今年も、酷暑というよりも殺暑と言ったほうが良いのでは?というほどの暑さが続いている。
このような殺暑の中のお盆休みとなった訳だが、帰省する電車や高速バスの中でフッと思ったことがある。
それは「思考力と読解力」ということだった。
ここ2,3年人の話を聞いていて「え!」と思うことがあった。
それは「本を読む」ということと「考える」ということが、結びつかないという方が案外多いということだった。
「本を読みながら、考える」と言ったほうが、分かりやすいかもしれない。
人にはそれぞれの読書スタイルがあるので、どのような読み方が一番良いと言い切れるわけではない。
ただ、「本なり新聞(最近はネットニュースなど)を読みながら考える、あるいは考えながら本や新聞(ネットニュース)を読んでいる」という人が、少ない(あるいは少なくなってきている)のでは?という気がしたのだ。
今から40年以上前、受験生だった私はこの時期「英語の長文読解」に、悪戦苦闘をしていた。
教科書に掲載されている英文が受験に出ることは無いので、とにかく長文を読みこなすことが受験の近道と言われていたからだ。
そうすると、英文を読みながら日本語を考え、分からない単語が出てきても前後の単語や文全体から理解する必要となる。
分からない単語一つに、躓いている場合ではないのだ。
元々、現代国語の授業でも文章全体を読み、その内容の概略的なものを理解した上で、文をバラバラにし、分かりやすいように組み立て直す、ということをしてきたので、もしかしたらそのような思考で英文の長文を読んでいたのかもしれない。
ただ、ぞのころに身に着けた「読みながら考える、考えながら読む」という習慣が、思考力と読解力を鍛えたように思う。
そしてこの「思考力」を単発的なもので終わらせない為の作業が、「思考を重ねる」ということになる。
「思考を重ねる」というと、どこか難しそうな印象を持たれるかもしれないが、「単発の思考を広げ・重ねる」ことで、より思考力は深まっていく。
一つのアイディアを広げる為に、キーワードをノートに書き足していくのと同じ作業を繰り返すのだ。
それをノートに書き起こすのか?自分の頭の中で展開するのか?の違いなだけなのだ。
ノートに書く方が、忘れることが無いのでお勧めしたいのだが、移動中のバスや電車の窓からボンヤリと風景を眺めている時に、思い浮かぶことが多い為、とりあえず頭の中で展開することになるのだ。
しかしこの「読みながら考える(あるいは考えながら読む)」ことが苦手な方は、ボンヤリとした時間を持つことも苦手なようで、すぐに正解を求める傾向があるようだ。
確かに、様々な情報が飛び交い判断力を求められることも多い現代社会だが、案外瞬時の判断力が求められる時というのは、ルーティンでは対応できないような時のほうが多いのでは?
とすれば、ルーティン以外のことをしている時は、時々ボンヤリする時間を積極的につくり、自分なりの「思考力を鍛え、思考を重ね、思考の文脈」をつくるようにしてみてはいかがだろう?
「AIが活躍する時代だからこそ、ボンヤリする時間をつくる努力が必要なのでは?」と、高速バスの車窓から見える夏雲を見ながら思った、お盆休みだった。
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