14日(08年3月)中国チベット自治区ラサで発生した中国共産党政府に向けたチベット人の抗議行動に対する武力鎮圧でラサ市内で少女5人を含む80人の遺体が確認されたとインド亡命チベット政府が記者団に明かしたと言う。
「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」のHPによると、
1950/11/11
・チベット政府「共産中国による侵
略」を国連に提訴
1959/03/10
・ラサでチベット蜂起開始。中国は
チベット人87,000人を殺害し
て蜂起(チベット動乱)を鎮圧
・ダライ・ラマとともに80,000人のチベット人がインド亡命
・周恩来首相、チベット政府の解散を宣言
それ以来、中国によるチベットに対する厳しい弾圧政策。さらにイスラエルのパレスチナ入植と同じ構図の中国人のチベット入植による中国化政策は中国人とチベット人の人口比率を逆転させるまでに至っているという。
そして今回の中国の弾圧政策に対する抗議行動と中国政府による武力鎮圧。
中国のチベット中国化政策をHP<「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」/チベットの教育事情>で見てみる。
<公式には、大学の入学枠のうちの一定数が、毎年チベット人に割り当てられていた。その学費にも、チベットの教育費用の1部が当てられた。それでも、定員の多くは中国人学生に占められているのが実状だ。大学に進学するには、高校を卒業し、倍率の高い入学試験に合格しなければならない。入学試験は中国語で行われるため、チベット人には不利である。そのためどうしても中国人に席を譲ってしまう。近年では、地元で受験に失敗した中国人学生が、チベットに来て再受験するという傾向も増えている。一般にチベットの教育水準は中国よりもずっと低いので、こういった学生でもチベット人となら十分に対抗でき、その結果入学できないチベット人が増えるのである。
1991年にチベットと中国を訪れた第1次オーストラリア人権代表団は、その報告のなかで次のように述べている。
「チベットの教育水準を上げようとする政府決定に私たち一同は注目していたが、多くのチベットの子どもたちは、いまだ正式な教育を受けていないようだ。ラサ地区のチベット人は、小中学校で少数の科目しか勉強する機会がないようである。なかには学校に行ったことがないという子や、経済的な理由から10歳で学校をやめてしまったという子もいた。」>――
<1966年以降、漢化をすることがスローガンとなった。
チベット語は仏教のための言葉だとされ、学校で教えることが禁止された。1960年代のある時期には、僧尼や免状のある俗人教師のほとんど全員が教壇から去るように指示を受けた。チベット語の文法書『三十頌』は「迷信の書」というレッテルを貼られ、教育の場から遠ざけられた。その代わりに毛沢東語録や新聞が教科に組み入れられた。
子どもたちは、チベット仏教は迷信、チベットの因習は「古く青くさい考え」、チペット語は「無用で遅れた言葉」、そして昔のチベット社会は「きわめて後進、野蛮かつ差別に満ちていた」と教えられた。中国人の言うとおりだと同意する人々が進歩的だとされ、反対する人たちは反革命分子、反動主義者、階級の敵などと、さまざまな呼ぴ方をされた。当然ながら子どもたちの世代はみな、自分たちの文化や歴史、生活様式をまったく知らないまま育つことになる。
マルクス主義的な中国風の名前がチペット式の名前に取ってかわり、建物や道路、広場などに名付けられた。また、チベット人の多くが中国風に改名させられもした。ダライ・ラマの夏の離宮ノルブリンカは「人民公園」になった。チベット語は中国語の単語と言い回しによって徐々に侵食されていった。
「チベット自治区」のある中国人官吏は、『チベット民族特集 1965~1985』という著書のなかで、チベット語の使用と学習を妨げる政策を批判的にこう書いている。
「チベット人の先生とチベット語翻訳のできる人間が、とても少なくなっている。その結果、チベット語と中国語の両方において、公文書の利用や発行がとても骨の折れるれる作業となった。チベット語を正しく読み書きできないチベット人役人がひじょうに多い。党の政策をチベット人に布告することもできない。」
中国チベット学研究センターの発行する冊子のなかで、青海民俗学院で講師を務めるサンガイは次のように書く。
「チベット語を使うと経済発展が阻害される、と考える人たちがいる。地方当局は中国語のみを教え、中国語のみを使うべきだとしてきた。この政策が始まってからもう何年にもなる。その結果、人々は中国語はおろか、チベット語も書けなくなった。そして経済は停滞した。」
中国当局は、チベットの教育基盤を改善したがらない。1985年以降、チベット人に対して、より高い教育を受けさせようと努力が払われてきた。しかしそうした結果、中国の大学や学校に送り込まれる学生が増えることになった。成績のよいチベット人の子どもはチベットの学校から引き抜かれ、中国の学校に入れられる。チベット人は当然これに対し、チベット文化の衰退を狙った政策だとして憤慨する。パンチェン・ラマ10世は、チベットの子どもを中国に送っても、彼らをチベットの文化土壌から遠ざけるだけだと言っている。
1985年にラサで英語の教師をしていたカトリーナ・バスは言う。
「この時期、中国では4,000人のチベット人が勉強していました。その子どもたちは、勉学という意味ではまぎれもなく恩恵を受けています。チベットではいまだ設備が不十分なので、チベット人に短期で学ばせるにには、これもひとつの有効な方法であるのかもしれません。
この政策は、1950年代に始められました。現在でも、中国に送られる子どもの数は減ることがなく、政府発表では、チベットに教育費を投じるかわり、1993年には中国に送る子どもの数を10,000人に増やす計画だといいます。
私たちの会ったチベット人の多くが、この政策は、なによりもチベット文化のアイデンティティーを脅かすものだと感じていました。中国からチベットに帰ってきたとき、チベットの伝統を理解せず、むしろ嘲笑する若者が増えています。チベット人のなかには、この政策は中国政府の陰謀であり、チベット文化の価値を内側から腐食させるのが狙いだという人もいます。 」>――
上記事情が事実とすると、中国がチベットに対して行ってきたことは戦前の日本が朝鮮に対して行ってきた「皇民化政策」にほぼ等しい、相互に負けず劣らずの弾圧政策の競い合いと言える。
いわば中国は日本に70年遅れて戦前の日本を演じている。創氏改名、日本語の強制、「内鮮一体」と称しながら、日本人による朝鮮人支配・人種差別・・・。
チベットの子供たちを中国に送り込んで中国化を謀るだけではなく、伝統的な放牧生活を送っている成人チベット人を都市部に住まわせて都市化させ、その伝統的な習慣・民族意識を剥ぎ取る政策を行っていると伝えている昨年7月の記事もある。
≪強制移住で「中国化」進む チベット遊牧民の人権報告≫ (2007/06/18 08:56 【共同通信】)
<【北京18日共同】国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(本部ニューヨーク)は18日までに、中国西部で伝統的な放牧生活を続けるチベット民族が都市部に相次いで強制移住させられ、チベット遊牧文化の衰退と同民族の「中国化」が急速に進んでいるとする報告書を発表した。
同団体は、強制移住政策の背景について「(中国化の推進で)チベット民族の独立運動を弱体化させ、封じ込めようとする中国政府」の思惑が透けて見えると指摘。また放牧地には、上海などから採鉱業者が進出し環境破壊をもたらしているなどとして「遊牧民は深刻な人権侵害を受けている」と警告した。
報告書は実際に移住させられた遊牧民約150人の証言や中国国内の研究論文などをもとに作成。強制移住は2000年以降、チベット自治区と青海、四川など4省にわたる広い地域で実施されていると結論付けた。中国政府はチベット民族の移住人口を公表していない。>――
漢民族、朝鮮民族、日本民族は民族的に兄弟の関係にあり、等しく権威主義を行動様式としている。その素地の上に中国人は思想・言論の自由、信教の自由等の民主的手続きを否定する共産党一党独裁体制の政治を敷いている。
権威主義と独裁体制――「上を絶対として上に従わせる」この二重性が中国では思想や信条、宗教、文化の多様性を認めない、多様性を拒絶する始末の悪さとなって現れているのだろう。チベット人に対してだけではなく、同じ中国人に対しても報道規制といった言論の自由を認めない政策を行う。
日本は民主主義体制を採用しているから思想・信教の自由といった基本的人権は憲法で保障し思想・信教、文化等の多様性を一応認めているが、権威主義の行動性に囚われて民族の多様性の認知に反する日本民族を上に置く「単一民族主義」から抜け出れない日本人が多くいる。
中国の多様性を認めない非寛容さが1989年6月の天安門での民主化要求抗議行動に対しても、1959年の中国のチベット併合に反対して起こしたチベット動乱に対しても、過酷な情け容赦のない弾圧を行い得たのだろう。
そして今回のチベット・ラサでの抗議活動で80人もの死者を出したという世界的な民主化の流れ(=多様性への志向)を否定する武力鎮圧。
再度言う。中国は日本に70年遅れて戦前の日本を演じている。日本が戦前の日本を否定しきれずに擁護する姿勢に囚われているように、中国もそう遠くない将来に現在の中国を振返らざるを得ないときを迎えた場合、戦後の日本のように様々な口実を設けて自己正当化のレトリックの駆使に汲々するのだろうか。やはり自己を上に置きたい権威主義に囚われている以上。
* * * * * * * *
参考までに引用――
≪チベット:ダライ・ラマ「大虐殺」と中国非難≫(『毎日jp』2008年3月16日 20時11分)
【ニューデリー栗田慎一】チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世は16日、ダラムサラで暴動発生後初めて記者会見した。中国当局による鎮圧行為を「大虐殺」と厳しく非難するとともに、「中国が私をスケープゴートにするなら、真相究明のため国際社会の調査を受ければよい」と述べ、中国側に国際調査団の受け入れを求めた。
ダライ・ラマは「自治区では(中国政府による)恐怖統治が続けられてきた」と明言し、チベット文化や民族性を破壊してきたとする中国政府の「同化政策」を改めて批判。暴動はこうした「差別的な対応」に起因するとの見方を示した。
中国当局の鎮圧も「見せかけの平和を取り戻すために力を行使している」と非難。抗議デモは「怒りの表現」と理解を示す一方、「完全な非暴力と平和が私の原則」と述べ、中国国内のチベット人と中国当局の双方に自制を求めた。
北京五輪への対応については「中国は五輪を開催する資格があるし、中国人は自信を感じていい」と述べた。暴動が北京五輪のボイコット運動に根ざしているとの指摘が中国側にあることから、批判をかわす狙いもあるとみられる。
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