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日本の首相菅義偉は北朝鮮の弾道ミサイル発射当日に首相官邸エントランスホールに集めた記者たちに対してテーブルに置いた原稿に目を落とし、落としして「先程、北朝鮮が弾道ミサイル2発、発射いたしました。昨年の3月29日以来、約1年ぶりのミサイル発射は、我が国と地域の平和・安全を脅かすものであります。また、国連決議違反でもあります。厳重に抗議し、強く非難いたします」と北朝鮮には一切通じない抗議と非難を表明した。
アメリカ大統領バイデンも同日、ホワイトハウスでの記者会見で、「発射されたミサイルは国連安全保障理事会の決議1718号に違反する。同盟国や友好国と協議し、北朝鮮が事態をエスカレートさせることを選べば、相応の対応をする。外交を通じて対応する用意もあるが、非核化を最終目標にしたものでなければならない」(NHK NEWS WEB)とあくまでも非核化オンリーを求める姿勢を強調した。
果たして北朝鮮に通用するのか。
対して北朝鮮は3月27日、国営メディアである朝鮮中央通信がミサイル発射に立ち会った金正恩側近の朝鮮労働党のリ・ビョンチョル書記の談話を発表したと2021年3月27日付NHK NEWS WEBが伝えた。
「発射は主権国家としての自衛権に基づいた行動であり、米韓合同軍事演習に対抗するための措置である。国連安保理決議違反だとするバイデンの発言は北朝鮮の自衛権に対する露骨な侵害で挑発だ。バイデン政権は始めから間違っている。我々は自分たちがすべきことを分かっており、継続して圧倒的な軍事力をつくっていく」
言っている米韓合同軍事演習は米バイデン政権発足後初めてとなるもので、2021年3月8日から18日までの11日間行われたという。
要するに北朝鮮は米、日、世界の抗議と非難を他処にミサイル・核開発の継続を高らかに宣言した。北朝鮮の金正恩が絶対使命としていることは実質的には北朝鮮国家の安全保障ではなく、父子三代に亘る北朝鮮独裁国家の安全保障であって、ミサイル・核開発の放棄及びその成果物の放棄は自らのに絶対使命と反して金正恩独裁体制を守るどのような安全保障にもならないからである。いわば核・ミサイルこそが金正恩独裁体制を死守できるとしている。
この国連決議違反の北朝鮮の弾道ミサイル発射に対する経済制裁には中国もロシアも加わって経済制裁を科してきたが、依然としてミサイル開発・核開発に巨額の国家予算を注いでいる。北朝鮮の中国に頼った経済はコロナ対策の国境封鎖で中国との貿易総額が前年比80%減だと報じられているが、あくまでも表に現れた数字に過ぎないことが他の報道によって明らかになる。
北朝鮮が2020年1月から9月までの間に不正輸入した石油精製品の量は国連安保理の制裁決議が定める年間の輸入上限のおよそ9倍にのぼる可能性があると指摘する報告書を国連安全保障理事会の専門家パネルが纏めたと2021年2月15日付の「NHK NEWS WEB」が報じている。
同じ「NHK NEWS WEB」が2021年2月10日付で、北朝鮮がサイバー攻撃によって2020年までの2年間で3億ドル以上を不正に入手、核とミサイル開発に充てている疑いがあるとする報告書を同じく国連安全保障理事会の専門家パネルが纏めたと報じている。
これらが国連の対北朝鮮経済制裁の抜け穴となっているということになる。
2017年1月20日に発足したトランプ政権は大統領選挙戦期間中から中国との貿易不均衡問題を取り上げ、大統領就任後、中国製品に対する追加関税措置と中国による報復関税措置の応酬がエスカレートしていって、いわゆる米中貿易戦争へと発展していった。このような状況が中国に北朝鮮をなお一層引きつけておく必性が生じたのだろう、これまでも中朝国境の密貿易を黙認したりしていたが、人道名目に当たるために国連制裁には抵触しない、一時停止していた食糧や肥料の無償支援を再開したり、ロシアと共に国連安全保障理事会に北朝鮮への制裁一部緩和を求める決議案を提出したりして、北朝鮮擁護の姿勢を取ってきた。そして2021年3月23日付「asahi.com」記事は2021年3月23日に朝鮮中央通信が北朝鮮の金正恩と習近平が「口頭親書」を交換したと伝えていると報じた。
金正恩「敵対勢力の挑戦に対して両国が協力を強化する」
習近平「両国人民にさらに立派な生活を与える用意がある」
習近平は北朝鮮の金正恩独裁体制の終末を臨んではいない。なぜなら、類似の独裁国家であるから、西欧の民主主義国家から批判されたり、非難を受けた場合の独裁手法に対して相互に自己正当化の味方とし得る関係を築くことができることと、中国がアメリカと決定的に事を構えそうになったときに弾道ミサイルと核を保有している北朝鮮を味方につけておけば、アメリカに対して心理的にも軍事的にも強い牽制となるからである。金正恩にしても自らの独裁体制を守るために中国を味方につけておくことは大きな安全保障となるし、北朝鮮を味方につけて置こうとする中国の思惑とは利害の一致を見る。
北朝鮮の金正恩と習近平が「口頭親書」を交換したと朝鮮中央通信が伝えた2021年3月23日2日後の2021年3月25日に北朝鮮は弾道ミサイル2発を発射させた。中国の改めての力強い後ろ楯が金正恩を強気にさせた、2020年3月29日以来の約1年ぶりの国連安保理決議違反となる弾道ミサイル2発発射という可能性は否定できない。
2021年3月17日、米韓の外務・国防担当閣僚協議(2プラス2)が開催された。ブリンケン米国務長官は北朝鮮に関して「専制政権が自国民に対し組織的で広範な人権侵害を続けている。我々は基本的人権と自由を求める人々を支援し、これを抑圧する者に対抗しなければならない」と述べたと2021年3月17日付「ロイター」が伝えている。
周知のことだが、北朝鮮の人権侵害を問題視するのはバイデン政権が初めてではない。アメリカの歴代政権が批判の俎上に載せてきた。国連総会も2020年12月16日、欧州連合(EU)提出の北朝鮮人権侵害非難の決議案を16年連続で正式採択している。多分、今年も12月に入れば、同じことの繰り返しが起きるに違いない。
国連人権理事会は2021年3月23日、北朝鮮の人権状況非難決議を14年連続で採択した。採択は投票に持ち込まない形で決定されたという。日本政府は北朝鮮との拉致解決に向けた日朝対話の必要性からこのような決議に積極的な関わりを控えていたそうだから、投票に持ち込まないことから賛否の態度が表に出ない採択は日本にとって好都合だったはずだ。
つまり日本政府は拉致解決のためには北朝鮮の人権状況に目をつぶってもいいとする、自分の都合に応じて態度を変える機会主義を選択したことになる。だから、ミャンマー軍事政権が自らの軍事独裁を死守するために独裁反対のデモを仕掛けているミャンマー市民を何人虐殺しようとも、口では非難するが、具体的な制裁の動きを見せていないのは全て日本政府の機会主義から来ているのだろう。
金正恩の独裁体制とその独裁体制下の北朝鮮国民に対する人権侵害は表裏一体の関係にあることは断るまでもない。独裁体制を維持するためには自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった普遍的価値観を無視しなければならない。国民が求めたなら、普遍的価値の要求共々、そういったことをする国民を踏みにじらなければ、独裁体制は守ることはできない。中国が香港で警察の武力を使って民主化運動を弾圧し、ほぼ成功しているのは共産党一党独裁体制を守るためであり、新疆ウイグル自治区で反中国ウイグル人を強制収容所送りとしていることも、イスラム教徒男女に強制不妊手術を施して、一種のジェノサイドとなるウイグル人口の減少を策しているのも、終局的には共産党一党独裁体制を守るためである。
ミャンマーで軍事政権がその独裁体制に反対してデモを仕掛けているミャンマー市民を銃で無差別に殺戮する権行為も軍事政権が自らの軍事独裁を守るためである。
かくかように独裁体制と人権侵害は表裏一体の関係にある。あるいは独裁体制と普遍的価値観の否定=民主主義の価値の否定は表裏一体の関係にある。つまり国家規模の人権侵害は独裁体制によって産出される。あるいは普遍的価値観の否定=民主主義の価値の否定は独裁体制が自らを守るための拒絶反応として現れる。人権侵害なくして独裁体制は守ることはできない。独裁体制は守るためには人権侵害が必要になる。
そして金正恩が自らの独裁体制を守る手立ての一つが中国の後ろ楯であり、自らが開発・保有している弾道ミサイルと核であり、人権侵害である。
ミャンマー軍事政権が自らの軍事独裁を守るために核やミサイルを保有していなくても、中国を後ろ楯にすることによってミャンマー市民の生命を無差別に殺戮できる人権侵害を世界の非難を無視して敢行できる。
このような状況を抱えている以上、金正恩はアメリカや日本、その他の西欧世界の核放棄の求めに応じることはない。今までも応じなかったし、これからも応じることはない。中東のクウェートにある北朝鮮大使館で代理大使を務め、おととし韓国に亡命した外交官がアメリカメディアの取材に応じ、核は体制の安定に直接関わるため北朝鮮が完全に手放すことはないだろうとの見方を示したと2021年2月1日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えていたが、核やミサイルの保有を独裁体制安定の絶対的要件としているということであり、体制安定のために人権侵害を抱き合わせとしている以上、国連が北朝鮮の人権状況非難決議をいくら採択しても、その状況を変えることができないことになる。
となると、菅義偉の北朝鮮の核・ミサイル開発についての「全ての大量破壊兵器とあらゆる射程の弾道ミサイルの完全、検証可能かつ不可逆的な廃棄、いわゆるCVIDを求めていく方針に変わりない」とした2021年3月25日参院予算委員会でのいつもと変わらない答弁(同日付「時事ドットコム」記事)は杓子定規の域を出ないことになる。
金正恩が核とミサイルの廃棄の意志がないことは前々から分かっていたことで、2018年1月8日の当《安倍晋三の鈍感・無知な点は金正恩が独裁者ゆえに核保有を体制死守の最大国益としている点に気づかぬこと - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に次のように書いた。
〈独裁国家は民主国家と経済上の国益を一致させることができても、国民統治に関しては基本的人権の点で国益を一致させることができない。その点で国益を一致させたなら、独裁国家はたちまち独裁国家でなくなる。
独裁者は独裁体制を危険に陥れる国内の勢力に対しては言論の抑圧や集会の制限、あるいは禁止等の方法を用いて強権的な取締まりを行い、国外の勢力に対しては軍事的手段で独裁体制を守ろうとする。
北朝鮮の金正恩にとっては国外の勢力からの独裁体制を死守する唯一無二の保障が核ミサイルの装備であって、そうである以上、放棄することはあり得ない。
以前トランプが核放棄の条件として北朝鮮の国家体制の保障を口にしたことがあるが、金正恩は父子継承の金一族の独裁体制の国民統治と民主体制のそれとの国益上の利害の不一致・価値観の不一致が一度の保障によって解消されない永遠性を弁えていて、独裁体制死守の絶対的保障をアメリカ本土攻撃可能な核ミサイルの保有から変える意志を持っていないはずだ。〉・・・・
要するに北朝鮮が民主化すれば、核を保有していたとしても、他の民主国家との経済上の国益の一致のみならず、民主化によって自ずと人権抑圧状況は改善していくことになり、人権問題で北朝鮮が世界の民主国家と対立することもなくなって、基本的人権の点でも世界の国々と国益を一致させることができるようになる。当然な結果としてアメリカや日本、その他の西欧国家との間の緊張関係は解けていく。このことはイギリスやフランスの核がアメリカや日本にとって脅威ではないことが証明する。アメリカの核が日本やイギリスやフランスの脅威とはなっていないことが証明する。
民主化した北朝鮮がアメリカを後ろ楯にすれば、共産党一党独裁を国家体制とした中国と言えども、下手な手出しはできない。但しあくまでも仮定の話であって、現実は北朝鮮の民主化は金正恩自身の独裁体制維持という絶対使命とは相反する利害を形成する要因となり続けて、受け入れられることはない。
この状況を変えることはできないのは目に見えているが、アメリカも日本も、「北朝鮮の完全な非核化を求める」とする効果のない杓子定規な要求を繰返すよりも、「北朝鮮の国家体制の民主化を条件に核保有を認める」とした場合、金正恩がこのような提案を飲むことはあり得ないが、世界を危険な状態に陥れる悪の根源は核やミサイルではなく、民主主義体制に敵対する独裁体制であるというメッセージとすることができる。
このメッセージを北朝鮮だけではなく、中国やロシアが無視しても、世界の多くの国々に民主主義体制の必要性をより強く自覚させる契機とする可能性は否定できない。この必要性は独裁体制こそが国家体制として異質であるという気運を盛り上げていかない保証はない。
世界から独裁体制国家が消滅し、民主国家ばかりとなったなら、核やミサイルの必要性は減少していく。独裁国家の出現に備えて完全な核廃絶はできなくても、その独裁国家が核兵器を保有した場合に備えて、国連が数発の核を保有し、世界の脅威を管理する世界体制とすることができれば、他の国の核は廃絶の可能性もでてくる。要は世界から独裁体制国家を消滅させることができるかどうかにかかっている。先ずは中国という巨大・凶悪な独裁国家の消滅に世界の民主国家は力を尽くさなければならない。