谷垣自民党総裁の国家の全体を見ない選挙区「我田引水論」に見る認識不足

2011-11-16 10:45:54 | Weblog

 谷垣自民党総裁が11月14日、党本部で挨拶し、東日本大震災からの復興に向けた民主党議員の取り組み姿勢を批判したという。《我田引水足らぬ=被災地の民主議員を批判-谷垣氏》時事ドットコム/2011/11/14-20:47)

 谷垣総裁「今の政権はふるさとへの愛情が足りない。大災害が起きたとき、被災地選出の議員が財務省と掛け合って予算を付けろと言って大暴れしたって、誰も我田引水なんて言わない。

 私は(地元の)京都に高速道路を通そう、河川を改修しようとやってきた。我田引水せよとは言わないが、今の政権はふるさとをよくするのが責任なんだという認識が甘い。このままいったら日本が駄目になる。(民主党を)早く追い込んで取って代わらないといけない」

 地元利益誘導のススメとなっている。しかも菅前首相が自身の無能を無視して大震災復興を理由に延命を謀ったのと同じく、大震災復興を口実に地元利益誘導を正当化しようとしている。 

 自民党時代の例からすると、「大災害が起きたとき、被災地選出の議員が財務省と掛け合って予算を付けろと言って大暴れ」するのが大物政治家、有力国会議員だったら、どうなるだろうか。

 大物政治家、有力国会議員の「大暴れ」は必要性に的確に裏打ちされていない「大暴れ」のケースが相場となっている。もし必要性に的確に裏打ちされた予算請求なら、「大暴れ」の必要はなくなる。

 また、「大暴れ」はいくら大震災からの復興を名目にしようと、有力議員と非有力議員の地元との間に「我田引水」の地域間格差が生じる危険性大と言える。なぜなら、増税で賄おうと何しようと、復興予算には限りがあり、必要性の裏打ちもなく誰かが他よりたくさん分捕れば、他の誰かが少ない予算で我慢しなければならなくなるからだ。

 民主党政権の今の時代でも、「大暴れ」が演じられた場合、こういった地域間格差が生じない保証はどこにもない。

 かつての自民党時代、有力議員が公共工事で地元利益誘導を謀り、非採算事業化した例が多々ある。彼らにしても「ふるさとをよくする」の美名を利用した地元利益誘導であった。

 自民党の道路族のドン、古賀誠などは格好の例に上げることができる。古賀の選挙区に建設された有明海沿岸道路は「誠ロード」と呼び習わされ、朧大橋は「誠橋」として利益誘導の象徴とされているが、費用対効果の点でどちらも非採算事業とされている。

 いわば交通需要推計や費用便益の過大な算出のもと利益を度外視して、古賀の政治的影響力誇示のみを目的に建設されたということなのだろう。

 自らの政治的影響力を地元に誇示し、自民党有力政治家としての自らの勲章の対象とした。

 《2.高速道路の利用状況》なるPDF記事に次のような記述がある。

 〈我が国の高速道路の利用率13%(2003年)は、国土の広大な米国(31%―2002年)、高速道路ネットワークの充実したドイツ(30%―1998年)はおろか、英国(19%―2003年)やフランス(21%―2001年)に比べてもかなり低い水準である。

また、高速道路の利用率を経年的に見ると、高速道路の整備延長は伸びているが、それに対して高速道路の利用率は横ばいとなっている。

 その結果、わが国では、高速道路に平行した一般道路の交通事故や渋滞、環境悪化の発生が大きな社会問題となっている。〉――

 高額な通行料の問題もあるに違いない。だが、利用の少ない高速道路の建設というのは建設という名に反する逆説そのものである。公共性を持たせた建設は何らかの社会的生産に多大な貢献がなければ意味を失う。

 ましてや赤字を生み出していたなら、その建設に賭けた政策自体の否定となる。

 もし古賀誠やその他の族議員が国家財政や社会の発展具合、国民の生活、諸制度の社会的適合性等々をすべて引っくるめて全体を見、全体を把握していたなら、バランスの良い財政支出を心がけることとなり、無闇に赤字国債を垂れ流すことはしなかったろう。

 例え必要不可欠とする大震災の復興であろうと、先ず長期的展望に立って被災地全体を見て、その全体的展望の中から被災地間のバランス、各復興政策毎のバランスと優先順位、復興予算支出に於ける優先順位と各支出間の全体的バランス等を勘案して、復興事業は公平にスピーディに行われなければならない。

 当たり前のことだが、国家の運営に於いても同じであるように全体が個々を決定するという構造を取るということである。 

 このことは中央と被災自治体との調整によって行われる。「ふるさとをよくする」ことが政権の責任だとしても、同じ手続を踏む調整でなければならないはずだ。その調整がうまくいっていないということなら、政治の資質の問題となる。より多くは菅政権の問題であったし、現在では野田政権の問題となる。「予算を付けろと言って大暴れ」するとか「我田引水」とかの問題ではないし、かつての地元利益誘導をゾンビの如くに蘇らせてはならないはずだ。

 多分、民主党政権の復興の遅れに苛立っていたのかもしれないが、例えそうであっても、谷垣自民党総裁の「我田引水」論は全体が個々を決定するという構造からすると、先ず全体を見て個々の調整を考えなければならないはずだが、そのような手順を踏まない、全体的な認識能力を欠いた発言となっている。

 全体を見る認識能力を備えることによって全体に立つことができ、個々の問題により対応可能となるはずだ。


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