菅仮免の政治家は単に理想を話せば済むわけではない相変わらず単細胞な再生可能エネルギー全面化論

2011-08-01 12:21:37 | Weblog



 脱原発には賛成である。だが、簡単にはその理想を口にすることはできない。脱原発にまで至る道のりは遠く、簡単には行き着くことはできないからだ。そうさせる理由は国民の生活を守ることと併行させて進めなければならないからだ。

 何事も国民の生活を守る重要且つ決定的な要素はコストである。

 菅仮免の原発の危険性から「国民の安全・安心」を守るためと称した脱原発の訴えは正当性を持ち得るが、コスト面からの国民生活の保守を無視した脱原発という理想の訴えとなっている。

 コストは重要である。電力のコストが上がれば、それに応じて企業が生産する製品価格に転化されて、最終的には国民が自ら使う電力料金の値上がり分だけではなく、日々の生活必需品のコスト増を負担することとなって、当然生活が圧迫されることになる。

 菅仮免の7月13日の「脱原発依存」記者会見もコスト面からの国民生活の保守を考えない訴えであったために、国民生活の保守を重視する現実派からの反発によって、「個人の考えを述べた」と後退させざるを得なくなった。

 「個人の考えを述べた」とは政府の政策足り得ないとの宣言に他ならない。

 その程度の理想論だったということである。

 コスト面から国民の生活を守る視点を持たせた脱原発は既存原発の安全を確保しつつ国民生活を如何に守っていくかのスケジュールを併行させた目標達成でなければならないはずで、当然、そういったスケジュールまで備えた脱原発の理想論でなければならないことになる。

 だが、菅仮免は単細胞だからだろう、コスト面から国民の生活を守っていくスケジュールを持たないままに相変わらず理想論だけを振り回している。

 菅仮免が31日(2011年7月)、長野県茅野市で開催の「みんなのエネルギー・環境会議」の初会合に出席。二つの記事からそこでの発言を見てみる。

 先ず最初に《首相、保安院やらせ問題「薬害エイズとそっくり」》asahi.com/2011年7月31日19時17分)
 
 経済産業省原子力安全・保安院のやらせ問題に触れて、行政と業界が一体となった癒着体質を批判、原子力行政の組織再編に重ねて意欲を示す挨拶を行ったという。

 菅仮免「厚生相時代に体験した薬害エイズの構造とそっくり」

 今後のエネルギー問題について――

 菅仮免(震災後、原子力政策に対する考え方が変わったと説明した上で)「しがらみのない立場で抜本的にエネルギーや原子力行政について立て直し、改革していくことが大事だ。今から200年、300年前は山にしば刈りに行ってやれていたのだから、再生可能エネルギーを新しい技術に転換すれば(将来は)全てのエネルギーを賄うことも十分可能だ」

 《再生エネルギー普及、抜本改革が必要~首相》日テレNEWS24/2011年7月31日 20:08)

 菅仮免「9電力体制というものが、こうした地域独占、発送電というものを一体化する形できたわけですが、再生可能エネルギーの導入に対しても、長年、抑制的な力を働かせてきた」

 経産省の原子力安全・保安院が「中部電力」にシンポジウムでの「やらせ発言」を依頼していた問題について――

 菅仮免「薬害エイズの構造とそっくりで、安全性を国民の立場でチェックすべき保安院が逆に、推進する側のお手伝いをこえることをしている。事実なら根本的な問題だ」

 菅仮免は「今から200年、300年前は山にしば刈りに行ってやれていたのだから、再生可能エネルギーを新しい技術に転換すれば(将来は)全てのエネルギーを賄うことも十分可能だ」といとも簡単そうに言うが、「山にしば刈り」の膨大とも言える“労力×時間+ほぼセロに近いコスト”を技術革新によって“ほぼゼロに近い労力×ほぼゼロに近い時間×高コスト+地球温暖化ガス放出”を代償として手に入れることができたのである。

 いわばコストは菅仮免が言うこところの技術革新によって大きな要素を占めることとなった。

 このうち再生可能エネルギーの技術革新によって国民が支払う労力と時間は“ほぼゼロに近い”ことは変わらないとしても、コストの面で現在の水準に同等か水準以下に持っていけるかが重要な課題となる。

 “地球温暖化ガス放出”に関しては軽減できるとしても、現在の原発停止がその電力の火力に振り向けられることによって増加させることになる放出ガスの軽減まで将来的に負担しなければならないことと再生可能エネルギーが十分な電力供給源として軌道に乗るまでの火力に集中することになる原料の値上げ(既にこの理由から電力料金とガス料金は値上がりしていて、低所得層の生活を圧迫しているに違いない)が国民の生活コストを押し上げる要因となって立ちはだかることは予想されることで、政治家が脱原発から再生可能エネルギーへのシフトを提示する場合、生活コスト抑制のスケジュールまで含めなければならないはずだが、菅仮免にはそういった側面は一切ない。

 また現在の世界はグローバル経済の時代であることも無視できない。グローバル化が脱原発から再生可能エネルギーへのシフトによる国民の生活コストを一国の問題で済まなくさせる。

 世界中の全ての主要国が脱原発から再生可能エネルギーへの転化で足並みを揃えるなら、さして問題はないが、安いコストで電力を生産できるからと原発を維持・推進する国とのコスト競争が当然起きることになる。現在既に電力不足の理由からだけではなく、電力コストの上昇を理由に海外に企業を移転させる動きが出ている。

 コストが国際競争力へと撥ね返っていく。

 企業の海外脱出はわざわざ言うまでもなく、その国の経済を減退させ、国力そのものを奪うことになる。

 こういったことまで視野に入れていない菅仮免の「今から200年、300年前は山に柴刈りに行ってやれていたのだから、再生可能エネルギーを新しい技術に転換すれば(将来は)全てのエネルギーを賄うことも十分可能だ」のいとも簡単、単細胞な理想論となっている。

 菅仮免は「9電力体制というものが、こうした地域独占、発送電というものを一体化する形できたわけですが、再生可能エネルギーの導入に対しても、長年、抑制的な力を働かせてきた」と現在の電力体制を批判、7月29日開催の「エネルギー・環境会議」で電力事業の発電と送電部門の分離を促す方針を決めているが、経産省のはぐれ官僚古賀茂明氏が電力規制緩和担当当時の1996年開催のOECDで電力の自由化とその具体策としての「発送電分離」を提案していたと7月31日放送の「そこまで言って委員会」が古賀茂明氏を出演させて紹介していた。

 だが、15年経過していながら、日本の国では発送電分離は実現していない。アメリカやイギリスでは1990年代に「発送電分離」を導入、電力価格の引き下げや自然エネルギー発電の進歩等のメリットをもたらした、日本に引き比べた「発送電分離」の恩恵も併せて紹介していた。

 こういったことの世界と比較した時代的な遅れは国民生活のコスト負担に関する政策を実行し得ていなかったと言うことだから、政治の後進性の証明でもあろう。

 勿論、この後進性は自民党時代が演出した現象ではあるが、だからと言って民主党政権に何も問題がないわけではないことも紹介していた。

 古賀氏は自民党時代の2008年に国家公務員制度改革推進本部事務局審議官に就任、政権交代後、民主党の天下り政策を批判、2009年12月に突然任を解かれ経済産業省に戻り、正式の役職ではない、いわば窓際の官房付に任じられ、海江田経産相から辞職を求められながら、現在に至っている。

 2010年10月15日に参院予算委員会にみんなの党の参考人として出席、政府の天下り対策批判、当時の官房長官仙谷由人から恫喝されている。

 このことは当ブログ2010年10月22日記事――《仙谷官房長官の“恫喝”は思想・信条の自由、職業選択の自由を脅かす発言 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。

 番組での民主党の公務員改革に関する遣り取りから、日本の政治の後進性が民主党政権に関係ないことではないことの一端を示してみたい。

 古賀氏「民主党が公務員改革をやる気がなくなった。私みたいなのがいると困るので(任を解かれた)」

 武田邦彦「公務員改革をやると、必ず切られますよね。一応計算済みですか」

 古賀氏「勿論、そういう霞ヶ関を敵にまわすというのは覚悟の上で――」

 武田邦彦「覚悟の上でですよね」

 古賀氏「で、最後どうなるかと言うと、結局政治がどうするかと言うことです」

 要するに政治が如何に全面的にバックアップして官僚の抵抗を阻止するかに改革の成就はかかっていると言っているが、民主党自らが公務員改革の意欲を失ってしまったためにそのことに応じてバックアップも叶わなかったということで、政治主導、政治主導と言いながら、自民党とさして変わらない民主党の政治の後進性だと言える。

 番組からもう一つ例。

 古賀氏「電力会社がなぜ強いかと言うと、直接(電力会社が)経産省を支配しているというよりも、地域の経済界で圧倒的に力がある。電力の料金と言うのはコストがあって、それに一定の比率をかけたものが利益になる。

 だから、コストはなるべく高い方がいい。普通の会社とは逆。コストが高い方が利益も大きくなる。だから、電力会社は高い値段で買ってくれる。普通の企業は色々納めている。鉄だとか発電機だとか化学系の素材だとか、地域の色々なサービスも買っている。それが非常にいい値段になる。要は買う量が多いと言うだけではなくて、いい商売をさせてくれる」

 原価にかける利益率・利益幅が大き過ぎると儲け過ぎとの批判を受けるが、利益率・利益幅は常識的に抑えて、原価を高くすれば、常識的な利益率・利益幅でも、利益そのものは大きくなる。当然企業としての生産高も大きくなる。

 一地域一社の独占体制で競争がないから、原価を高くすることで売値(電気料金)が高くなってもやっていける。そういった仕組になっている。

 武田邦彦「日本の電気料金がアメリカや韓国の2倍以上高いということが長く続いたのにそれを経産省がチェックしなかった。カネ(税金)が入ってくるから、経産省も電気料金が高い方がいい」

 古賀氏「電気料金の一部が税金で入ってくるから、経産省も電気料金が高い方がいい。それで経済界が電力会社に文句を言えない仕組になっている」

 電力会社による地域経済界に対する暗黙的な支配関係が成り立つこととなっているということなのだろう。当然次のような状況が生じることになる。

 古賀氏「政治家が選挙のときに電力会社を敵にまわすのは怖い。経済界全体を敵に回す恐れが出てくる。それは自民党時代で、民主党になったら、組合があって、電力総連と言うのは連合の中でも非常に強いので、今各地で踏み絵を踏まされているらしい」

 電力会社の発言力が地域経済界で突出しているなら、このことに応じて電力会社の労働組合の発言力も突出することになる。

 村田晃嗣同志社大法学部教授「今の話が正しいとするなら、資本主義のメカニズムの中にビルトインされた社会主義みたいな、そういう役割ですね」

 古賀氏「そのとおりですね」

 辛坊治郎司会者「今の地域一社体制というものを崩さないと日本の国は変わらないと言うことですか、根本的に」

 古賀氏「そうです。菅総理が一番問題なのは、色々と言うことが変わることもありますが、何かやると言ったときに、それがやれる体制になっていないところが問題です」

 三宅久之「人に吹き込まれると、すぐそれを言ってしまう。前後の見境もなしにね」

 政官財癒着の原因ともなっている発送電一体を分離することは確かに必要であろう。だが、政官財癒着の利害自体がその必要性の阻害要因とならないかが問題となる。と同時に政治主導と言いながら、電力の高コスト体質を許すことで放置している国民生活のコスト負担といった足許の見直しなくして脱原発も再生可能エネルギーもないはずだ。

 なぜなら、このような電力会社の利害優先、国民生活コストの後回しは政官財癒着の固定化にもつながって、脱原発や再生可能エネルギーに向けたスムーズな転換への阻害要因ともなり得るからだ。

 菅仮免は理想は言う。だが、それらの発言は以上見てきたように、古賀氏が「何かやると言ったときに、それがやれる体制になっていない」と言ってもいるが、理想実現に必要なクリアしなければならない現実的な要点解決への視点を欠いた、いわば計画性も具体性もない理想だけ掲げる訴えとなっているとしか言いようがない。



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