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「国葬」のあるべき姿を感じさせていただいた、エリザベス2世の葬儀

2022-09-20 20:52:45 | 徒然

日本時間の昨日の19時から始まった、英国のエリザベス2世の国葬。
BBCの中継をネットで拝見させていただいていたのだが、「国葬とは、こうあるべき」という「荘厳で格調高い葬儀」だったような印象を受けた。
エリザベス2世の国葬なのだから、当然と言えば当然なのだが、国葬が始まる前エリザベス2世の棺が置かれていたウェストミンスターホールには、13時間余りかけて最後のお別れをしようと、一般国民が長蛇の列を作っていた。
そしてハイドパークを始めとする、様々な場所に設置された大型ビジョンで、ウェストミンスター寺院での様子を思い思いに見ている、市民の姿があった。
君主として70年余り英国連邦に君臨をした、という時間の長さはもちろんだが、多くの国民に愛されてきた国王であった、ということを印象付けた国葬でもあったように思えたのだ。

その一方で来週予定されている、「安倍元総理」の国葬で、国民に愛された首相という葬儀になるのだろうか?と、疑問に感じたのだ。
エリザベス2世の国葬のように、宗教的な荘厳さのある葬儀にはならないにせよ、問題なのは「国民から支持されてきたのか?」ということなのだ。
エリザベス2世の場合、確かに宗教的儀式に持っとった葬儀ではあった。
「宗教的儀式」があったから、荘厳だったのか?と言えば、決してそうではない。
会場や葬儀の雰囲気が、国葬として相応しいのか否か、ということではないのだ。

上述したように、エリザベス2世へ最後の別れを伝えたい、という人達が13時間近くの時間と労力をかけた、という事実が「国葬とは何か?」ということを示しているような気がしたのだ。
岸田首相は、「在位の長さ」により「国葬に値する」という趣旨のことを話しているようだが、「在位の長さ」という点では、エリザベス2世のほうが遥かに長い。
ただ長かったから、多くの国民があのようなお別れを告げに長蛇の列を作ったのか?と言えば、それは違うだろう。
いくつかのテレビ局が取材・インタビューを受けた英国民の多くは「愛している」という言葉を使い、エリザベス2世の死を悼んでいた。
この「愛している」という言葉が象徴するように、君主として多くの国民から愛されてきたからこそ、「国葬」に値するのではないだろうか?

エリザベス2世自身は、第二次世界大戦直後から現在に至るまで「国民に捧げる生き方」を実践されてきた(ように思う)。
だからこそ、国民が信頼し、エリザベス2世という国王を愛することができたのだ。
では安倍元総理は、同なのか?
16億円という費用をかける事にも、疑問を感じるところはあるが、安倍元総理は、エリザベス2世のように多くの国民から支持され、愛されるような政治家だったのか?
そこが問題なのだ。

自民党葬で行うのであれば、それは自民党の問題だ。
おそらく、安倍元総理の下でオイシイ思いをされた議員さんや行政にかかわる方々は、いたはずだ。
そのような方々が、自主的に「自分たちなり葬儀をし、安倍元総理を悼みたい」というのであれば、それはご自由に!ということになる。
それを「国葬で執り行う」と、閣議決定をしたことで、問題となっているように思うのだ。

岸田首相を始め「国葬」に賛同された方々は、エリザベス2世の国葬を見て、どう感じ・どう思ったのだろう?



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