現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

フィギア・スケート

2009-04-19 21:10:07 | 虚無僧日記
千代田生命広報部在籍時、スケートの渡辺絵美さんを
取材したことがあった。

生命保険にご契約いただいての、社内報の「有名人
契約」欄の取材だった。「深夜にスケートリンクを借り
切って練習するため、昼間は寝ている」とのことで、
不機嫌だった。それでも、カメラを向けてシャッターを
切る瞬間だけ、ニコッと笑顔になった。「スマイルの
絵美」のイメージ通りの顔が社内報には掲載された。
もう30年以上昔だが、「スケートリンクの貸切費用や
アメリカ留学で2~3億ものお金が要った」とのこと。
いやはや、オリンピックで優勝するのは大変なこと
なのだ。

実は私の娘も、フィギアスケートの関東学生選手権で
金メダルを獲った。大学の情報誌に載っていた。
知らなかった私は情けない父親だ。毎朝4時起きして
後楽園に通っていたそうだ。スケートシューズや
コスチューム代だけでなく、転倒して生傷が絶えず、
治療代にもえらいお金がかかるとか。

練習中にぶつかって骨折し、それでも大会に出場して
優勝した執念は、「さすがわが娘よ」と自慢したいが、
えっ?『あんた、父親の資格無いでしょ!』って?
すみません。


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フィギァと吟剣詩舞

2009-04-19 20:53:25 | 虚無僧日記
詩吟人口の高齢化が進む中、「大総連」の大会に、
毎回、和歌山県新宮市から参加する二人の姉妹が
いる。飯田直子と浩子姉妹。小学生の時から大人
顔負けに上手い。もう5年たったから、二人とも高校
生になったか?今日の吟も鳥肌が立つくらいウマ
かった。妹の方がスケートの浅田真央にそっくり。
売り出す機会と場があればと思うのだが。無いね。

ところで、名古屋は伊藤みどり以来、フィギァ・
スケート王国だ。今を時めく浅田真央のおかげで
中京大学も知名度があがった。安藤美姫はトヨタ。

名古屋はフィギァスケート熱は高く、小さい頃から
練習に通っている子が多い。吟剣詩舞の世界でも、
東海地区には全国トップレベルの子供がいる。だが、
身内の会しか披露する場、観てもらう場が無いのが
気の毒である。

“歴女ブーム”到来で、吟剣詩舞もどうですかね。
コスプレ衣装をつけて、森蘭丸や前田慶次郎に
なって舞ってみるのもいいと思いますが。


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4/19 大総連大会

2009-04-19 18:45:53 | 虚無僧日記
4/19 能楽堂での「大日本吟剣詩舞道総連盟」の
大会で尺八伴奏を務めてきた。
「大日本」と名前は大きいが、所詮名古屋を中心と
する30ほどの会派が集まった寄り合い所帯。
それでも、こんな大きな会は、私にとっては年に一度
あるか無いかの大仕事。

朝九時半から午後4時まで120曲。途中式典で20分
ほど中断しただけで、正味6時間。限界への挑戦で
ある。詩吟も皆上手だったので、尺八も乗った。
ばんばんに吹きまくって完奏し、まだ余力が残った。
あと20人、1時間はいけそうである。

20~30年前は、東京でだが、一つの流派の大会で
150~200番くらいはあった。その当時でも7万円
以上いただいていた。今はとてもそんなにいただけ
ない。詩吟界も会員が激減。その上、伴奏はCD
でのカラオケが普及してきたので、尺八伴奏は頼ま
ない会も増えてきた。

10年後には詩吟も消滅する。尺八の仕事も無くなる。
「吟じます」のエロ詩吟漫談、天津木村に頑張って
もらいたいが、詩吟界の人でも「天津木村を知らない」
だと。だめだこりゃ。


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4/19 能楽堂で詩吟の伴奏

2009-04-19 01:54:33 | 今後の予定
いかん、もう寝ないと。今日4/19は、朝9時半から
午後4時半まで、名古屋能楽堂で、一日詩吟の伴奏。
昼の休憩も無しだと。

虚無僧で6時間ぶっ通しを体験しているから大丈夫。
時々、眠りながら吹いていることもある。

今から2時間寝て、4時には起き、「朝起き会」に
行きます。では、おやすみなさい。

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消えたわけ

2009-04-19 01:43:47 | 虚無僧日記
ブログを書いて、最後に『投稿』をクリックすると、
一瞬にして記事が消えてしまった訳がわかりました。

実名の「牧原一路」やメールアドレスをブログ内で
記入しますと、「セキュリティ対策」でブロッグ
されてしまうのでした。それをいちいち「解除」して
からでないと、アップできないのでした。

「ブログがブロックされてアップできずアップアップ」

「パソコンが 壊れたわけはなんでもないーのよ」、
私の“たわけ!”でした。ガチョーン。もう古い!


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「友の和」掲載記事内容

2009-04-19 01:42:19 | 虚無僧日記
情報誌『友の和』に取材記事が掲載されましたので、
一部を要約して転載させていただきます。

平成の虚無僧 牧原一路さん

①脱サラの後(のち)

27年間勤めた生保会社が希望退職を募った時、50歳に
なった牧原さんは、迷いなく手を挙げ、虚無僧に。
異色ともいえる経歴に、当時多くの新聞やテレビに
取り上げられた。内容は決まって「安定を捨てて
虚無僧に」。「しかし」と牧原さんは言う。「会社
勤めをしていた時の方が、精神的不安でいっぱい
でしたね。経済的安定は捨てても、それに代えがたい
精神的安定を得ましたね」と。

②尺八は難しいもの?

小学校の課外授業に度々招かれる。子供達は「楽器
だから音が出るもの」と素直に練習し、しばらくすると
何人かは、曲を吹き始める。
ところが60歳過ぎた大人はそうはいかない。「尺八は
難しいもの、音が鳴らないもの」との思い込みがある
から、ちょっと吹いて鳴らないと「やっぱり尺八は
難しい。首振り3年っていうもんね」と、鳴らない
ことで、妙に満足してしまう。自分の考えが間違って
いなかったと確信してしまい、それ以上兆戦しようと
しないのだ。

「10年かけてわかりかけてきたことは、こだわりを
捨てれば、今まで見えなかったものが見えてくる。
過去やプライドを捨てれば、もっともっと世界は広がり、
楽しく穏やかに生きられるということです」と。

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「友の和」 2

2009-04-19 01:41:27 | 今後の予定
情報誌『友の和』のつづき

③目の前の聞き手の想いが尺八の音(ね)となる

「尺八は吹くものに非ず」。「え!吸うもの?、打つもの?」
「吹くことにこだわってるうちは、人の心を打つことは
できない。周囲の“気”や、聞き手の想いを吸い込み、
音が導き出される。尺八は聞き手の人の“気”を吸って、
その人の心を打つもの」

④明も暗も心のうち

虚無僧を目にした人の反応もさまざまだ。「有難い」と
手を合わせてくださる方。「布施するといいことあるかも」
とご利益を求められる方。憐れんで喜捨されるかた。
見下して軽蔑の眼差しを向ける方。罵声を浴びせ唾を吐く人も。
「同じものを見ても、善と見る人、悪と見る人。明も暗も
その人の心の持ちようひとつ。明にあっては明、暗にあっては
暗、そのどちらにもこだわらず柔軟に生きる。それが虚無僧。

⑤「風が吹かなければ吹いてゆけ」

皆さんご存知のとんち一休さん。虚無僧になって旅をしていると、
顔見知りの山伏が声を掛けてきた。「一休さんどちらへ?」と。
「風に任せて」。山伏は「風吹かぬ時はいかに?」。一休は
すまして「吹いていくわい」と、尺八を吹いて立ち去った。

「この話が、私を奮い立たせた。リストラ、不景気、尺八の
仕事が来るのを待っていたのではだめだ。虚無僧となり、
多くの人との出会いを求めていこう。世捨て人でも、現実
逃避でもなく、自らの足で立ち、歩き、生きていこう」と。

「不安なニュースばかりの現代。一休さんなら『平気、平気、
なんとかなるさ』と私たちに言ってくれるでしょう」。
インタビューの後、そう穏やかに微笑みながら、今日も牧原
さんは街頭に向かわれた。


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4/25, 26 京都へ

2009-04-19 01:41:01 | 今後の予定
今日4/25 は、これから京都に行きます。
大徳寺で、尺八の三好芫山氏とツトム山下、
笛の赤尾美千子のライブがあるとか。ヤマハの
竹内氏に誘われ観てきます。外は大雨。
私は“晴れ男”なのだが、竹内氏は“雨男”。
過去5回、彼との付き合いはいつも大雨。

三好芫山氏は、なんとジョン海山ネプチューンの
師匠。私も一時期ネプチューンに師事していたので、
芫山会に出させてもらったことがある。芫山氏は、
京都明暗教会の理事としても尽力されてり、私にも
いろいろ面倒みてくださっている。

明日は晴れるだろう。京都に一泊して、虚無僧しな
がら金戒光明寺の会津藩墓地に墓参り。元治元年
(1864)禁門の変で亡くなった先祖牧原宗仲の墓前で
「手向け」を献笛してきます。