ドフトエフスキーの小説は登場人物が多いうえ、名前が長くて難しいし、しかも愛称で書かれている箇所も多く、読むのに大変。それに、この光文社古典新訳文庫では登場人物紹介のページがないので、仕方なく自分で名前のリストを作り、それを見ながら読んでいる。
そうそう、地名も覚えにくい。ロシアの固有名詞に馴染みが薄いんだよね。
そのかわり、といっては何だが、巻末に訳者の読書ガイドが付いていて、それが、読む手助けをしてくれる。
この第2巻では、相続の手続きを終え、金持ちになったムイシキン公爵が、ペテルブルグに帰ってくる。恋敵のロゴージンやエパンチン将軍一家たちと再会し、旧交を温める。しかし、第1部でムイシキン公爵の求婚を断ったナスターシャは、とっくにロゴージン夫人となっているはず、と思いきや行方不明。
こういった女性は、べらぼうに金がかかるんだから、ロゴージンと結婚すればいいのに、何を迷ってるんだ!!! いくら絶世の美女といっても、時とともに容色は衰えていくんだから、今が潮時だよ!とナスターシャに諭したい。
季節は夏で、ムイシキン公爵も周りの人たちも、皆、郊外の別荘に出掛けて行く。大金持でなくても別荘は持てるようで、色んな人が別荘地で気持ちのいい季節を過ごす。
この小説を読んでいると、当時のロシアの中流以上の人々の仕事って、社交と恋愛で、まともに働いている人って何処にいるの?と思う。主人公のムイシキン公爵にしても、遺産が転がり込んだだけで、継続的に収入が見込める領地や職業を持ってるわけじゃないんだ。資産はどんどん減っていくのに、この先、どうするんだろう。
職業軍人も退役軍人も、どっさり登場するが、ギャンブルや酒、女に夢中で、彼らが戦えるとは到底思えない。
彼らに支払われた給与は国費で、全くもって無駄!!! クリミヤ戦争(1853~1856)で負けたのがよく分かる。
農奴解放令は1861年に公布された。これですぐ近代化が進むわけではないだろうが、世の中は少しずつ動き出す。資本主義が発達し、貧富の差が絶望的なほど大きくなる。
この「白痴」は、そんな時代の話のはずなのに、この平和さ・のどかさは何? と思って読んでいたら、途中から登場しました。「ニヒリスト」が。いや「ニヒリスト」の先を行く人々が。
ムイシキン公爵の恩人である故人の遺児を名乗る人物と、その取り巻きが現れ、ムイシキン公爵が受け取った遺産の分け前を要求。もちろん法的に何の根拠もない要求だが、ムイシキン公爵が「恩義を重んじる高潔な人物」だと聞きつけ、要求してきたのだ。
彼らの演説がすごい! しゃべるしゃべる。「法的に権利がないにしろ、道義的な権利、自然の権利、常識と良心の声が求める権利がある。」素晴らしい!!! 今のプーチン政権にはない(と思われる)思想信条の自由が、この19世紀後半のロシアにあったんだ!!
ドストエフスキーの小説を読むと、本当に色んな事がわかります。
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