昨年、私が津市で尺八公演を頼まれた際、前半の講演者が
阿部龍太郎氏だった。阿部氏は、中日新聞夕刊に『下天を
謀る』と題して、藤堂高虎について執筆を始めたところだった。
藤堂高虎は、四国宇和島から津に転封となった。元は豊臣方
でありながら、徳川家康に最も信頼された大名だ。生涯に
担当した築城は、宇和島、津、伊賀上野、今治、丹波篠山、
伏見、和歌山、江戸城等14 にも及ぶ。
「それなのに、世間一般にはあまり知られていない藤堂高虎を、
中日新聞連載を機に、有名にして、津の町興しに利用しよう」
というような内容の講演だった。
昨年夏、私は四国に行ってきたので、宇和島城は見てきた。
和歌山城も、転勤で3年住んでいたので知っている。
伊賀上野城も行ったことがある。石垣の高さは日本一。
上から見下ろすと目がくらむ。
こうした築城のことも、中日新聞連載中の『下天を謀る』で
知った。朝刊の『親鸞』とともに、夕刊も楽しみにしている。
だが、夕刊をとる人は、名古屋ではほとんどいないのだ。
私の住んでいるマンション16世帯中でも、我家1軒のみ。
これは意外だった。藤堂高虎は、農民から出世し、豊臣から
徳川の世に変わる難しい時代を実にうまく生き抜いた。
そんな智慧も学ぶところは多い。
私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
阿部龍太郎氏だった。阿部氏は、中日新聞夕刊に『下天を
謀る』と題して、藤堂高虎について執筆を始めたところだった。
藤堂高虎は、四国宇和島から津に転封となった。元は豊臣方
でありながら、徳川家康に最も信頼された大名だ。生涯に
担当した築城は、宇和島、津、伊賀上野、今治、丹波篠山、
伏見、和歌山、江戸城等14 にも及ぶ。
「それなのに、世間一般にはあまり知られていない藤堂高虎を、
中日新聞連載を機に、有名にして、津の町興しに利用しよう」
というような内容の講演だった。
昨年夏、私は四国に行ってきたので、宇和島城は見てきた。
和歌山城も、転勤で3年住んでいたので知っている。
伊賀上野城も行ったことがある。石垣の高さは日本一。
上から見下ろすと目がくらむ。
こうした築城のことも、中日新聞連載中の『下天を謀る』で
知った。朝刊の『親鸞』とともに、夕刊も楽しみにしている。
だが、夕刊をとる人は、名古屋ではほとんどいないのだ。
私の住んでいるマンション16世帯中でも、我家1軒のみ。
これは意外だった。藤堂高虎は、農民から出世し、豊臣から
徳川の世に変わる難しい時代を実にうまく生き抜いた。
そんな智慧も学ぶところは多い。
私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp
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