんなにやっているのになんで分かってくれないんだ?俺はこんなに頑張っているのになんで評価されないんだ」とその不当性を言い立てる。

 劣っているとしか言いようのない、このような理解能力自体が既に菅首相の人格的且つ政治的発信力として国民にマイナスの評価を与えることとなっているが、そのことにも気づいていない。

 先ずはメディアに頻繁に露出して発言をすれば発信力が増すと考える勘違いな程度の低い理解能力がそもそもからの問題であり、この種の理解能力自体が既に菅首相の人格的且つ政治的発信力の程度を証明しているばかりか、一国の首相にふさわしい発信力を備えていないことによって首相としての資格を失っている証明ともなっていると断言できる。

 参考までに――

 《首相が言う「発信力が足りなかった」は偉大にして愚かな勘違い- 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》



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