日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

発想をシフトする時代

2009-06-02 11:01:56 | ビジネス
「新型インフルエンザ」がここ愛知県下でも、発症患者が出た。
ハワイ帰りの女性というコトのようだ。
相変わらず、近所のドラッグストアーではマスクが完売・入荷予定不明という状態になっている。
といっても、予防効果が低いといわれているガーゼマスクは、若干あったのだが・・・。

ただ、神戸や大阪のような大規模集団発生は、一応終息に向かっているようだ。
そんなコトもあり(?)今日の毎日新聞には、新型インフル:企業の損失437億円 休校時に親も休むとという記事が掲載されている。

この記事を読んで、フッと考えてしまったコトがある。
それは、親が子どもの看病で休むと、企業の損失ばかりが言われることへの疑問だ。
確かに企業側から見れば、損失なのかも知れない。
だが、社会全体でみた場合どうなのだろう?
なにもこれは、「新型インフルエンザ」に限ったことではなく、子どもの看病や親の介護などといった場合、何かと「経済損失」的モノの見方が一般的になり過ぎているのでは?と、考えてしまったのだ。

そのため、フルタイムで仕事をするお母さんは、子どもの看病で休むことへの後ろめたさがあり、職場も冷たい(雰囲気になる)という。
まして、お父さんが休むとなると「どうして、男が子どもの看病で休むんだ!」という冷淡な見方がされてしまう。
それは介護にも言えることで、「介護が大変なら施設に入れたら?」的雰囲気になりがちだ。
ところが、本人がその状況になると「周囲の理解が得られないから」という理由で、退職に追い込まれるコトになってしまうのだ。
そのようなコトは、本当に企業にとっても社会にとっても「幸せなコト」だろうか?

企業の経済損失ばかりが謳われると、社会の価値観はどうしても「企業寄り」になりがちになってしまう。
だが、子どもの看病によって得られる社会利益というモノもあるはずなのでは?
同様に、親の介護によって得られる社会利益もあると思うのだ。
例えば、「看病や介護」という経験を社会に、フィールドバックさせるという方法だ。
社員が経験したコトは、目先の収益には結びつかないだろう。
だからと言って、その経験は企業に損失をもたらすことではないと思うのだ。

そろそろ、企業寄りの経済損失ばかりを見る発想から、社会全体の経済利益を考える発想の転換が迫られているのではないだろうか?