現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

親鸞の妻

2009-04-15 09:25:26 | 五木寛之
五木寛之『親鸞』

話は戻るが、範宴(後の親鸞)が、吉水の法然の元に
通い始めた時、紫野の妹鹿野に呼び止められ、姉の消息
など聞かされる。姉紫野とは腹違いの妹だけに、鹿野は
田舎育ちの明るい屈託のない娘だった。その鹿野に範宴が
「どうじゃ、法然房の話は。ありがたいお話ではなかったか」
と聞くと、鹿野は「別に」とにべもない。村娘にとっては、
高僧の説法より、念仏を唱える若い僧たちのセクシーな声や
顔立ちに惹かれていたのだ。その後鹿野は、甲斐甲斐しく
範宴の世話をするのだが、範宴の心が、いつまでも自分より
姉の方にしか向いていないことを知って嫉妬する。

そして、範宴への腹いせもあってか?鹿野は、法然の高弟
遵西房の誘いに乗って、いかがわしい会合で身を任せてしまう。
法然の高弟といえども、表では高邁な言葉を吐きながら、
裏では、念仏→陶酔→セックスという五木の設定は大胆で
面白い。このような話は、一面、宗教につきものだ。

五木『親鸞』は、以前、當麻御前に惚れ、惚れられ、彼女を
自分の身代わりに殺している。鹿野も行くへ不明。その罪を
悔いて、犬丸の所に助けを求めてきたのだ。

親鸞の妻については諸説あってはっきりしないが、吉川英治
『親鸞』では、月の輪関白九条兼実の娘玉日姫となっている。

さらに、妻は二人、それも同時期に二人いたという説もある。
さて、五木『親鸞』は、紫野と鹿野の姉妹を同時に妻にする
のか?。(果報者じゃのう)。まさかとは思うが。

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4/15 五木寛之「親鸞」

2009-04-15 06:57:00 | 五木寛之
五木寛之の『親鸞』。
このところ、親鸞が意中の人紫野と、その妹の鹿野を
めぐっての色恋沙汰で、「女性は仏道修行の妨げ、
困ったものよ」という目で読んでいたが、今朝、
五木寛之の意図がようやく解った。
範宴改め棹空(しゃくくう=後の親鸞)が、元下人
だった犬丸の妻サヨに説教される。

「(夫の)犬丸は人買い業です。だから自分たちは
神も仏も縁の無い極悪人だと承知しています。たく
さんの人を踏み台にして坂をのぼり、人をだし抜いて
商売を広めてきました。必死になればなるほど、真剣
に生きようとすればするほど悪を避けることはできま
せん。お武家衆は戦場で人を殺して生き残ります。

そんな私たちを救ってくださるのは、偉いお坊さまじゃ
ない。わたしたちよりもっともっと罪の深い、極悪中の
極悪人が「この自分でも救われるのだよ」と教えて
くださってこそ信じられる。世間のお坊さまほど罪の
深い方々はいません。だったら心底、極悪の自分だと
悟ってくださらねば。ほどほどの悪人に悪人面されたん
じゃ、迷惑というものです。自分はおまえたちより十倍
も百倍もの極悪人なのだと、はっきりおっしゃってくだ
さいませ」

う~ム。五木寛之の『親鸞』。ますます核心を突いてきた。
「念仏を唱えるだけで救われる」というカンタンでいて
難しい問題をどう解いてくれるのか。「中途半端な悪人面」
とは私もそうだ。「世間の坊さんほど罪深い人はいない」
とは、言いえている。戒を守るべき僧が、飲む打つ買うの
やりたい放題。嘘だらけ。人を騙すことでは人買いと変わ
らぬ。それも中途半端な悪人の真似事か。

これを書いていて思った。現代の派遣業も、往古の人買いと
同じかと。みな人は罪深い。


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