現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

伊那の余話 児玉竹坐

2009-04-06 21:53:15 | 今後の予定
4/4、5の「百鬼どんどろ」公演での竹坐氏の衣装には
参った。『乞食僧』という名目で、尺八を吹きながら
登場するのだが、その衣装である。樵が被るような
三角山笠に黒紗がかけられ、顔を隠している。白の
厚手の衣を重ね着し、頭から弁慶頭巾のように、黒の
布を巻いて背中に長く垂らしている。室町時代の絵に
見たことがあるようなスタイルだ。最後に笠を取って
現われた顔が、これまた目と口だけあいた白い面。
死に顔だった。唖然。立ち姿も尺八を吹く指使いも
絵になる。「お主も、なかなか役者じゃのう!」。

私が竹坐氏を知ったのは、トム・ディーバーから。
H14年、私がNHK、BSで特集されたのをトムが見て、
NHKに問い合わせて、私の所在を知り、電話を掛けて
きた。その頃丁度、彼も民放の取材を受けて放映され
たのを私が観ていた。不思議なものである。お互い、
たまたまテレビを付けたら、観たのだ。見るべき
番組は自然と見るようになっている。観るべき運命に
あるのだ。運命は必然か。

そして、H16年、経蔵寺で開催された「伊那谷尺八
コンサート」に招かれ、出演した。その時、児玉氏を
紹介された。それ以来、毎年、1、2回は、児玉氏と
トムのお宅を訪問するようになった。

今年は、5月30日(土)、飯田市の人形の館で『竹竹
(たけだけ)の会』が行なわれるとのこと。早速、私も
出演を約束してきた。児玉竹坐氏も吹奏される。

私一路と竹坐、対象的な二人の演奏は、きっと見応え、
聞き応えありますぞ。新潟の長谷川氏は早速、今日
先ほど「聴きに行きます」と電話をくださった。


私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

日記@BlogRanking

伊那の余話 トム・ディーバー

2009-04-06 20:00:36 | 虚無僧日記
4/4 名古屋から、カメラマンの丹羽氏も車で馳せ参じた。
ETCで1,000円だ。予想外に高速は空いていたとのこと。
公演は夜なので、それまで二人でトム・ディーバーの家に
遊びに行くこととした。トムの家は、児玉竹坐氏宅から、
車で10分ほど、さらに山の上。

トムは知る人ぞ知る、アメリカ人の尺八家。もう30年も前に、
この伊那の山奥に移り住み、尺八作りにいそしんできた。
“変なガイジン”として、たびたびマスコミの取材を受けて
いる。

この日は、東京から3人の息子と孫の4人が来ていて、
もう来年の冬に備えての薪割りとのこと。なにせ電気・
ガス・水道の無い山奥なのだ。水はポンプで地下水を
汲み上げる。その動力は自家発電機。ガスはプロパン。
暖房は薪ストーブだ。間伐材をもらい受けてきて、
チェンソーで 5、60cmに輪切りにし、それを4分割して、
軽トラックで四杯分の薪を作り、家の裏に積み上げる。

毎年恒例の行事で、成人して東京に住んでいる息子
たちが、この日は必ず、手伝いに帰ってくるのだと。
こんな山奥で育てられ、反発もしただろうに、みな
素直で明るい子供たちだ。丹羽氏のカメラで、家族
そろっての記念撮影。

日本人でさえももう住まない純和風の農家。トイレは
もちろんポッチャントイレどころではない! 下には
大きな樽が置いてあり、そこに溜まったら???、どこか
に運んで行くのだ。たぶん肥料にするのか。山の上から
流すわけにはいかない。

以前、泊めてもらった時、懐中電灯を持って、夜中に
トイレにはいったら、カサカサカサと不気味な音。
1mもある蛇がいてびっくりした。「目くら蛇に怖じず」
懐中電灯で照らさなかったら、判らずに平気だった。
なまじ明かりがあって見えたから良くないという話。

虚無僧の私以上に虚無僧生活なのだ。おそれいりや
の鬼子母神でござりまする。


私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

日記@BlogRanking

百鬼どんどろ 岡本芳一

2009-04-06 19:30:39 | 虚無僧日記
4/4 夜9時、公演が終わって、人形師の岡本さん
宅へ。「百鬼どんどろ」のアトリエ 兼 住まいは、
飯田よりずっと北の上伊那郡飯島町。

中を見せてもらった。おどろおどろしい人形の首が、
ずらっと並ぶ。能面のようで、なまめかしい女の顔。
目玉が無いから、不気味でもある。

飯田は、毎年「人形劇」のフェスティバルを開催し、
人形を町起しにしているというので、可愛いらしい
人形劇を想像していたが、岡田師の人形の舞は、
寺山修二の「天井桟敷」や舞踏、大駱駝艦に通じる
世界だ。

70年安保で荒れた時代。既存の文化をすべて破壊
しようとした時代だった。浅間山荘事件の頃だ。
あの時代からみると、岡本師の人形の舞は、随分
おとなしく抑制されている。

10/23 津市で、一絃琴の眞道さんの創作『小野の
小町』に尺八伴奏を頼まれている。老婆となった
小町が若い頃を回想するストーリーだから、岡本師の
「人形の舞」はピッタリなのだが、津の常識的な
じいさん、ばあさんたちが見たら「???」だろうな。


メールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp です。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

日記@BlogRanking

飯田の江戸彼岸桜

2009-04-06 15:54:24 | 虚無僧日記
長野県飯田市周辺の桜は、江戸彼岸桜か枝垂れ桜が
ほとんどだという。染井吉野は、江戸時代半ば、
江戸彼岸桜と大島桜を交配してできた一代雑種で、
日本全国にある何万本もの染井吉野は、全部、元は
同じ木。一本の木から枝分かれして育ったもの。
そしてその樹命は、わず60年。戦後各地で植えられた
染井吉野は、今樹命を迎えて、最後の輝きを放って
いるそうな。

それに対して、樹齢何百年という桜の古木は、日本
古来の山桜か江戸彼岸桜枝垂桜なのだとか。

飯田市のH. P. に「水上勉の『桜守』に『一つの町で、
これだけ桜の古木があるのは珍しい』と記されているのに、
意外と知られていない」とあった。たしかに、私も知らな
かったが、飯田の桜は、赤やピンクがかっていてきれいだ。

飯田の町は、天竜川の河岸段丘上にあり、斜面が多いので、
古木の桜が遠くからでも見られることも特長。

4/5 再度、瑠璃寺を虚無僧姿で訪ねたら、「桜守」と称する
ガイド付きで、カメラを抱えた桜見物ツアーに遭遇。
さっそく、「桜と虚無僧の写真撮影会」となり、カメラマンの
注文に応じて、モデル気分とあいなった。

私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

日記@BlogRanking

法竹と人形師の舞

2009-04-06 07:02:13 | 虚無僧日記
行ってきました。 4/4 .5 飯田市と下伊那へ
観てきました。  岡本芳一師の妖艶な人形の舞
聴いてきました。 竹坐師の幽玄な法竹の響き

まず、行きは一般道を通って4時間で飯田に到着。帰りは、
飯田ICから恵那まで高速を使い、あとは一般道を通り、
3時間で帰着。高速代は1,700円で済んだ。往復300kmだが、
飯田と上伊那、下伊那を往還し、全行程400kmを超えた。

さて公演は、4日の瑠璃寺は雨で、やむ無く会館内。
5日は経蔵寺の境内で行なわれた。屋内と屋外、違った
シチュエーションで観れて、私としては大満足。
瑠璃寺、経蔵寺ともに桜はほぼ満開。飯田の桜は、
染井吉野より前の江戸彼岸桜や枝垂桜で、樹齢何百年
もの大木。妖しげな美しさがある。

その桜の下での、岡本芳一師の人形がまたまた妖しく
狂おしい。
「中有」とは死後49日までの間。まだ成仏できないで
現世と冥土をさまよう魂の世界とか。能面の「小面」より
あでやかで美しい女の面が、一瞬にして、目や口が崩れた
死に顔になる。白と赤の布を巧みに使っての岡本師の操る
人形(ひとがた)の面が空を舞い、息を呑む。

それに竹坐師の地無し管の響きが、見事にマッチし、
緊張感を漂わす。竹坐師は、何本かの長短尺八を使い、
切り裂くような高音から、地を這う低音まで、縦横無尽の
超絶技巧。たっぷり1時間、「竹」の響きを満喫した。

ところで、サプライズ。観客の一人が「一路さんですか」と
声をかけてこられた。立派な体格の御仁。「ブログを
見てます。あなたのブログを見て、今日の公演を知り、
新潟から来ました」と。なんと新潟は新発田市から。
私の叔父であり、尺八の師である山室重遠を知っている
とのこと。驚き桃の木、桜の木。この方については、
今晩あらためて書きます。

私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

日記@BlogRanking