橋下徹大阪市長が市長選で大量票を与えた大阪市民の支持を強力なバックとして新機軸の政策を自信たっぷりに次々と打ち出している。
今回は目標の学力レベル未達の小中学生の留年である。2月22日夜、市の教育委員らと意見交換し、小学校や中学校の義務教育で学力が追いつかない児童・生徒について、留年させることも含めて検討するよう求めたと、《橋下市長“義務教育の留年検討を”》(NHK NEWS WEB/2012年2月23日 4時1分)が伝えている。
尤もこの“留年教育”、東京都に対する対抗心から打ち出した政策なのかもしれない。東京都教委は高校の場合、単位が取れないと、取れない科目に関しては留年して1級下の後輩生徒と同じ教室で学ぶ学年制度を嫌って退学する生徒が多いことから、単位が取れなくても進級させて、それが卒業時まで続いた場合、そのような生徒のみを集めて単位不足の科目のみを後輩と顔を合わせないで済むように学校以外の場所を確保、補習や個別授業を受けさせるサテライト方式(本拠地となる場所や施設から離れた場所に設けられた施設で、本拠地に準じる機能を提供する方式/『Weblio辞書』)で学ばせ、単位を取らせた上で卒業させる制度の導入を考えているという。
《東京都教委:単位取れなくても進級 全日制高校で導入へ》
(毎日jp/2012年2月15日 16時5分)
〈ほとんどの全日制高校は、学年ごとに教育課程が決められ、修得できない教科があると留年することになる「学年制」だ。「単位制」は学年の区分がなく、決められた単位を取得すれば卒業できる。88年に全国の定時制・通信制課程で導入され、93年から全日制でも導入可能となった。
都教委によると、都立高校では、進学重視の学校や普通科目と専門科目の双方を学ぶ総合学科など13戸うで単位制が取り入れられているが、今回は中退防止のため「3年間での卒業にこだわらない」学校を想定した。〉
08年春全日制都立高入学生徒――4万66人
3年で卒業 ――3万6424人
留年生徒 ――113人
中途退学生徒 ――2212人(入学者の5.5%)
10年中途退学生徒 ――1879人
「退学後、何もしていない」 ――約24%(13年前調査+約6ポイント)
退学理由 ――留年して後輩と同学年になり、学校が嫌になるケースが多い
とのこと。
但し問題点もあるという。〈卒業できない生徒を「3年生」に据え置くことで、生徒が大幅に増える学校が生じる可能性もある。都教委は今後、これに対応する教諭数や経費などの検討を進める方針だ。〉と解決策を模索する姿を伝えている。
バリバリ、イケイケドンドンのバイタリティ溢れる橋本徹市長からしたら、そんなふうに至り尽くせリ一辺倒では甘やかすばかりで、社会を逞しく生き抜く力を身につけさせることはできない。だったら、小中学生の頃から留年の挫折を経験させてさせて世の中は甘くないこと、厳しさを教え込み、学力をしっかりと身につけさせたなら、社会を生き抜く逞しさも身につくだろうし、高校に入ってから留年しないで済むではないかと考えたのかもしれない。
橋下大阪市長は元々は成績のよい児童・生徒はその成績をドンドン伸ばしていく方式の小中学校学力別クラス編成導入論者である。その上、東京に対する対抗心は、多分、橋下市長の中では強迫観念化しているように見える。東京が高校生留年ノーなら、大阪は小中学校から留年イエスだとばかりに対抗心を燃やしたのかもしれない。
だとしても、留年は学力に関して、と言うよりもテストの成績に関して小中学生の頃から彼らを現在以上の競争社会に曝すことになる。
最初の「NHK NEWS WEB」記事に戻ってみる。
橋下市長の小学校や中学校の義務教育で学力が追いつかない児童・生徒については留年させることが必要だとする主張に対して――
矢野大阪市教育委員長「フランスでは小学校で留年する制度を取り入れてきたが、子どもにとっては逆効果で、学力への意欲をそいでしまった。学力に課題のある子どもには個別に対応して、学力を上げるようにしている」
橋下市長「学年を落とすのが難しいなら、学力の追いついていない子どもを一定期間集めて、特別学級を設け、集中的に指導するとか、学校ごとに習熟度別の指導を行ってもらいたい」
フランスではどういった理由で逆効果なのか、学力への意欲を殺いだのか、矢野教育委員長が説明したのかしなかったのか、説明したが、記事が取り上げなかったのかは分からないが、何も触れていない。
橋下市長は留年撤回かというと、そうではなく、先ずは習熟度別指導等の対策を行った上で、将来的には留年も含めて検討するよう求めたと記事は書いている。
大阪府の全国学力テストの最低水準を受けて、教育日本一を目指すと誓った負けず嫌いの橋下市長である、尻を叩き、厳しさをルールとして植えつける姿勢でいる手前、小中学校留年制度を簡単に撤回するとは思えない。
橋下市長のこの小中学校留年教育政策に対する政府の見解を見てみる。《森副大臣 義務教育の留年に理解》(NHK NEWS WEB/2012年2月23日 21時16分)
森ゆうこ副文科相「文部科学省で、留年はだめだとはしておらず、今の制度の中でも、総合的な判断で、そういう措置がなされることはある。
子どもたちがしっかりと学力を身につけることについて問題提起をし、検討していただくことは、非常に意義があることだ。市長の真意は、目標とする習熟度に、子どもを到達させるということであり、そういう意味では、文部科学省と目指す方向は同じではないかと思う」
《「制度上は校長判断」 橋下市長意欲の小中学生留年で平野文科相》(MSN産経/2012.2.24 12:35)
2月24日(2012年)記者会見。
平野博文文科相「現行制度では、子供の状況によって、もっと学ぶ機会を与えた方がいいと校長が判断した場合に実施するものだ。
本人が学びたいと考えている場合もあるだろう。だが、ほとんど実施がなかったのも事実だ」
《小中学生留年 政府などに慎重意見》(NHK NEWS WEB/2012年2月25日 4時55分)
平野博文文科相(2月24日記者会見)「昔から病気で長い間休んだ場合に留年するということはあり、その一環だと思う。今のルールでも学校長の判断でできることだ」
政府or民主党内1「病気による留年と学力不足の留年を混同すべきでなく、乱暴な議論だ」
政府or民主党内2「集団生活の中で社会性を身につけることも大事で、学力だけが教育ではない」
政府or民主党内3「飛び級ならともかく留年は理解されない」
記事。〈民主党の最大の支持組織である連合のほか、野党側にも慎重な意見があり、今後、議論になることも予想されます。〉・・・・・
「学力だけが教育ではない」と反対意見を述べているのはまさにそのとおりだが、“小中学生留年”教育制度は逆に学力だけを教育と見做している思想が成り立たせ可能としている教育観に基づいていると言える。
「学力」と言えば聞こえはいいが、実質的には詰め込みの暗記知識を問うテストの成績が実態の能力に過ぎない。
社会が、言ってみればバカでもチョンでも学校教育に「学力」を求めるのは詰め込みの暗記知識を問うテストの成績だという認識もなく、いわば真の学力ではない見せかけに過ぎない学力を絶対的な価値観としているからに他ならない。
ここでちょっと断っておくが、以前「バカでもチョンでも」という言葉を使ったら、「チョン」とは韓国・朝鮮人を侮蔑的に指す言葉で、差別語に当たると注意を受けたが、「ちょん」とは江戸時代からある俗語で、「一人前以下であること」と『大辞林』(三省堂)に出ている。
学校社会も一般社会でも学校の生徒がスポーツで全国的に好成績、あるいは最優秀な成績を上げるとその才能を大騒ぎして誉めそやすが、本質のところでは国語や数学や物理等々の成績――学力を、それが例え詰め込みの暗記知識を問うテストの成績に過ぎなくても、人間の価値を計る尺度としている。
いわば、いつも言っていることだが、価値観の多様化の時代だと言いながら、詰め込みの暗記知識を問うテストの成績――学力を相変わらず唯一最上の価値観とし、それを以て人間の価値としているということである。
このような教育観――学力唯一最上価値観が橋下大阪市長をして、習熟度別指導(=学力別クラス編成導入)や“留年教育制度”を選択させることになっている。
もし橋下市長が学力唯一最上価値観に囚われていなかったなら、テストの成績にそれ程拘ることはないだろう。テストの成績に拘らなければ、、習熟度別指導(=学力別クラス編成導入)や“留年教育制度”といった発想は出てこない。
価値観の多様化の時代だと言うなら、学校社会に於いてもテストの成績を唯一最上の価値とせずに児童・生徒が発揮可能とする価値観の多様性を認め、一般社会の多様な価値観に合わせるべきである。
多様な価値観という点で学校だけが取り残されている。
2002年2月10日アップロード、2006年10月2日再アップロードの《「市民ひとりひとり」第128弾「中学校構造改革(提案)」》と、この中の内容の一部を取り上げて、2008年11月18日当ブログ記事――《日本の教育/暗記教育の従属性を排して、自発性教育への転換を - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で学校社会への一般社会と同様の多様な価値観の導入を書いた
ここで一例を上げると、マンガが好きな子どもがいたら、集めて、人数が少なければ学区を越えて集めて、例え通学が遠くなっても自分が好きなことには苦にはならないだろうから、マンガ科を設ける。マンガを書く技術だけを教えるのではなく、海外各国のマンガやマンガの歴史を学ばせて、そういったことを通して一般常識を植えつける方法等を提案した。
最近良く例に上げるのがお笑いタレントやテレビタレントである。テレビのクイズ番組で試す彼らの学力は例外はあるが、小学生レベルの学力さえ備えていないタレントがかなり多く占めていて、学校での学力(=成績)はさもありなんと思わせる程度の低さだが、しかしタレントとして社会を逞しく生き抜いていく力、高い報酬を得る力は決して学校社会で学んだ学力(=成績)によるものではないことは確かで、逆に橋下大阪市長が唯一最上の価値を与え、絶対的としている学校社会の学力(=成績)が最上のものではないことを教えている。
橋下大阪市長にしてもこの現象を見ているはずだが、学校教育と結びつける認識にまで至っていない。
だからこそ、橋下市長は、また橋下市長だけではなく、価値観の多様性を求めずに詰め込みの暗記知識を問うテストの成績に過ぎない学校学力を唯一最上の価値として拘り、追い求める人間が跡を絶たない。
社団法人「日本数学会」が2011年4月から7月にかけて全国の国公立と私立の48大学、大学生約6000人を対象にテスト形式の「大学生数学基本調査」を行ったところ、論理を正確に解釈する能力――論理的思考力に問題があることが分かったという。
《数学 基本理解しない大学生も》(NHK NEWS WEB/2012年2月24日 18時41分)
(詳しくは《「大学生数学基本調査」に基づく数学教育への提言》(社団法人 日本数学会/2012年2月21日)へ。)
論理的思考力欠如の理由は――
○調査を受けた大学生はいわゆる「ゆとり教育」世代で、学ぶ内容と時間が少なかったこと
○学力試験のある一般入試を経ている学生は半数に過ぎないことを挙げている。
新井紀子国立情報学研究所教授「論理的な力を養う数学はすべての基本となり、日本の科学技術を支え、交渉力も育てます。学校で数学や記述問題にもっと取り組んでほしい」
論理的思考力欠如は「ゆとり教育」世代で、学ぶ内容と時間が少なかったからだとしているが、考える力だとか言語力、判断能力といった論理的思考欠如が喧しく言われ出したのは日本の教育が伝統としてきた詰め込み教育の反省に立って1972年に日教組が「ゆとり教育」と「学校5日制」を提起した頃であって、2002年度から学校週5日制完全実施と授業時間縮減、学習内容3割削減のゆとり教育を導入、いわゆる「総合学習」の授業が取り入れられた。
この経緯を裏返すと、ゆとり教育・「総合学習」以前は学校は思考力、言語力、判断能力といった論理的思考能力を身につける教育はしてこなかったということであり、当然の経緯として子どもたちは論理的思考能力を欠如したままの状態で放置されてきた。単に頭に詰め込んだ暗記知識をテストの設問に当てはめる成績のみで学力を判断され、それを以て唯一最上の人間価値とされてきた。
だが、学校教師自体が幾世代にも亘って暗記式の詰め込み教育で教育される制度を伝統としてきたことから思考力、言語力、判断能力といった論理的思考能力を欠いていたために子どもたちに教え、受け継がることができなかった。
また、日本の教育が暗記式の詰め込み教育となっている以上、学校週5日制と授業時間縮減、学習内容3割削減はそのまま暗記する時間、つめ込む時間と暗記内容・詰め込み内容の減少につながっていくのだから、詰め込みの暗記学力(暗記式の詰め込み学力と逆であってもいい。)は当然低下することになる。
これは当たり前のことで、前以ってこのことを予定調和としていなければならなかったはずだが、論理的思考能力を身につけさせることもできない、学力も低下したということでどっちつかず状態に陥った。
「ゆとり教育」が論理的思考能力欠如の原因では決してない。
日本の暗記教育は暗記教育であるがゆえに元々生徒に考えさせるプロセスを省いていたのだから、思考能力が満足につくはずはない。授業時間を増やし、教科書の教える内容を増やして、尻を叩いてせっせと詰め込み、せっせと暗記させれば、暗記学力は身につき、詰め込みの暗記知識を問うテストの成績は確実に上がるだろう。
上がったとしても、そのような教育に応えることができる生徒だけのことで、そのような教育についていけない多くの生徒の低学力だ、中途退学だ、留年だといった問題が片付くわけではない。
また新井紀子国立情報学研究所教授が「論理的な力を養う数学はすべての基本」と言っているが、数学のみが論理的思考を養うわけではないはずだ。
論理とは理(ことわり)を論ずる能力のことを言うはずで、理(ことわり)とはこれこれこうだから、こうである、あるいはこうなるという根拠と結末、あるいは原因と結果それぞれ見い出して、その筋道を提示し、論証することを意味するのだと思う。
この過程に於ける解釈、分析、相対化、関連づけ等は常に数学が基本となるわけではない。社会的時相を分析等を通してその根拠と結末、あるいは原因と結果の筋道を提示し、論証する訓練を行うことで論理的思考能力は養えるはずだ。
また価値観の多様性の観点から言うと、数学が不得手で、数学を自らの価値とし得なくても、他の分野を自らの価値とすることによって生きる力を身につけることはできる。
学校はその手助けをすべきであって、テストの成績を唯一最上の価値観として、子どもたちをその価値観にのみ閉じ込めることではないはずだ。
以上見てきたことからすると、橋下市長の詰め込みの暗記学力を問うに過ぎないテストの成績が悪い小中学生は留年させるといった発想は価値観の多様化時代に反するだけではなく、単細胞・見当違いな機械的教育論に過ぎないと言える。
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1 コメント
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- Unknown (明子)
- 2012-02-26 18:51:13
- ゆとり教育の結果を見てから言いましょう。
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