佐藤正久の役目の違いを無視した自衛隊『服務の宣誓』を用いた外務副大臣就任挨拶と河野太郎の呆れた擁護論

2017-12-08 12:52:10 | Weblog

 自衛隊出身の自民党佐藤正久が2017年12月5日の参院外交防衛委員会で自身の外務副大臣就任挨拶に自衛隊が入隊時に行う「服務の宣誓」を用いたことを民進党小西洋之が問題したとマスコミが報じていたから、その動画をダウンロードして、問題がどこにあるのか考えてみた。

 先ず外交防衛委員会冒頭の佐藤正久の挨拶。文飾箇所が「服務の宣誓」

 佐藤正久「外務副大臣を拝命致しました佐藤正久でございます。事に臨んでは危険を顧みず、身を以って責務の完遂に務め、以って国民の負託に応える決意であります。厳しい安全保障環境の中で国家・国民の安全・安心を守るため、現場主義で汗をかいてまいります」

 佐藤正久が自己紹介に自衛隊員が入隊するときに口にする「服務の宣誓」の一部を用いたということ、そのこと自体が自衛隊に対する親近感の現れ以外の何ものでもない。

 親近感なくしてこのような発言はしない。

 実際の「服務の宣誓」は次のようになっている。

 自衛隊法52条 服務の本旨

 〈私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、技能をみがき、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。〉

 小西洋之は佐藤正久の発言を繰返してから次のように追及を始める。

 小西洋之「私は佐藤副大臣の挨拶、外務防衛委員会に対して政府として行われた挨拶は日本国憲法の趣旨に反し、また自衛隊法や外務省設置法などの関係で、これらの趣旨やまた国家行政執行法(?)の趣旨に反する暴言であると思います。

 佐藤副大臣は内閣に於いて即刻罷免をされるべきだと考えております。今からその理由を説明させて頂きたいと思います。

 では、小野寺大臣、この自衛隊員の服務の宣誓ですけども、何をこれに基づいて全自衛隊員が自衛隊員になったときに行うものであることをご存じですか」

 小野寺五典が自分の席から小西洋之の方に向かって小声で何か聞く。

 小西洋之「知らなかったということでございます。服務の宣誓は何の法令に基づいて自衛隊員が行うものだとご存じですか」

 小野寺五典「服務の宣誓は自衛隊法第53条の規定に基づくと思います」

 自衛隊法第53条((服務の宣誓)〈隊員は、防衛省令で定めるところにより、服務の宣誓をしなければならない。〉

 小西洋之「いま大臣からご答弁頂きましたが、佐藤副大臣が外務防衛委員会で行われたこの服務の宣誓は自衛隊法に基づく制度なんです。自衛隊法と自衛隊組織会(?)に基づくものであります。

 先程外交と防衛の違いの質問もございましたけれども、紛争を阻止する他の適当な手段がない、他に全て手段がない、外交ではもう間に合わない、どうしょうもない、防げないときに武力を行使して国民を守るのが防衛省の役割であり、そのための自衛隊の役割であります。

 また日本国憲法の第66条2項にはこういう規定があります。『内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない』、文民でなければならない。

 この趣旨はかつて政府答弁に於いて武断政治を排除する、で、安倍内閣の解釈改憲以前に唯一解釈変更が行われた例でございます。かつて自衛隊員は武人ではない、文民であるとされております。自衛隊の装備の実態から見て、文民ではない、武人であるというふうに解釈変更された経緯もございます。

 つまり自衛隊委員の服務の宣誓とういうものは武人の全精神の真髄を言ったものであり、武力の行使に当たってのその職務の精神、それを述べたものであります。

 河野大臣に質問させて頂きます。大臣は佐藤副大臣の服務の宣誓の、『以って国民の負託に応える決意である』、このような就任に当たっての挨拶をこの外交防衛委員会に当たって行うことを事前にご存知でしょうか」

 小西洋之は佐藤様久の挨拶の暴言であることと罷免すべきことの理由を述べると言いながら、述べずに「服務の宣誓」がどのような場合に使うのかの説明にとどめている。理由を論理的に提示ぜずに「暴言だ」、「罷免だ」と言うのは幼稚以外の何ものでもない。

 自衛隊法で自衛隊員に対する入隊時の義務付けとして規定した「服務の宣誓」は自らに課せられることになる軍事上の役目を前提とした心得である。いわば軍事力を用いて自衛隊員の義務としてこのように役目を果たしますという誓いの言葉であって、同じ国民に対する奉仕者に位置づけられていても、外交を役目として国民に奉仕することとは自ずと前提が異なってくる。

 ところが、佐藤正久は役目の違いを無視して、外務副大臣としての自らの役目が持つべき精神を自衛隊員が体現すべき精神と一体化させた。

 佐藤正久の自衛隊に対する親近感がそうさせた一体化であって、親近感が自衛隊寄りの態度に向かわせないとも限らない危険性は否定できず、明らかに日本国憲法が規定する「文民」であるとしなければならない厳格な精神を自ら害した。

 佐藤正久は自衛隊員出身である。「服務の宣誓」の一部分を口にしたとき、自衛隊員たちの誓いを自らの精神に蘇らせなかったということなあり得ない。

 それぞれに役目があり、それぞれがそれぞれの役目に忠実でなければ、国という全体を成すことはできない。外務副大臣であるからには外務副大臣という立場に忠実な心得・誓いを持ち、それらを以って国民への奉仕を務めなければならない。

 外務大臣の河野太郎は佐藤正久が外交上の役目を前提とした挨拶をすべきを軍事上の役目を前提とすることになる「服務の宣誓」の一部を用いて挨拶した役目の違いを無視して佐藤正久の擁護に走る。

 河野太郎「あのー、佐藤副大臣がどのような挨拶をするのか事前に原稿を見ているわけではございませんが、外務省の職員も国民の平和、あるいは安全、反映を守るために身を投げ打って職務を行うわけございます。

 外務省の中には外務省の職員として殉職した方々を慰霊した(?聞き取れない)碑と言うか、像がございますが、いざというときには国民を守るためには危険を顧みず、身を以って責務の完遂に務める必要があるのは、これは、あのー、公務員として変りません。

 これは自衛隊であろうが、外務省の職員であろうが、あるいは国家公務員ではないかもしれませんが、警察官、消防員、あるいは消防団員といった方々も、いざ事に臨んでは危険を顧みず、身を以って責務の完遂に務める。

 そういう方が大勢いらっしゃるわけでございまして、私は特に問題があるとは思っておりません」

 河野太郎は自衛隊員のようには軍事上の役目を前提としない警察官、消防員、あるいは消防団員を持ち出して、自衛隊員が軍事を前提として持つべき精神・誓を他の職業の者が持っても何ら問題はないとしている。明らかに強弁を用いた佐藤擁護となっている。

 小西洋之はなぜ暴言になるのか、なぜ罷免に値するのか、その理由をなおも述べないままに「服務の宣誓をしている公務員は他にいるのか」などと時間のムダとなる余計な質問をしている。

 河野太郎「佐藤副大臣は別に服務の宣誓をしたわけではなく、『事に臨んでは危険を顧みず、身を以って責務の完遂に務め』と言うのはこれはどんな場面でも国民として必要な場合にはこういう覚悟で事に当たらなければいけないということを述べたまでであります」

 自衛隊員が軍事上の役目を通して“事に臨む”、あるいは“危険を顧みず”という自衛隊員としての精神と自衛隊員以外の省庁の職員がそれぞれの役目を通して“事に臨む”、あるいは“危険を顧みず”というそれぞれの省庁の職員としての精神は決して同じではなく、似て非なるものである。

 それをさも同じであるかのように言う。詭弁・強弁の類いでしかない。

 小西洋之は「聞いたことに簡潔に答えてください」と前置きして、「服務の宣誓をしている公務員は他にいるのか」と同じ質問を繰り返して、河野太郎から「存じ上げません」の素っ気ない答弁を引き出す時間のムダを更に費やしたあと、河野太郎の自衛隊員も他の職業の人間も事に当たるについては同じ態度を取るとした発言の撤回を求めて、殆ど変わらない内容の答弁を引き出す徒労を重ねた。

 堂々巡りと気づいたのだろう、佐藤正久が就任挨拶に用いた「服務の宣誓」の一語一語と全体の言葉をそれぞれどのような意味で使ったのかと言うことと、内閣として罷免すべきであること、佐藤の就任挨拶を肯定した河野太郎問題を理事会で協議して頂きたいと委員長に求めて、次の質問に移ることになった。

 役目が違えば、それぞれが担当する事柄、任務に違いが出て、その違いに心得・誓いは応じなければならない。応じないままの文民の外務副大臣という立場からの自衛隊に対する親近感は、その親近感が勝らない保証はなく、勝れば、当然文民の性格を侵食していくことになる。

 佐藤正久は外務副大臣の資格はないということであり、如何なる国務大臣に就く資格もない。


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