菅首相の東北地方太平洋沖地震危機管理、効果を殺いだ自衛隊10万人投入

2011-03-23 09:57:41 | Weblog


 ――なぜ早くにヘリコプターで重機を吊るして搬入、土石・残材除去と救命を併せ行わなかったのか――

 ここにきて大動脈としての各交通網が復旧しつつある。《地震で寸断の交通網、徐々に復旧》毎日放送/2011年3月22日16:19)が次のように伝えている。

 22日午前10時に東北自動車道の宇都宮-一関間、常磐自動車道の山元-亘理間などが緊急通行車両と大型車に限り、通行止めが解除された。

 このことにより東北自動車道では大型車は宇都宮以北の全線で通行が可能となり、一関より北は青森までの全線で一般車両も含めて全ての車両が通行できるようになった。

 JR東日本は東北新幹線の盛岡駅と新青森駅の間について運転を再開。この結果、東北新幹線は東京-那須塩原間、盛岡-新青森間の運転が再開。

 但し那須塩原-盛岡駅の間の復旧はメドがたっていないという。

 11日午後2時46分の地震発生から22日午前10時の東北自動車道に於ける全線通行可能は約11日ぶりのこととなる。この復旧は地震の規模と規模に応じた損壊の程度からして当然必要とした日時であろう。

 尤も中国だったら政府の号令一つで人海戦術を採り、大量に労働力を投入、当たり前にかかる時間よりも早く復旧させたかもしれない。常識的な思考では知識のない労働者を投入しても却って足手纏いになると考えるかもしれないが、人間は応用力を備えている。特殊な技術ではなく、単純労働の場合は見よう見真似から始まって応用力を発揮、基本的な技術は瞬く間に身につけるものである。

 いずれにしても高速道、鉄道の大動脈はほぼ確保できる状況に至った。

 これに先立って自衛隊と米軍が救援活動を開始していて、自衛隊は初期の2万人態勢から、5万人、10万人態勢へと増強、人命救助と支援物資輸送に力を注いでいるが、昨日の22日時点でも依然として避難所に物資が満足に行き渡らない状況が続いていた。食糧、燃料、医薬品、オムツや生理用品等々。

 昨日3月22日の「NHKクローズアップ現代」/「被災者に届け 支援物資」はこのような物資不足を反映させた内容となっている。

 案内メールには次のように書いてある。〈厳しい暮らしを強いられる東北関東大震災の被災者に、必需品を届ける動きが企業で始まっている。コンビニ大手は、避難所や被災地の店舗におにぎりやパンを送り始め、医薬品業界も医薬品の搬送作戦を開始した。しかし広範囲にわたる被災地への搬送は、様々な課題に直面している。壊滅的なダメージを受けた道路事情や燃料の枯渇。誰がどこで何を求めているのかといった基本的な情報さえ不足するなか、課題を乗り越えるための苦闘が続いている。

 一刻も早い救援をいかにして実現するのか。企業の物流支援の試みに密着する。〉――

 要するに国の支援が満足に行き届かない状況を前提とした企業の、国に任せているだけではもう待てないといった動機からの支援開始ということであろう。

 国は支援の遅れを道路や港湾、空港、鉄道、通信といった各インフラの想像以上のダメージに理由を置いているが、それがようやく回復してきた。だが、「NHKクローズアップ現代」は企業がこのような回復を待たずに被災者支援を始めていた例を紹介している。

 政府側の復旧任せを主体としたこの危機管理に逆らう象徴的なシーンが「NHKクローズアップ現代」に挿入されていた。

 メディセオという薬品卸会社仙台支店が阪神大震災で交通網が麻痺したときの教訓から災害時に備えて予めバイクを用意、医師との連絡や配達に使っているという。

 かなりの台数があったから、教訓からの導入であっても、いつ起こるかも分からない災害が起こるまでバイクを寝かせておくわけにいかないから、普段も配達に使っているのではないだろうか。

 だとしても、スマトラ沖地震でも阪神大震災でも道路の麻痺や通信の麻痺の克服手段としてバイクが活躍した。3月18日(2011年)の当ブログ《施設の復旧を待ってからの物資支援では危機対応とはならない/何のための政府の存在かということになる - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》にも〈バイク野郎を掻き集めて集まっただけの彼らを活用、あるいは被災地域外の白バイ警察官を招集、灯油20リットル缶の3個ぐらいは後部荷台にしっかりと括りつけて通行可能な道を探しつつ遠く孤立した避難場所まで届けさせる方法も決して不可能ではないはずで、特に通信手段が途絶えて情報交換の手段を失った地域との連絡の役目も期待できたろう。通信手段が途絶えた避難場所に彼らが顔を出したなら、元気をも与えたかもしれない。〉と書いたが、政府はバイクに関しても何ら学習しなかったようだ。

 「関して」と他にも学ばない類似例があることを示す関係助詞を使ったが、21日の記事――《死者・行方不明者 把握進まず》NHK/2011年3月22日 3時29分) がそのことを教えてくれる。

 記事冒頭部分は、〈今回の大震災では、警察庁のまとめで死者と行方不明者はあわせて2万1000人を超えていますが、津波による壊滅的な被害のため、このほかにも警察や自治体が把握できていない死者や行方不明者が多数に上るとみられ、大震災の発生から10日余りがたった今も、被害の全体像は明らかになっていません。〉と被害と被災の大きさを伝えている。

 警察や自治体が把握できていない原因として地域全体が壊滅的な被害を受けたケース、家族全員が巻き込まれたケースが存在して警察に届け出がない状況等を挙げているが、その捜索に関しても、〈被災地への道路が崩壊して重機が入れない場所も多数あり、自衛隊や警察などが手でがれきを取り除きながら捜索活動を続けていますが、難航してい〉ると手作業のために捜索活動が進まないことと被害状況の把握困難を伝えている。

 この道路の大幅な損壊によって重機を投入できない手作業の状況が救命や遺体発見の困難と状況把握の難しさ、さらに大動脈の寸断が招いたのと同様の支援物資の輸送の停滞をもたらしたということであろう。

 だとしても、この〈被災地への道路が崩壊して重機が入れない〉という状況は約3年前の2008年6月14日午前8時43分発生の岩手・宮城内陸地震でも見た光景であった。3年後も同じ光景を繰返すということは3年前の光景から何も学ばなかったことを意味する。果して学ぶことのできない事象だったのだろうか。

 中国政府は2008年5月12日発生のマグニチュード7.8、死者6万9197人、負傷者37万4176人、現在も行方不明1万8222人の人的被害を出し、日本の国際緊急援助隊も救命に活躍した(「Wikipedia」)四川大地震で奥深い山間の斜面の土砂が崩落、谷底の河川を埋め尽くして堰止湖が生じ、雨が降って水位が上昇、水位上昇からの決壊による土石流が下流の街を襲う危険性除去のためにヘリコプターで大型重機を吊るして現場に投入、人工の運河を造成して流れの向きを変えることに成功した。

 PDF記事《中国・四川地震により発生した土砂災害に関する調査・研究業務委託報告書》が次のような報告を伝えている。

 〈重機の運搬には大型のヘリコプターM-26 型(最大吊り下げ重量は20t、世界最大)2台とM-17(最大吊り下げ重量は3t)5台が用いられた。これらのヘリコプターは5月26 日に綿陽空港に到着したが、当日は天候不良で視界が悪かったために、天候の回復を待ち、実際に重機の運搬を開始したのは5月27 日となった。5月27日に現場に重機が運搬されると直ちに緊急排水路の掘削が開始された。〉――

 この光景からすると、〈被災地への道路が崩壊して重機が入れない〉という状況は理由を失う。

 四川大地震は2008年5月12日発生。岩手・宮城内陸地震はその1ヵ月後の2008年6月14日発生。当時の福田内閣が素早く学ぶという姿勢があったなら、主動く政府のヘリコプターの活用を学び、岩手・宮城内陸地震でも活用したはずだが、活用とまではいかなかった。

 またヘリを活用しなければならない理由が他にもある。この間の事情をいくつかの当ブログに書いてきた。参考までに記事題名を挙げておく。

 2008年7月29日記事――《「大型ヘリによる重機運搬」に関する首相官邸・内閣官房・内閣府との不毛なやりとり(1)(2)-『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

 2009年9月19日記事―― 《大型災害の迅速な人命救助はたった一人の国民の命であっても疎かにしない危機管理に於ける象徴作業-『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

 2008年6月16日記事――《岩手・宮城内陸地震-福田首相の「人命救助が一番」の危機管理は口先だけではないか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

 岩手・宮城内陸地震では栗原市耕英地区の2階建ての旅館「駒の湯温泉」が2階が1回を押しつぶしてのしかかる形で倒壊、客と従業員等の9人が行方不明となったが、その後2人が自力で脱出、7人が行方不明の状態となった。

 その日の内に自衛隊を投入、捜索に当たったが、ぬかるんだ足場のもと、手作業で柱や板を取り除いたり、バケツリレーで泥水を掻き出したりで捜索は難航した。それでも手作業で5人の遺体を発見。残る行方不明者は2人となった。

 そして地震発生6月14日から12日経過した6月26日になって福田政府は自衛隊大型ヘリコプターで中型重機を吊るして運搬・搬入、手作業の捜索から重機による捜索に変えた。

 だが、1台で不足と見たからだろう、あとからもう一台搬入し、2名の行方不明者を遺体で発見することになった。

 とにかく自衛隊ヘリコプターで重機搬入を可能とした。中国四川大地震のヘリによる重機運搬を学習したからなのかどうかは分からないが、学習したとしたら、遅すぎる実行となる。

 地震発生当日に捜索のために自衛隊員を現場に投入しているのである。この投入と併せて重機を搬入していたなら、捜索はより捗り、生きたまま救命できた可能性は決して否定できない。

 菅政府にしても、大災害時の救命を含めた危機対応に備えて過去の災害に於ける危機対応を参考にマニュアルづくりを行っていたはずだ。だが、マスコミは、〈被災地への道路が崩壊して重機が入れない〉と過去の災害時と変わらない状況を繰返し報道している。

 もし自衛隊大型ヘリで可能な限りの台数の重機を燃料と共に各地に運搬・投入したなら、昨日もテレビで警察官が手で残材を取り除いている場面を報道していたが、手作業に代る機械作業が山のように積み重なった残材除去に効果を発揮、遺体ではなく、生存の形で発見できる可能性を増やしたのではないだろうか。16歳の孫の高校生1年生と80歳の祖母が9日ぶりに救出されているである。

 命の限界とされる3日間を大きく超えていて奇跡的と言う向きもあるが、早くから各地に大量の重機が投入されていたなら、もっと早くに発見できた可能性は否定できず、奇跡は軌跡でなくなって、普通の発見となる。

 ページ冒頭の画像の左端は自走式木材破砕機である。どこにでも走らせていけて、重機で倒壊家屋等の残材を投入すれば、木材チップに変えることができる。コンベアの先にトンパックと言って1トンの土砂を詰め込むことのできる人工繊維の袋の口を開けておけば、雨が降っても風が吹いても周囲に撒き散らかさなくても済む。人手は失業している非正規社員を雇えば、失業対策にもなる。

 上に挙げた当ブログにも書いていることだが、「財団法人協和協会 」「災害時緊急支援体制検討委員会」「瓦礫に埋もれている人を出来る限り短時間に救出するため、自衛隊所有の大型ヘリコプターで(組立てなしの)12トン前後のハサミ重機を、被災現場に空輸する」自衛隊の大型ヘリによる重機運搬の活用を提案内容の一つとした『大震災・大事故に当たり、迅速な人命救助・被災地復興支援のため、全国主要地に予め基地を設け、救援する具体策を提案する』とした提案書を2008年2月22日に当時の安倍晋三内閣官房長官に提出している。

 ヘリを活用しなければならない理由が他にもあると書いたのはこのことを指す

 「ハサミ重機」とはアームの先端が蟹の形をしていて、コンクリートの壁を挟んでちぎり取るくらいの力があり、ビルや家屋の解体だけではなく、木材やコンクリート塊を挟んで取り除く機能を併せ行う重機である。

 2008年2月22日に提案書を当時の安倍内閣長官に提出した3カ月後2008年5月に中国政府が四川大地震でヘリによる重機運搬を活用していながら、福田内閣は同2008年6月の岩手・宮城内陸地震では地震発生から余りにも遅過ぎる限定的な活用にとどまった。

 そして提案書提出から3年後の今回の東北地方太平洋沖地震で自衛隊大型ヘリコプターによる可能な限りの台数の重機運搬・搬入による残材除去と倒壊した建物の下敷きとなっている、遺体として発見するかもしれないが、生存の可能性を決して捨てきれない被災者の救出、さらに道路を塞いでいる残骸の除去を併せ行うことに活用しているとする報道を目にも耳にもしていない。

 そのため今回改めて提案書を調べ直してみた。提出したのは2005年2月22日の当時の安倍内閣長官が最初ではなく、「財団法人協和協会 」《要請書提出先》ページには最初の提出先として2002年10月28日に当時の石破茂防衛庁長官と面談、要請書を提出となっている。

 そして安倍晋三よりも2年あとの2010年3月17日に「岸宏一厚生労働副大臣と面談、要請書を提出」となっている。

 2002年10月28日を起点とした提案書の提出だとすると、福田政府が自衛隊ヘリで重機を運搬した岩手・宮城内陸地震発生の2008年6月14日から12日後の6月26日は約6年経過していたことになり、今回の地震で計算すると、8年と4ヵ月を経過していながら実現していないことになる。

 口では大災害が発生するたびに「国民の生命・財産を守る」と言いながら、実体を伴わせることができないできた。救命も財産の保守も大方は災害の規模に任せてきた。

 菅首相は提案書は自民党政権時代のことだと言うかもしれないが、「国民の生命・財産を守る」に政権で違いがあっていいわけではない。菅政権も学んでもいいはずのシステムでなければならない。

 昨日のブログに書いたことだが、菅首相はこれまで2万6650人の被災者をを救出したと、目に見える場所に目に見える存在として救助を待っていた被災者を救出したことを以って自らの危機管理の順調な機能を誇っているが、本来なら倒壊家屋等の目に見えない場所に閉じ込められて目に見えない存在となっている被災者の1名でも多くの救出・救命を以って危機管理の機能とすべきを、判断能力を欠いているから、当たり前の救出を持って誇ることをする。

 目に見える場所で救出を待っている被災者まで死なせたのでは話にならないくらいに危機管理とはならない。

 もし自衛隊ヘリを使った重機の運搬・搬入が災害時に於ける普通の光景となったなら、ヘリが着陸不可能な避難場所への支援物資輸送も物資を積載したコンテナを吊るして飛ばすことでより普通な方法として道が開けるはずである。

 ホバーリング状態で高度を徐々に下げていき、コンテナが着地してワイヤーが緩んだところでフックを外せば事は足りる。
 
 倒壊家屋等に閉じ込められた目に見えない被災者の救出をも併せた自衛隊10万人投入でもあるはずだが、自衛隊大型ヘリの重機運搬・搬入をも目的とした10万人であるなら、大々的な機械化によって救命と倒壊家屋等の各残骸除去の効率化と時間の短縮を図ることができただけではなく、そのことによる道路整備の迅速化も可能となり、直接のヘリで吊るし下げた支援物資の配布のみならず、復旧した道路を使った被災者に対する食糧・医薬品・灯油、その他の支援物資を早い段階で充足可能としたはずだが、鉄道、主要道路、港湾等の大規模なインフラはもとより、各一般道路でもその多くが当たり前の復旧を待ってからの支援となっているために現在も多くの避難場所で様々な物資不足に耐える状況が続いている。

 自衛隊10万人投入が果して人数どおりの効果を上げているか限りなく疑わしいということである。だが、菅首相は人数だけを以って危機管理の機能を言い立てている。



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1 コメント

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呆れ (toyota)
2011-03-24 15:46:48
こんなのが市長だったというのが恐ろしい
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