笹川尭「子供を産んだから少子化相になれた」の政治家にふさわしいセンス

2008-12-11 04:02:27 | Weblog

 我らの自民党は笹川尭総務会長(73)が12月6日午後、松江市でのパーティーで聴衆100万人を前に(そんなに集まっていないか。)挨拶をし、その中で小渕優子少子化担当相(34)の就任理由に関して次のようなセンスある名言を吐いたという。

「なぜ(大臣に)なれたか」

 何でだろう?、何でだろう?、何でだろうの何でだろう?

 「子供を産んだからですよ。もし、結婚して子供がいなければ“オマエ(少子化対策の)方法は分かっているのか”と言われますよ」(サンスポ/2008.12.7 05:00)

 出産によって得た経験が少子化対策に関わる政策を創造し、推進する能力に必ずしも結びつくとは限らないはずである。小渕優子がどのような子育てをしているか知らないが、例え母親が職業を持っていたとしても、夫と合わせた収入が世の平均収入よりも遥かに高くて、お手伝いさんを雇って家事を行わせ、子供が生まれると育児専用にベビーシッターを雇い入れて、母親が外に出ている間は育児を任せることができる女性と、収入が十分ではなくても、同居している母親、あるいは義母に留守中の子の面倒を見てもらって安心して外で働ける女性と、同じく収入が十分ではないために公的な保育所に預けたいが空きがなく、仕方なく私営の高い保育施設に預けて、その分生活費を削って生活している女性とでは、子育て環境の理想形に対する思いは自ずと違ってくると思うのだが、そうではないだろうか。

 笹川尭は「人口は努力しないと増えませんよ。近ごろの若い人は努力が足りない」(「毎日jp」)ともお説教を垂れたということだが、金銭的な面も含めて精神的にも肉体的にもそのあまりの苦労に努力が追いつかず、早々に2人目を断念した女性が多くいることも一因となっている少子化現象のはずである。

 また子育ての社会的にあるべき姿への思いが違えば、その不足分の解消に向けた欲求、あるいは満足な形の実現に向けた欲求にも強弱・濃淡が生じるに違いない。

 但し自分が子育てにあらゆる面で不足を味わわされた女性がその解消を図る政治的創造性に恵まれているかというと、その保証もないはずである。

 尤も政治は一人で決める作業ではない。多くの人間の意見を活用して、それらの意見から自らが理想と判断した方向に掬い(すくい)上げて政策に変えていく創造性と、それを様々な利害と闘って一定の制度の形に実現させていくリーダーシップ(麻生さんみたいに丸投げはいけない)こそが政策決定者に必要な資質であって、この二つを兼ね備えていたなら、実際的な経験を欠いていたとしてもさして問題はないはずだし、逆に両方の資質を欠いていたなら、いくら実際的経験が豊富でも、社会的な制度づくりに役立てることもなく、単に個別的な経験で終わるに違いない。

 とすると、少子化問題に関わる政治家の役目は第一義的には結婚や出産の経験、あるいは育児の経験を持つことではなく、一般女性が安心して出産でき、安心して子育てができ、なお且つ子供を抱えながら安心して働くことができる社会的環境を時代に合わせて十分な形に整えていくことであろう。

 誰でもが分かるこんな簡単なことが我れらの笹川尭には理解できないようだ。理解できないままに国会議員をしている。自民党の総務会長様でございますと名乗っている。

 では、今の日本の社会が何人も子供を産んでもいいと思える程に女性に優しい社会になっているかと言うと、待機児童の問題が片付いていないことだけを見ても、決して優しくはなく、出産をためらわせる社会のままとなっている。

 このことだけを取っても、笹川尭の発言が、そんなことはどうでもいいことじゃないかと言うことになって、如何に愚かしく馬鹿げたことかが分かる。

 待機児童に関して厚生労働省は次のような実行計画をHPに載せている。

 ≪「新待機児童ゼロ作戦」について(概要)≫(厚生労働省)

 趣旨

 働きながら子育てをしたいと願う国民が、その両立の難しさから、仕事を辞める、あるいは出産を断念するといったことのないよう、
 ○ 働き方の見直しによる仕事と生活の調和の実現
 ○ 「新たな次世代育成支援の枠組み」の構築――の二つの取組を「車の両輪」として進めていく。

 希望するすべての人が安心して子どもを預けて働くことができる社会を目指して保育施策を質・量ともに充実・強化するための「新待機児童ゼロ作戦」を展開

 目標・具体的施策

 希望するすべての人が子どもを預けて働くことができるためのサービスの受け皿を確保し、待機児童をゼロにする。特に、今後3年間を集中重点期間とし、取組を進める。
 
 <10年後の目標>
 ・保育サービス(3歳未満児)の提供割合20% → 38% (※)
 【利用児童数100万人増(0~5歳)】

 ・放課後児童クラブ(小学1年~3年)の提供割合19% → 60% (※)
 【登録児童数145万人増】

 当面、以下の取組を進めるとともに、集中重点期間における取組を推進するため、待機児童の多い地域に対する重点的な支援や認定こども園に対する支援などについて夏頃を目途に検討⇒ この目標実現のためには一定規模の財政投入が必要。税制改革の動向を踏まえつつ、「新たな次世代育成支援の枠組み」の構築について速やかに検討。

 (※)「仕事と生活の調和推進のための行動指針(平成19年12月)」における仕事と生活の調和した社会の実現に向けた各主体の取組を推進するための社会全体の目標について、取組が進んだ場合に10年後(2017年)に達成される水準

 集中重点期間の対応

 当面、以下の取組を進めるとともに、集中重点期間における取組を推進するため、待機児童の多い地域に対する重点的な支援や認定こども園に対する支援などについて夏頃を目途に検討

 ○保育サービスの量的拡充と提供手段の多様化〔児童福祉法の改正〕

 保育所に加え、家庭的保育(保育ママ)、認定こども園、幼稚園の預かり保育、事業所内保育施設の充実

 ○小学校就学後まで施策対象を拡大小学校就学後も引き続き放課後等の生活の場を確保

 ○地域における保育サービス等の計画的整備〔次世代育成支援対策推進法の改正〕

 女性の就業率の高まりに応じて必要となるサービスの中長期的な需要を勘案し、その絶対量を計画的に拡大

 ○子どもの健やかな育成等のため、サービスの質を確保(以上全文引用)――

 2007年(平成19年)12月の「行動指針」策定から目標達成を10年後の「2017年」の12月、暮れに置いている。しかも「保育サービス」にしても、「放課後児童クラブ」にしても100%の充足を目標に置いているわけではない。当然のこと、2017年の暮れまで100%充足するところまで行かない達成状況を見ながら、世の女性は出産を控える方向での出産調整を余儀なくされるということになるのではないだろうか。

 まさしく大臣になれたのは「子供を産んだからですよ。もし、結婚して子供がいなければ“オマエ(少子化対策の)方法は分かっているのか”と言われますよ」何てことを言っている場合かよ、である。

 子供を出産すれば、教育費の問題も生じる。将来の生半可ではない教育経費に備えて、まだ子供が幼い頃から教育資金を積み立てていく親も大勢いるに違いない。それも日本は国が負担する学校教育費の対GDP比の水準は低く、世界で第20位以下の経済大国にふさわしい名誉ある位置につけている情けない状況にあるし、公的負担の比率が低く、逆に私的負担が高いことが反映したGDP比水準の低さでもあるから、教育費の面からも出産する子供の数を抑制する方向に影響しないわけはない。

 2008年10月16日の「asahi.com」記事≪世帯年収の3分の1、教育費に 半分超える層も≫が次のように日本の教育費負担を伝えている。要旨を箇条書きにする。

 1.年収が低い世帯ほど在学費用の負担は重くなり、年収200万円以上400万円未満の世帯では年収の半
   分以上を占めている


 2.世帯の年収に対する在学費用(小学校以上に在学中の子どもにかかる費用の合計)の割合は平均で
   34.1%。200万円以上400万円未満の世帯では55.6%に達した。

 3.在学費用自体は年収が高い世帯ほど多く、900万円以上の世帯は平均で221万1千円。200万円以上
   400万円未満の世帯より57万円余り多かった。

 4.高校入学から大学卒業までにかかる費用は、受験費用、学校納付金などを合わせて子ども1人あた
   り1023万6千円必要とする。
(以上)

 高校入学から大学卒業までの7年間の教育総経費が「1人あたり1023万6千円」。年間150万弱。月に約12万円。小中高の学習塾経費等も含めると、どのくらいかかるのだろうか。

 子供の教育に熱心であろうとするなら、2人目の出産を十分にためらわせる「費用」である。その上、収入の多寡が教育機会の均等を損ない、不平等を生じせしめることとなっている。

 高学歴であることによって高収入の機会に恵まれた富裕層が自分と同等、あるいはそれ以上の学歴を自分の子供たちに与えるべく教育に余裕を持って十分な投資を行い、親のそのような十分な資金を活用して子供たちは親同様の高学歴を手に入れ、その高学歴を武器に高収入の機会を手に入れる高所得層の高学歴と高収入の独占の循環によって教育機会の不均衡とそれがもたらしている生活機会の不均衡が日本社会を覆い、絶対多数を占める中低所得層の生活の余裕を奪って子供を産めなくしている状況といったこともあるに違いない。

 麻生首相が「小渕さんが子供を産んだから大臣になったわけではない。指名した(私)本人が言っているんだから」(時事通信/2008/12/07-15:34)と笹川発言の間違いを指摘したということだが、相変わらず「KY」(空気が読めない)麻生太郎だ。

 事実認識の間違いを正せば片付く問題ではなく、政治家にしてはそのように事実認識を間違うセンス自体が余りにもお粗末、余りにも粗雑で問題なはずだが、センスのお粗末で粗雑なことは放ったままである。

 小渕優子が9日の閣議後記者会見で笹川発言に関して、「子供を持つ立場でしっかり少子化担当大臣をやってくれという気持ちでおっしゃったのではないか」(「毎日jp」)と取りなすようなこと言ったそうだが、「子供を持つ立場」とか持たない立場とかいった辺りで逡巡させていてもいい問題ではなく、少子化が続けば、各種年金の保険料負担の問題に関係してくるし、国を支える労働力の問題にも関わってくる。

 但し次のようにも言っている。「子供がいるいない、男性女性にかかわらず、少子化問題は、誰もが考え行動に移していかなければならない待ったなしの状況。皆さんで考えていく課題だ」(同「毎日jp」

 もっともらしくは聞こえるが、「待ったなし」どころか、遅過ぎて既に多くの女性に経済大国に似つかわしくない負担と犠牲を強いているのである。その影響は少子化や労働力不足といった形で簡単には修復できないところまできている。将来的にはもっとひどくなるだろう。

 それを「待ったなし」だなどとこれからの問題のように言う。何となくコップのような狭い中で己の立場を主張し合っているようにも思えるが、政治家がそんな体たらくでは厚労省が掲げた≪「新待機児童ゼロ作戦」≫も、その実現は覚束ないようにも思えてくる。

 笹川尭は9日昼の記者会見で「子供を産んでないとなれないかのような印象を与えたのは大変申し訳ない」と陳謝し、「小渕先生は群馬県の宝で、少子化対策基金を積み、すばらしい業績を残している」と持ち上げたと「毎日jp」記事≪笹川自民総務会長:小渕氏への「出産経験」発言で陳謝≫(08.12.9)が伝えているが、先の問題発言に続けて「わたしは男の子が5人、孫が14人。(少子化担当相には)わたしの方がよかったかもしれない」と言ったとの報道(「時事通信社」/2008/12/07-00:48)もあるが、事実としたら、二人は共に群馬県選出衆院議員だということだから、笹川尭は自分が自民党の総務会長ではなく、一度も坐ったことがない大臣の椅子を同じ選挙区の若い女が先に陣取りしてしまったその悔しさが言わせた難癖、ケチの類といった疑いが濃くなるが、だとしても、センスのなさ、程度の低さに変りはない。

 日本だからこそ通用する政治家のセンス、程度の低さと言うことなのだろうか。要するに我が笹川尭は若い女性が出産・育児・就業の面で置かれている日本社会の状況を全体に亘って見る目を持たない視野狭窄者に過ぎないということなのだろう。

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