麻生がマニフェストで言う「責任力」、どこにある

2009-08-02 11:59:15 | Weblog

 7月31日、麻生首相は記者会見して、次の衆議院選挙に掲げるマニフェストを発表した。動画から冒頭の序説部分を取り上げてみる。聞いていて思ったことを一言で言うと、相変わらず誠意のない話し方だな、であった。言葉に重々しさ装わせようと声をことさらに低音に持っていったり、語尾をことさらに伸ばしたり、ときには唇の端を得意気に曲げたりして気取っている間は誠意を身につけることはできない。

 話し方の気取りで自身の思いを訴える姿勢に誠意は芽生えようがないからだ。誠意があれば、話し方など、相手に聞き取ることができる言葉で十分である。誠意がないから、話し方を気取ることになる。気取りが過ぎていいことを喋ろうとする余り、言わなくてもいいことを言って、それが失言につながる。話の対象にされた者を不愉快にする失言が多いこと自体が既に誠意・誠実さを性格として持っていないことの証拠であろう。

 「麻生太郎です。自由民主党のォー、選挙公約を、発表いたします。私がァー、訴えたいことはァー、責任力です。公約にはァー、実現可能なァー、裏づけとォー、一貫性がァ、必要だと思います。自民党にはー、それをォー、きちんとー、お示しし、実現する、力が、あります。他党とのォ、違いは、責任力です。

 公約にはー、マイナスをォー、プラス、プラスをォー、もっとプラスへと、書きました。改めるべきはァ、改め、伸ばすべきはァー、伸ばす。これがァー、政権公約をォー、貫く、考え方です。

 国民のォー、皆さんのー、中には、日本のー、政治に、不安を持ってらっしゃる方が、多いとー、思っております。政府ー、自民党はァー、皆さんへの、気持、配慮が、足りなかったことをォ、率直にィー、認めなければ、ならないと、存じます。

 みなさんのォー、ご不満を、私初めぇー、自由民主党はァー、謙虚にィー、受け止めます。その上で、改めるべきはァー、改め、伸ばすべきはァ、伸ばす。これがァー、自由民主党のォ、姿勢です。

 先ずはァー、改めるのはァ、何か。ここ数年、経済をォー、社会をォー、活性化するために、改革にィー、取り組んできました。しかし、一方ではァー、所得格差がァ、拡大しー、地方がァー、疲弊、するなどォー、ひずみがァー、大きなァ、問題となってきました。これをー、このまま、見逃すことはァ、できません。行過ぎたァー、市場ォー、原理主義から、決別すします、と申し上げました。

 改めるべきはァー、改めてェー、安心社会をォ、実現します。

 私はァー、これまでェ、景気優先でェー、政策をォ、実行してきました。なぜならァ、景気が回復しなければァー、国民の暮らしも、安心できずゥ、またァー、様々なァー、政策をォ、実現するための、財政も、出てこないからです。はなはだァー、異例なことですがァー、半年余りの間に、4度のォー、予算編成をォ、行いました。中小企業やァー、地方への支援、定額給付金、高速道路休日、千円。エコポイント、などなどです。

 これらのォー、取組みのォ、結果、株価はァー、7050円、ぐらいまで下がっておりましたがァー、このところォー、1万円台に回復してきてェー、この1週間、1万円が続いております。

 しかしながら、中小企業のォ、業績や、雇用の造成など、国民のみなさまにィー、景気回復を、実感して頂くまでにはァー、至っていないと思います。いまだ道半ばということです。手綱をォ、緩めることなく、景気回復をォ、確かなものにしていく。これがァ、基本です。

 4度の経済対策に於いてはァ、国民生活の安心にィー、特に、力を入れました。従業員をォー、解雇しないでェー、頑張っているゥ、企業にィ、対してはァー、国がァー、給与や、手当のォ、一部をォ、肩代わりすることによってェ、毎月ィー、約240万人のォ、雇用を守って、おります。失業保険がァー、貰えない方ぁー、そういった方々ぁ、職業訓練に通ってぇ、技術をー、身につけようとする。そういう意欲のある方々にはァ、単身者には月10万円、家族がおられれば、月、12万円をォ、支給しております。

 子育て支援としてェー、妊婦検診をォー、14日分、無料にするためのォー、助成も、行っております。母子家庭についてはァー、安心したァ、仕事に就けるようォー、職業ー、訓練にィー、通ってる方にはァ、月、14万円をォ、給付するなどォ、支援にィ、力を入れております。これらのォ、実績の上に立ってェ、安心社会の実現をォ、お約束します。

 私がァー、目指す、安心社会とはァ、子どもに夢をー、若者には希望をォー、そしてェー、高齢者には安心を、であります。全世代、全生涯を通じて-、安心保障をー、つくります。これをォー、実現するためのォー、政策をォ、加速します・・・・」

 そして、「具体的にはァー・・・・」と具体政策に入っていく。

 麻生の話し方は前段の各文節の最後の言葉の各助詞の語尾をことさらに伸ばして、最後の文節をきちっと言い切るパターンとなっている。それが相手の胸に響く言い方だと思っているのだろうが、言葉をことさらに伸ばし過ぎる点に気を取られることと、それがまどろこしさを与えて、喋り方だけが耳につき、中味が伝わってこない。元々中味の薄い話だから、なおさらである。

 「私がァー、訴えたいことはァー、責任力です」と言っている。

 そして、「日本の政治に不安を持ってらっしゃる方が多いと思っております。政府自民党は皆さんへの気持、配慮が足りなかったことを率直に認めなければならないと、存じます」と言っている。

 さらに「みなさんのご不満を私初め自由民主党は謙虚に受け止めます。その上で、改めるべきは改め、伸ばすべきは伸ばす。これが自由民主党の姿勢です」と言っている。

 次に改める具体的な点に言及している。

 「ここ数年、経済を、社会を活性化するために、改革に取り組んできました。しかし一方では所得格差が拡大し、地方が疲弊するなどひずみが大きな問題となってきました。これをこのまま、見逃すことはできません。行過ぎた市場原理主義から決別すしますと申し上げました」

 「決別します」の断言ではなく、「決別しますと申し上げました」と、断言にワンクッション置いている。以前、「決別します」と言っているのだろうが、政策立案の正式のバックボーンとすることを謳った政治方法論としてマニフェスト公表に絡める以上、「決別することを改めてここに誓います」といったふうに宣言すべきだが、そうはしないでかなり弱めた断言となっているのは、会社経営者出身の政治家らしく、自身も「行過ぎた市場原理主義」に身を置いていて、決別し難い感情があるからではないか。

 いわば「行過ぎた市場原理主義」が国民に大不人気になっていることから、選挙対策上打ち出した「決別」ということだから、断言が直接的ではなくなってしまったということではないだろうか。

 「100年に一度の大不況」以前は小泉自民党政治の市場原理主義に基づいた労働派遣規制緩和の力を借りて大企業は軒並み戦後最高益を出したが、その利益を従業員に還元せず、企業だけが利益の独り占めを行って、戦後最高益の勲章に浸った。企業経営者は万々歳だったはずだし、企業利益を代弁する自民党の幹部の一人として、元々は労働派遣法の規制を緩和した自民党政治のお陰だと麻生太郎も鼻を高くしたはずである。労働者を正社員としてではなく、派遣や請負の非正規社員として人件費を安くして使うことが企業の国際的・国内的競争力を高め、競争力の獲得に応じて利益を生み出す。

 このような市場原理主義を政治政策面から支えた自民党政治家の一人として存在していたはずである。いわば市場原理主義一味であった。一味と言っても、幹部に位置していた。

 元会社経営者としても、政治家としても、それが本質的な姿であり、自身も一味に加わって拍車をかけた行過ぎた市場原理主義政策の行き着いた成果が現在の政治不信・生活不安、社会の不安定でありながら、「日本の政治に不安を持ってらっしゃる方が多いと思っております。政府自民党は皆さんへの気持、配慮が足りなかったことを率直に認めなければならない」とさも謝罪しているかのように見せかけているが、それは「政府自民党」に肩代わりさせた謝罪に過ぎず、一味として加わった自身の責任感から発した謝罪とはなっていない。

 いわば政府自民党から自身を脇に置く狡猾な罪逃れ・責任逃れを手続きとした「マイナスをプラス、プラスをもっとプラスへ」、「改めるべきは改め、伸ばすべきは伸ばす」となっているに過ぎない。

 ここで既に「私がァー、訴えたいことはァー、責任力です」が真っ赤なウソと化す。

 当然、「改めるべきは改める」といった姿勢を示されても、自身の責任を脇の置いた人間の言うことだから、それが「政権公約を貫く考え方です」と言われても、信用しようがない。「改めるべきは改めて、安心社会を実現します」にしても、簡単には修復できないところにまで歪めてしまった今の不安心社会をつくり出した大本の一人が言っていることだから、俄かには納得できるものではない。

 「私が目指す安心社会とは子どもに夢を、若者には希望を、そして高齢者には安心をであります。全世代、全生涯を通じて安心保障をつくります。これを実現するための政策を加速します」も眉唾となってくる。

 多くの国民にとって、麻生太郎が何を言おうと、既に信用できなくなっているのではないだろうか。

 麻生の言う「責任力」が信用できない、見せ掛けの言葉に過ぎない証拠をごく最近のインターネット記事から挙げてみる。

 先ず自民党はマニフェストで「天下りの根絶」を謳っている。

 「天下りを根絶。指定法人、認可法人等の常勤役員については、その数の3分の1超、または65歳以上の所管府省出身者を認めない」(河北新報/2009年08月01日土曜日)

 麻生は7月21日の両院議員懇談会でも、同日解散後の記者会見でも天下りの根絶を主張している。

 「行過ぎた、市場原理主義からは、決別します。社会保障予算のー、無理な削減はやめます。さらにー、徹底したー、行政改革であります。国会議員の削減、公務員の削減、天下り・渡りの廃止。行政のー、ムダをー、根絶しなければなりません。官僚のー、特権はー、許しません。同時にー、自由民主党の、改革もー、疎かにすることはできないと存じます。

 国民からー、厳しい目をー、向けられておりますー、いわゆる国会議員の、世襲ー、候補者につきましても、特別扱いはしません。総裁としてー、党改革実行本部のー、方針を踏まえ、党とー、国会のー、改革をー、進めて参ります」(両院議員懇談会)

 解散後記者会見では簡単に片付けている。

 「国会議員の削減、公務員の削減や天下りとわたりの廃止、行政の無駄を根絶します。増税は、だれにとっても嫌なことです。しかし、これ以上に私たちの世代の借金を子や孫に先送りすることはできないと思います。政治の責任を果たすためには、選挙のマイナスになることでも申し上げなければなりません。それが政治の責任だと思います」 (首相官邸HP)

 こう何度も言い、「私がァー、訴えたいことはァー、責任力です。公約にはァー、実現可能なァー、裏づけとォー、一貫性がァ、必要だと思います。自民党にはー、それをォー、きちんとー、お示しし、実現する、力が、あります。他党とのォ、違いは、責任力です」を事実と前提するなら、簡単に実現する「天下り根絶」であろう。

 だが、昨8月1日の「asahi.com」記事――《文科省「渡り」人事発令 総選挙前に駆け込み?》を読むと、「天下り根絶」がかなり実現疑わしい公約となってくる。

 「天下り根絶」が疑わしいと言うことなら、「私がァー、訴えたいことはァー、責任力です」も疑わしくなってくるのは当然の推移であろう。

 記事は、文部科学省が公立学校の教職員や都道府県教育委員会の職員らの共済事業を行う文部科学省所管の認可法人公立学校共済組合の理事長に元文部科学審議官で独立行政法人・日本学生支援機構理事の矢野重典氏(61)を充てる人事を決めたというものである。

 この理事長の椅子は歴代、同省OBの天下りの「指定席」となっているという。

 この矢野某は文部省を古巣として独立行政法人・日本学生支援機構理事に天下る前に国立教育政策研究所長を2年8カ月程天下っていて、これが最後かどうか、文部科学省所管認可法人公立学校共済組合理事長という一つの頂点に登りつめる。

 これは記事も触れているが、典型的な“渡り”の構造を成す天下り転職であろう。

 しかもこの共済組合の理事長は文科相が任命すると法律が定めていて、それだけ箔がつき、天下った職場で幅を利かすことができるというわけなのだろうが、塩谷文部科学大臣が任命者となると伝えている。

 文部科学省からはさらに退官したばかりの銭谷真美前事務次官が同じく8月1日付で独立行政法人・国立文化財機構の組織の一つである東京国立博物館の館長に就くことが決まっているという。

 記事は最後に、「同省幹部は『渡りをするなら、総選挙前の今のタイミングしかない』と話す」と駆け込みである内情を伝えている。

 麻生首相が表で「責任力」を掲げて「天下り根絶」を誓う。その内閣の一員が裏で任命者となって天下りの判を押す。尤もマニフェストは政権を取ってから4年間の政策目標だから、厳密に言うと今回発表したマニフェストに違反するわけではないと言えるかもしれない。だからこその「渡りをするなら、総選挙前の今のタイミングしかない」巧妙・狡猾な駆け込みなのだろうが、「私がァー、訴えたいことはァー、責任力です」と言っている「責任力」は大分怪しくなって、どこに「責任力」があるんだということになる。

 但し「天下り・渡りの弊害」は古くから言われていた問題であって、自民党がそれを満足に解決できなかったのは、官僚と官僚に味方する政治家の抵抗があったからだろう。08年6月30日に可決・成立、08年12月31日施行の「改正国家公務員法」は再就職の斡旋を新しく設置する「官民人材交流センター」に集約して渡りを含む省庁の斡旋を禁止したが、センターが機能するまで3年間は再就職等監視委員会が承認の運びとするところを民主党が国会同意人事に反対、同委が宙に浮くと、麻生首相は渡りを禁止する方針を打ち出していたものの、経過措置として「必要不可欠と認められる場合」に渡りを行い得るとした「政令」を閣議決定して、ここで麻生首相は天下り・渡り容認派の姿を現した。

 その証拠が麻生の次の発言である。

 「渡りが出る確率は極めて低い・・・・(例外的に認める場合でも)渡りが何回も行われることは考えていない。・・・・(例外規定とした理由)国が大事に育てた人材で経験は極めて高く評価される。『ぜひ』という声が出た場合、それを拒否するのはいかがなものか」 (日刊スポーツ09.1.9)

 「渡りが何回も行われることは考えていない」が天下り・渡り容認の象徴的な言葉となっている。1回や2回はいいと言っているのである。

 08年9月29日の第170回国会の「麻生内閣総理大臣所信表明演説」 でも天下り・渡り容認派の姿をはっきりと見せている。

 「行政改革を進め、ムダを省き、政府規模を縮小することは当然です。

 しかし、ここでも、目的と手段をはき違えてはなりません。政府の効率化は、国民の期待に応える政府とするためです。簡素にして国民に温かい政府を、わたしはつくりたいと存じます。地方自治体にも、それを求めます。

 わたしは、その実現のため、現場も含め、公務員諸君に粉骨砕身、働いてもらいます。国家、国民のために働くことを喜びとしてほしい。官僚とは、わたしとわたしの内閣にとって、敵ではありません。しかし、信賞必罰で臨みます。

 わたしが先頭に立って、彼らを率います。彼らは、国民に奉仕する政府の経営資源であります。その活用をできぬものは、およそ政府経営の任に耐えぬのであります」(首相官邸HP)――

 麻生が「官僚とは、わたしとわたしの内閣にとって、敵ではありません」と表現することで、天下り・渡りを容認したのである。もし麻生太郎が天下り・渡りに厳しい姿勢を示していたなら、当然官僚の抵抗を予定事項としなければならない必要上、「敵ではありません」は危機管理を欠いた間違った表現と化す。

 例え「彼らは、国民に奉仕する政府の経営資源であります。その活用をできぬものは、およそ政府経営の任に耐えぬのであります」と活用を訴える必要から「敵ではありません」としたのだとしても、天下り・渡りの問題は別個に扱っただろう。

 だが、この所信表明演説では一言も天下り・渡りについて触れていない。「国民に奉仕する政府の経営資源であり」ながら、天下り・渡りを通じて、国の「資源」を損なっている一部官僚の存在であるにも関わらず何らの言及もない。

 こういった認識が麻生の頭の中には毛程もない天下り・渡り容認派だから、触れないで済ますことができる。

 自民党がその弊害が叫ばれてきたにも関わらず、これまで天下り・渡りを容認してきたのは、政治家の無能を補って、政治家としての体裁を一通り維持してくれるその貢献に対するご褒美として位置づけているからではないだろうか。

 もし天下りも渡りも認めなかったなら、政治家だけが政治献金・口利きを駆使していい思いをし、官僚に対してはやらずぼったくりとなって、自分たちの無能を補う便利とならない恐れが出てくる。

 このように麻生も深く関わっている天下り・渡り問題を一つ取っても、「私がァー、訴えたいことはァー、責任力です」は実体を伴うことのない単なる言葉に過ぎなくなってくる。

 最後に、「私はこれまで景気優先で政策を実行してきました。なぜなら、景気が回復しなければ、国民の暮らしも安心できず、また様々な政策を実現するための財政も出てこないからです」と言っているが、これは上をよくして、下を上に従わせる権威主義の衣を纏わせた“景気回復先にありき”のハコモノ観からの景気対策であろう。

 優先順位をつけずに「国民の暮らし」が安心できる方策をも併行させて景気を回復させていく対策を講じなければ、企業だけが利益を独占し、一般国民は利益の配分から外された戦後最高益時代に後戻りする危険性を抱えることになるのではないだろうか。

 私自身は、「景気が回復しなければ、国民の暮らしも安心できず」の麻生の考え方に国民に対する「責任力」を見ることはできない。自分たちが壊した国民の生活でありながら、景気回復を前提として、国民の暮らしの安心を次に持ってきている。何のために不況下に於ける「セーフティネットの必要性」の議論が盛んに行われたのか、その意味を失う。

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麻生「高齢者を如何に働かすか」と言っている場合ではなかった完全失業率

2009-08-01 10:38:05 | Weblog

 6月の完全失業率(季節調整値)は前月を0.2ポイント上回る5.4%で、過去最悪の5.5%に迫る水準となった。〉と昨31日の「asahi.com」記事――《失業率悪化、5.4% 有効求人倍率は最低の0.43倍》が伝えている。

 題名に書いてあるように有効求人倍率は過去最低。それも〈前月を0.01ポイント下回る0.43倍で2カ月続けて〉の過去最低を更新だそうだ。

 〈完全失業者は前年同月比83万人増の348万人で、増え幅はこれまでで最も大きい。理由別では、勤め先の都合が同62万人増の121万人と大幅に増えた。自己都合は4万人減の97万人となり、4カ月ぶりに減少した。 〉――

 「勤め先の都合」とはクビ切り・解雇にあったということであろう。それが62万人増加した。「自己都合は4万人減」と言うものの、「有効求人倍率過去最低の0.43倍」で分かるように再就職の機会が少ない中、「97万人」もいるのは驚きだが(女性の結婚による専業主婦化もかなり含まれているに違いない)、それでも「4万人減」は次の就職先を考えると我慢して勤めなければならない状況を示しているのではないだろうか。

 但し有効求人倍率は下げ幅が小さくなっており、下げ止まりの兆しが出てきたというが、全体の有効求人倍率0.43倍と比較して正社員の有効求人倍率は0.24倍だそうで、非正規社員に向けた恩恵の低い「下げ止まりの兆し」と言うことができる。

 その上、〈新たな求人数は前月比4.2%増で、昨年12月以来6カ月ぶりに増加に転じた。 しかし、新たな求職数も同2.7%増と4カ月ぶりに増えたため、景気の先行きを示す新規求人倍率は、過去最悪だった前月とほぼ同水準の0.76倍にとどまった。〉という状況は求人企業が一方で出現しているものの、依然として解雇企業が存在し続けていることを示している。

 この状況は記事の最後で伝えている〈昨年10月から今年9月までに、解雇や雇い止めなどで失職する非正社員は、前月の集計より6千人多い23万人。派遣が14万人と6割余りを占める。同じ期間に失職する正社員は、100人以上の離職事例の集計だけで4万1千人だった。〉としている状況に符合するが、「昨年10月」以前に既に失職していた非正社員数は出ていない。

 この「23万人」は「NHK」記事――《非正規労働者 約23万人失職》によると、7月21日の時点で実数「22万9170人」だそうで、その内訳を詳しく伝えている。

 ▽派遣労働者が13万9341人
 ▽期間従業員が5万1420人
 ▽請負労働者が1万7953人

 都道府県別の統計を見ると――

 ▽愛知――3万8733人
 ▽長野――1万 119人
 ▽静岡――  9473人
 ▽三重――  8667人
 ▽東京――  8156人

 今まで景気のよかった県がより大きな影響を受けている。

 そして、〈次の仕事が見つかった人は、就職活動を把握することができたおよそ10万1000人のうち35.1%にとどまり、再就職は厳しい状況が続いています。〉と就職困難な現況を伝えている。

 完全失業者は348万人で、「解雇や雇い止めなどで失職する非正社員は、前月の集計より6千人多い23万人」ということだが、5月1日の「asahi.com」記事――《非正社員の失職、20万人超す見込み 厚労省調査》には、1カ月30人以上の離職者を出す事業主に対して事前の提出を義務づけている「大量雇用変動届」からの統計として、3月中の届け出972事業所での離職者数は4万9082人。割合は正社員が21732人、非非正規社員が27350人で、非正規社員が5618人上回り、4万9082人に対して約56%を占めるいる。

 不況による解雇が非正規社員に先行・集中して行われたことを考慮に入れて、上記56%を完全失業者は348万人に当てはめてみると、あくまで概算だが、正社員失業者数153万を42万人上回って約195万人の非正規社員失業者数となる。

 非正規社員の地位の極端な不安定さから見たら、約195万人を超える非正規社員失業者数ということになるかもしれない。

 同じ昨31日の「asahi.com」記事――《国民年金納付率、最低の62.1% 記録問題・不況響く》の内容は題名どおりだが、政府は納付率80%を目標としているが、それを下回る過去最低の「62.1%」、3年連続の納付率の低下で、未納者は加入者の1割を超える315万人に達しているという。

 その原因を、「厚生年金に加入していたサラリーマンら約30万人が国民年金に加入した」ものの、「失業して保険料を払えない人も多く、納付率を前年度から0.9ポイント分下げる要因になった」としている。
 
 7月29日の『朝日』社説《論点・安心と負担2―若者への投資を急がねば》は次のように書いている。

 〈派遣労働者など非正社員は、働く人の3人に1人を占めている。年収200万円以下の労働者は1千万人を超えた。これらの人々は中高年になっても、なかなか賃金が増えない。
 不安定な所得のため健康保険の保険料が払えず、正規の保険証を取り上げられた世帯が100万を超す。国民年金の保険料未納は20代後半で5割だ。 〉――

 「国民年金の保険料未納は20代後半で5割」、「非正社員は働く人の3人に1人」、「年収200万円以下の労働者は1千万人を超える」。そして「完全失業者数348万人」、「昨年10月から今年9月」の間だけでも、「解雇や雇い止めなどで失職する非正社員は、前月の集計より6千人多い23万人」・・・。

 そして、学歴主義社会日本で企業の求人対象として(女性の結婚対象としても同じだが)最も持て囃される大学生でさえも、彼らの現時点での就職内定率は昨年同時期と比較して1~2割減という状況。

 こう見てくると、麻生首相が今月の25日に横浜市内で開催された日本青年会議所(JC)の会合で、「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違い働くことしか才能がないと思ってください。働くということに絶対の能力がある。80過ぎて遊びを覚えても遅い。遊びを覚えるなら青年会議所の間ぐらい。そのころから訓練しとかないと。60過ぎて、80過ぎて手習いなんて遅い」(毎日jp」などと小賢しげに得々と言っている場合ではなく、国民年金保険料未納が5割にも達する20代後半の若者世代、あるいは多分その多くが蓄えもなく失職している非正規社員等を対象とした就業機会の創出に先ずは面と向き合った主張を訴えるべきだったのではないだろうか。

 例え全力を上げて景気回復に努めていると言っても、優先順位から言ったなら、若者の就業によりウエイトを置いた視線を常に持ち、機会を捉えてはそのことを訴えるべきだったろう。

 今月30日の省庁横断「若年雇用対策プロジェクトチーム(PT)」の初会合で麻生首相は1990年代の「失われた10年」に出来(しゅtったい)させることとなった「就職氷河期」世代――いわゆる満足な就職ができずにフリーターや非正規で凌ぐこととなり、それが常態となってしまっている世代の再現を防ぐ意味で、「『ロストジェネレーション(失われた世代)』を再び作ってはならない」と指示したということで、一見若者世代にも目を配っているようには見えるが、この配慮が麻生太郎の中で常に強く意識した固定観念となっていたなら、また一国の政治指導者として固定観念化させておくべき配慮でもあるのだが、20歳~40歳を年齢的なメンバー資格としている日本青年会議所という場での講演である以上、自然と出てくる話題は満足な就職の機会を手に入れることができない若者世代を対象に如何に働く場所を創り出し、提供するか、「働くということに絶対の能力がある」はずだからといった内容でなければならなかったはずである。

 だが、景気が回復して雇用状況が大きく改善されない限り、一旦リタイアした高齢者の再就職の機会は限られるだろうから、緊急な課題とはならないはずだが、「働くことしか才能がないと思ってください」とか、「80過ぎて遊びを覚えても遅い」とか余分なことまで言って、高齢者に働く機会を提供して彼らを納税者に仕立てる、それが日本が目指す「明るい高齢化社会、活力ある高齢化社会」だ、このような「高齢化社会の創造に成功したら、世界中、日本を見習う」などと高齢者雇用を中心に話を展開させている。

 緊急な課題としなければならない若者世代の雇用機会創出に関しては意識の中心にはなかったからこそできた高齢者中心ではなかったろうか。

 麻生は2006年9月1日の広島市で開催された前々回の総裁選討論会「中国ブロック大会」でも、「65歳以上の人のうち本当の意味での寝たきりは15%しかいない。あとの85%はまわりが迷惑するくらい元気。こういう人は働くしか才能がないといえば語弊があるが、あんまり遊んだことはない。そういう人たちをうまくおだてて使うことが会社経営者の才能」(《“高齢者の85% 迷惑するほど元気” 麻生氏が暴言 自民党ブロック大会》2006年9月2日(土)「しんぶん赤旗」)と高齢者を「うまくおだてて使う」ことを以って日本の高齢社会とすべきことを社会保障の観点から主張したそうだが、このことからも麻生太郎と言う政治家の意識の中心にある持論だと分かる。

 「うまくおだてて使う」高齢者雇用を以って日本の高齢社会とする主張は他でも述べている。この主張が麻生太郎の意識の中心にある優先課題の持論であることの補強証拠となり得る。

 2001年10月24日の〈中央政治大学院 「秋季特別講座」Ⅲ〉で『わが国経済の再生に向けて』と題して当時政務調査会長だった麻生が講演している。

 「マスコミでは高齢者の現状について、暗く貧しく独居老人のような報道がなされてますが、2270万人のうち寝たきり老人はたったの13%。あとの80%の人は大変元気に過ごしています。皆さんの自宅にもそんな元気な爺さん婆さんがいると思います。

 また65歳以上の老人はお金を持っている。日本には1400兆円の資産があるといわれていますが、その半分は老人が持っている。資産には債権もあれば債務もあるが、債務を引いた純債権で換算すると71%は高齢者が持っている。その元気な人たちを隅っこに追いやっているのが若い人たちなんです。高齢者はおだてて使うべき。働く意欲がある。特に、大正か昭和一桁生まれの人。働くことが何よりの生きがい。日本だけです、退職してガックリとしてしまうとこは。寂しく退社するのは日本だけ。そういう国が日本なんです。寂しい理由は『やる事』がないからです。だから、金の使い先も知らない。日本の高齢者には元気であるにも拘らず趣味が乏しいので、意欲のある人には働いてもらえばいいんです。1週間に3日でもいい。優秀な技術者などたくさんいると思います」

 断っておくが、私は69歳間近の68歳だが、月8万3千円程度の国民年金で蓄えもなく、節約の上に節約を重ねた正真正銘の貧乏人で、「65歳以上の老人はお金を持っている」と断言した中には決して入らない。

 「寂しい理由は『やる事』がないから」、「日本の高齢者には元気であるにも拘らず趣味が乏しい」は若いときの生き方に問題があるはずだが、そのことには触れずじまいである。

 小泉純一郎が内閣を発足させたのが2001年4月26日、その年の「日本経済は、年初から景気後退を続けた。13年の実質経済成長率は-0.5%と3年ぶりのマイナスとなった。年後半にはIT不況に米同時多発テロが重なり景気悪化が一段と鮮明になった。世界的な景気減速傾向のなかで、輸出、設備投資が落ち込み住宅投資も悪化、さらに個人消費の低迷が深刻化した。百貨店の売上げは持ち直しの兆しが見られたが、スーパーは低迷。家電は4月以降、自動車は9月以降前年割れ。外食や海外旅行は落ち込んだ。」とHP《広告景気年表:2001年》 に書いてあるが、「100年に一度」と言うことだから現在とほぼ同じとは言えないだろうが、失われた10年と地続きの「2001年」の不況の年であるにも関わらず、麻生太郎は中央政治大学院の『わが国経済の再生に向けて』との講演で、「いま、経済全体としては縮小しています」の発言はあるが、若者の雇用に関して一言も喋っていない。若者の雇用があって、『わが国経済の再生に向けて』があるはずだが、麻生太郎の中ではそうなっていない。

 と言うことは、省庁横断「若年雇用対策プロジェクトチーム(PT)」会合での麻生太郎の「『ロストジェネレーション(失われた世代)』を再び作ってはならない」の指示は「若年雇用対策」を議題とした会合だから口にした、官僚の指示を受けたかどうか分からないが、「『ロストジェネレーション(失われた世代)』を再び作ってはならない」の疑いが限りなく濃くなる。

 優先的に目を向けるべき若年層の雇用問題、高い非婚率といった弊害まで生じせしめている生活貧困の問題を差し置いて、高齢者の雇用を優先課題の持論とし、世界中に日本を見習わせようとしている。

 麻生太郎と言う人間の程度が分かる。

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