これから書く内容はすべてブログに既に取り上げているが、菅首相が如何に視野狭窄に出来上がっているかという側面から再度取り上げてみる。
菅首相と福島社民党党首が6日(2010年12月)昼に会談、そこで福島党首は武器輸出三原則の見直しに対する再考を求め、菅首相は翌7日に防衛大綱への武器輸出三原則見直しの明記を見送った。
菅首相は内閣の政策を売ることまでしたのだから、当然それ相応の見返りを計算していたはずである。大方のマスコミが衆院3分の2確保の数合わせだと報じたが、それ以外に社民党に求めるものはなかったはずだ。
その会談で安全保障政策で水と油の社民党と普天間基地移設問題で密約が交わされたのではないかと疑った。交わなければ、武器輸出三原則の見直し撤回のみで民主党と社民党間の政策上の障害を取り除いたとは言えないからだ。普天間移設に関してはそれぞれが個別的政策として扱い、民主党は日米合意を推進、社民党は反対というそれぞれに異なる態度を取るとする密約である。
密約の社民党に於ける見返りは一般的な政策での擬似与党的な位置の確保による自党政策の推進にあるのだろう。
こういった密約を交わしていたなら、民主党は個別的な政策協議に加えることはあっても、社民党側から言うと、社民党は個別的な政策協議に加わることはあっても、全体的な政策協議に加えることも加わることも条件としてあり得なかったはずである。
だが、菅内閣は社民党を公に報道されることになる全体的な予算編成協議に加えた。数合わせの見返りとして連立与党扱いとしているのは頷けるが、個別を破った場合、安全保障政策のタブーに触れる危険性を地雷として抱えることを菅首相は福島党首との党首会談で見通すことができなかったために密約を交わさなかったことになる。
このことは以後の経緯が証明している。社民党は国民新党を加えた民主党との政策責任者による3党予算編成協議で米軍普天間飛行場の辺野古への移設に関する予算計上と法人税減税に反対、民主党は結局3党合意を見送っている。福島党首は来年度予算案について「提出前に合意しない」とまで発言。
この協議で露になったことはやはり民主党と社民党の安全保障政策の水と油の違いであった。水と油の違いを世間に改めて曝け出すために菅首相は福島党首と会談して社民党の数を手に入れるために武器輸出3原則の見直し撤回を行ったわけではあるまい。
考え得る答を12月11日(2010年)のブログ《菅首相と福島社民党党首の武器輸出三原則見直し撤回の会談は何のためだったのか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に、〈最悪の疑いは菅首相が社民党の6名の数を引き入れることだけに目が行っていて、予定していた武器輸出三原則見直しの撤回をカードとして成功すれば、後は障害なく内閣を運営することができると思い込んでいたのではないかという疑いである。〉と書いた。
菅首相の場合、一つのことに目が行くと、他の事が目に入らず、物事を全体的に把えることができない視野狭窄状態になる場面を他にも例として挙げることができる。12月10日の拉致被害者家族会と面会したときの発言もその一つであろう。
菅首相「北朝鮮による砲撃があり、アメリカ軍も含めた一触即発の状況も生まれてきている。万一のときに、北朝鮮にいる拉致被害者をどうすれば救出できるか、準備や心構えなどいろいろなことを考えておかなければならない」
菅首相「救出に自衛隊が出て行って、韓国を通って行動できるかどうかというルールはきちんと決まっていない」
朝鮮半島有事を想定することは間違っていない。だが、救出に自衛隊機が出て行って、韓国を通って北朝鮮にいる拉致被害者を救出するという発言は拉致被害者家族を前にして拉致被害者を救出することにのみ目が行っていたからこそできる視野狭窄な発言としか言いようがない。
この救出方法には北朝鮮の攻撃を受ける可能性への言及が何一つないからだ。攻撃を受けても尚且つ救出作戦を続行するにはその攻撃に対して攻撃を上回る反撃を行わなければ、救出は不可能となる。当然、武力の不行使を規定している憲法9条にも触れることになる。
いわば北朝鮮による攻撃の可能性、憲法9条抵触の可能性まで頭に入れて行わなければならない発言でありながら、救出と言う一つのことにのみ目が行って、ほかの事に向ける目が疎かとなり、物事を全体的に把えることができない視野狭窄に侵されていたとしか言いようがない発言となっている。
当然この発言は野党や一般から激しい批判を受けている。すると翌11日になって、「拉致被害者のみなさんはもちろんですが」と言いつつ、韓国滞在の邦人救出のことを言ったのだと話を摩り替える誤魔化しを行い、韓国との間に協議を進める方針だと発言を変えているが、これも視野狭窄からの発言だと分かることになる。
かつて日本の植民地とされ、日本の軍隊に国土と人権、あるいは人間性や文化・習慣までも蹂躙された韓国の戦後も残る日本の軍隊である自衛隊に抱いている忌避感・抵抗感まで物事を全体的に把え、考えることができずに、韓国との間に前以ての話し合いも準備もなく視野狭窄にも言葉だけ先行させた。
《自衛隊派遣「現実性ない」 韓国大統領府関係者、半島有事の邦人救出で》(MSN産経/2010.12.12 23:57)
大統領府関係者(菅首相の発言がどのような脈絡で語られたか分からないとした上で)「現実性のある話ではない。深く考えて述べたものではないだろう」
一国の首相の公の場での発言が「深く考えて述べたものではないだろう」と看做される、その首相の視野狭窄な認識能力はどのような逆説で成り立っているのだろうか。
諫早湾訴訟2審の堤防の排水門を5年間開けるよう国に命じた判決に菅首相自身の判断で上告断念を決めたことも支持率アップの人気取りにのみ目が行き、結果的に他の事に向ける目が疎かとなった、物事を全体的に見ない視野狭窄な決定となっている。
この件に関する全体的な把握となると、先ず開門に反対する長崎県に上告断念を伝える手続きを欠かしてはならないはずだが、人気取りにのみ目が行っていたからだろう、視野狭窄から為すべき手続きを欠いて上告断念の表明を先にした。
そのため長崎県は猛反発して、国との話し合いを拒否、長崎県知事は法的問題の検討を行う方針まで示している。裁判に訴えるということなのだろう。
そもそもからして今年6月の参院選のマニフェスト発表時の消費税増税発言からして、自身の政策の実現にだけ目を向けた、そのほかの事柄として消費税増税によって生活に打撃を受ける所得層等にどういう影響があるか、どういった配慮が必要かまで物事を全的に見る目を欠き、どういった増税内容とするのかの検討も議論もつけ加えないまま、何の準備もなく不用意に発言したものだった。
そのツケが参院選大惨敗というお返しだったが、視野狭窄が性質から来ているから何ら訂正を利かすことができずに一つのことに目を奪われて全体に向けるべき目を疎かにしてしまう場面を演じ続けることとなっている。
物事を全体的に見る目を欠いた視野狭窄に立った発言だから、当然発言が軽くなり、あとで訂正することになる。
民主党代表選に関係した今年9月1日の共同記者会見でも物事を全体的に見ることはできない視野狭窄な発言を行っている。
1998年の金融国会で民主党、自由党、公明党の野党3党が金融再生法を与党自民党に丸呑みさせた例を挙げ、「ねじれという状況は野党が合意をしなければ物事が進まない。難しい問題も合意すれば超えていける」と、いわば熟議をねじれ国会乗り切りの方法として提示し、参院選大敗によるねじれ状況を与野党話し合いの機会を与えた「ある意味では天の配剤」だとまで言っているが、この発言には野党のときは丸呑みさせることができても、与党となるとねじれによって丸呑みさせられる立場に立つことになる違いに向けて然るべき目を持たなかった。
丸呑みさせられるということは与党の政策を捨てるということで、これ程屈辱的で重大なことはないはずだが、視野狭窄に出来上がっていることに救われて、野党時代の丸呑みさせたことを例に挙げて「天の配剤」だとすることができた。
事実ご覧の通り臨時国会はねじれによって散々に苦しめられ、衆議院では法務大臣の辞任を余儀なくされ、参議院では野党多数を利用されて仙谷官房長官と馬淵国交相の問責決議案を採決されられている。この問責決議案採決は来年の通常国会にまで尾を引く状況となっている。
参院選敗北とその結果のねじれ現象を「天の配剤」とした発言そのものが視野狭窄を象徴して有り余る言葉だと言える。
物事を全体的に把えることができない視野狭窄な認識能力・判断能力は当然指導力、リーダーシップと深く関係していく。視野狭窄な政治家の指導力、リーダーシップなるものは考えることができないはずだ。
仙谷官房長官が15日の記者会見で記者が諫早湾干拓事業訴訟判決に対する上告断念などと同様の首相主導の事例を尋ねたところ、即答できず、「明日までに思い出しておく」(47NEWS)と答え、次の16日の記者会見で15分かけて30項目の首相主導事例を紹介したという。
その中には中国から会談のうちに入れて貰えなかったブリュッセルと横浜で開催の日中首脳会談も入れていたということだから、主導事例全体の程度が最初から知れるというものだが、両会談とも中国側が受けて立つ形で開催した会談だったはずで、ギリギリまで決まらずに日本側がヤキモキした経緯から見ても菅首相主導とは言えない。それを菅首相の主導事例の内に入れる。
大体が指導力、リーダーシップはそれが有効な形で発揮されていたなら、自然と国民の目に映るものだが、政府側がこれこれがそうですよと説明して表に現さなければ納得を得ることができない主導事例とは何を意味するのだろうか。
裏返して言うと、如何に菅首相が指導力、リーダーシップを欠いているかの事例としかならないことの証明にしかならないということであろう。兎に角参院選大敗北とねじれ国会を「天の配剤」と意義づけた菅首相なのである。その「天の配剤」に苦しめられている皮肉な状況からも指導力、リーダーシップを窺うことはできず、当然菅首相が主導したとしている政策にしても視野狭窄だけが露となる、指導力のための指導力へと自己目的化した事例に過ぎないことは以上見てきたとおりである。 |