日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

変わりつつあるオリンピック

2012-08-13 08:00:58 | ビジネス
ロンドンオリンピックが、閉幕。
長いような、短いような・・・2週間余りだった。
時差の関係もあり、寝不足気味になったと言う方も多くいらっしゃるかも知れない。

そんなロンドンオリンピックだが、時代の変化だな~と感じさせられるコトが多かった大会であった、と言うコトも事実だろう。
とにかく日本の場合、女子の活躍が目立ったと言うコト。
団体競技であるバレーやサッカーなどは、男子よりも好成績を残した。
例え開幕前の壮行試合や練習試合で、良い内容ではない、とメディアで言われてもそれに反論するコトなく、しっかり自分たちのスタイルを組み立て試合に臨み、結果を出した、と言う点は評価をしても良いのでは?
むしろ、壮行試合や練習試合の結果に一喜一憂するメディアのほうが、冷静さを失っていたかのように思える。

一つは、女子バレーなどに見る「情報戦」の凄さだ。
試合途中でも、スタッフがコートサイドでパソコンやタブレット型携帯端末で、相手チームを分析、情報を共有、それらの情報を選手たちにも伝えるコトで、相手チームの弱点を突くと言う試合をしていた、と言う。
今やスポーツと言えども「気合いと根性」だけで、相手と勝負する時代では無いと言うコトだろう。
もちろん、最後の最後の踏ん張りどころ!となる場面では、「気合いと根性」で「歯を食いしばる」精神力は必要だと思うが、それを可能にさせるのも「情報戦」がベースにあってのことだろう。

そして、一昨日(になるのだろうか?)ボクシングのミドル級で金メダルを取った、村田選手の優勝コメントにも、考えさせられるモノがあった。
「協会が積極的に、海外選手やプロの選手たちとの交流試合をしてくれる様になった」コトが、金メダル獲得の大きな力となった、と言う内容のコメントだ。
個人スポーツであっても、海外選手との交流試合などを選手強化のために実施したコトで、その時々の自分の力を知り、自分の強み・弱点を分析するコトができたのではないだろうか?
言い換えれば「世界で闘う意味と準備」できる体制づくりが、メダル獲得へ結び付いた、と考えられそうだ。

一方「お家芸」と言われ、大会前から期待が掛かった柔道は、とても残念な結果になってしまった。
残念な結果となった要因のひとつが、このボクシング・ミドル級の村田選手がアマチュアボクシング協会への取り組みの感謝の言葉にも重なる様な気がしたのだ。
「お家芸」の柔道だからこそ、大きな国際大会以外でも海外選手との交流試合などを重ねる必要があったのでは?

新体操やシンクロナイズドスイミングの様な「技術や演技の美しさ」を競う競技などは、「情報戦」とはなりにくいと思うが、団体・個人関係なく「情報戦」と、日頃からの「世界における自分(たち)の位置」を知るための海外選手との試合が、選手強化に結び付いた・・・そんな印象のロンドン大会だったような気がする。

このようなコトは、何もスポーツだけに限ったコトでは無いと思う。
むしろ「グローバル化した経済」の中で、生きる日本の企業にも同じことが言えるのではないだろうか?





変わりつつあるオリンピック

2012-08-13 04:08:58 | ビジネス
ロンドンオリンピックが、閉幕。
長いような、短いような・・・2週間余りだった。
時差の関係もあり、寝不足気味になったと言う方も多くいらっしゃるかも知れない。

そんなロンドンオリンピックだが、時代の変化だな~と感じさせられるコトが多かった大会であった、と言うコトも事実だろう。
とにかく日本の場合、女子の活躍が目立ったと言うコト。
団体競技であるバレーやサッカーなどは、男子よりも好成績を残した。
例え開幕前の壮行試合や練習試合で、良い内容ではない、とメディアで言われてもそれに反論するコトなく、しっかり自分たちのスタイルを組み立て試合に臨み、結果を出した、と言う点は評価をしても良いのでは?
むしろ、壮行試合や練習試合の結果に一喜一憂するメディアのほうが、冷静さを失っていたかのように思える。

一つは、女子バレーなどに見る「情報戦」の凄さだ。
試合途中でも、スタッフがコートサイドでパソコンやタブレット型携帯端末で、相手チームを分析、情報を共有、それらの情報を選手たちにも伝えるコトで、相手チームの弱点を突くと言う試合をしていた、と言う。
今やスポーツと言えども「気合いと根性」だけで、相手と勝負する時代では無いと言うコトだろう。
もちろん、最後の最後の踏ん張りどころ!となる場面では、「気合いと根性」で「歯を食いしばる」精神力は必要だと思うが、それを可能にさせるのも「情報戦」がベースにあってのことだろう。

そして、一昨日(になるのだろうか?)ボクシングのミドル級で金メダルを取った、村田選手の優勝コメントにも、考えさせられるモノがあった。
「協会が積極的に、海外選手やプロの選手たちとの交流試合をしてくれる様になった」コトが、金メダル獲得の大きな力となった、と言う内容のコメントだ。
個人スポーツであっても、海外選手との交流試合などを選手強化のために実施したコトで、その時々の自分の力を知り、自分の強み・弱点を分析するコトができたのではないだろうか?
言い換えれば「世界で闘う意味と準備」できる体制づくりが、メダル獲得へ結び付いた、と考えられそうだ。

一方「お家芸」と言われ、大会前から期待が掛かった柔道は、とても残念な結果になってしまった。
残念な結果となった要因のひとつが、このボクシング・ミドル級の村田選手がアマチュアボクシング協会への取り組みの感謝の言葉にも重なる様な気がしたのだ。
「お家芸」の柔道だからこそ、大きな国際大会以外でも海外選手との交流試合などを重ねる必要があったのでは?

新体操やシンクロナイズドスイミングの様な「技術や演技の美しさ」を競う競技などは、「情報戦」とはなりにくいと思うが、団体・個人関係なく「情報戦」と、日頃からの「世界における自分(たち)の位置」を知るための海外選手との試合が、選手強化に結び付いた・・・そんな印象のロンドン大会だったような気がする。

このようなコトは、何もスポーツだけに限ったコトでは無いと思う。
むしろ「グローバル化した経済」の中で、生きる日本の企業にも同じことが言えるのではないだろうか?





アシモの開発と・・・

2012-08-10 18:59:13 | ビジネス
ホンダの顔と言えば、最近は「アシモ」というコトになるのだろう。
世界で初めて「二足歩行ロボット」で、日々進化をしている。
ぎこちなかった指関節などの動きも、今では手話ができる程滑らかな動きを実現させている。
もちろん、「アシモ」に刺激をされ様々なメーカーが「人型ロボット」の開発をしてきた。
村田製作所の「ムラタセイサク君・セイコちゃん」などは、自転車や一輪車に乗るコトができる。
とは言うものの「二足歩行ロボット=アシモ」というイメージは、強い。
それだけ「アシモ」の登場は、センセーショナルだったと言うコトだろう。

だからと言って「二足歩行ロボットをつくる」だけが、ホンダの目的では無いはずだ。
企業だからこそ、その技術を活かした製品づくりを目指す必要が有る。
その技術を活かした製品づくりと言うモノが、少しずつではあるがカタチを見せ始めたようだ。

それが、「生活支援ロボット」と呼ばれるモノ。
「アシモ」の「歩く」という動作から、「リズム歩行アシスト」と言うロボットと言うカタチのモノでは無いが、足腰が弱ってきた高齢者の歩行を助けるツールを、医療研究所と共同で検証する予定のようだ。

あくまでも個人的な印象だが、これから先「ロボット」は私たちの生活の共同生活者となっていく可能性が有ると思う。
「介護」と言っても、高齢者だけでは無く「他者のサポートを必要としている人」と対象と考えると、車いす生活の方などもその対象となるだろうし、年齢的に若い方で有れば、当然社会参加への意欲も高いだろう。
その様な人たちにとって、介護ロボットは共同生活者となり得るはずだ。
問題になっている「老老介護」などは、まさにロボットが活躍するトコロかも知れない。
なぜなら、介護そのものが24時間必要とするもので、人の力だけでは限界が有る、と言うコトも判っているからだ。
その支援となるロボットが冷たい機械で無かったら、介護される人も介護する人も安心ができるだろう。
その点で「人型ロボット」の意味は、大きいと思う。

「アシモ」のモデルは、ご存じの様に「アトム」だと言われている。
そして「人型ロボット」にこだわり続けている企業は、日本に多いとも聞く。
私たち日本人にとって「ロボットは、アトムの様な共同生活者」が、夢なのかもしれない。
ただ、そこから派生する技術の応用は、おそらく世界でも類を見ないモノのような気がしている。

<お知らせ>
明日11日から10日間ほど、お盆帰省の為ブログをお休みさせて頂きます。
もしかしたら更新ができるかも知れませんが、仏様を迎え・送ると言う、日本の行事をしっかりやってきたいと思います。
何卒よろしくお願いします。

通販会社が、日本産に力を入れ始めた

2012-08-09 21:29:38 | ビジネス
立秋が過ぎ、暦の上ではそろそろ秋。
それは暦の上だけの話。
まだまだ暑い真夏の太陽が照りつける日々が、続く。

それでも、小売りの世界では「秋」。
先日送られてきた通販のカタログを眺めていると、インテリアのカタログには既に「こたつ」関連商品が、掲載されている。
ファッションのカタログにも、既にファー付きのコートなどが掲載されており、見ているだけで汗が噴き出そうになる。
「通販カタログ」というコトを考えると、それも仕方の無いコトなのだが。

そんな通販カタログを見ていると、随分と「日本産」の商品が増えてきているコトに気がついた。
この様な傾向は、数年前から始まっていたのだが昨年の東日本大震災以来、加速度的に「地方の名産品掘り起こし」商品が、目立つ様になってきた感がある。
それも、以前はやや高めの価格設定だったのが、随分こなれた価格になってきたコトにも驚いている。

もちろん海外生産品とは違うので、価格としては安い訳では無い。
でも「この価格なら出しても良いな!」と思う位の価格に、落ち着いてきているのだ。
その背景には、生産者や通販会社の努力があってのことだと思うが、もう一つはカタログに掲載されている「話」と言う気がしている。

「話」とは、それらの商品が「伝統的な技法によって、作られてきた」というコト。
そして、生産者の言葉や思いがしっかり伝わる様な写真と文章が構成されている、と言う点がある。
同様なのが、オーガニックコットンやアジアの伝統的な織物の商品だ。

日本の経済が決して上向きでは無いコトを考えると、価格優先になりがちだ。
それでも、この様な「話」に共感をし、チョッと高くても作り手の顔が見えるだけでは無く、商品そのものにも作り手の息づかいの様なモノが感じられる方が、今の生活にマッチしている、と感じ始めている生活者が確実に増え始めている様に感じる。


「マイルドセブン」から「メビウス」 名称変更の影響

2012-08-08 18:46:29 | マーケティング
yahooのトピックスに、ロイター電としてJTが「マイルドセブン」から「メビウス」に名称変更をすると言う記事を伝えている。

私自身はタバコを吸わないし興味も無いので、「マイルドセブン」が「メビウス」に変わっても、関係が無い。
ただ、マーケティングに携わる者として、この名称変更には相当驚いた。
と言うのも「マイルドセブン」というタバコは、いわばJTの顔のような存在。
タバコを吸い始めた時、吸っていたのは「マイルドセブンだった」と言う方は、喫煙者の方は多いのではないだろうか?
それほど、日本のタバコ産業の中では中心的ブランド商品だ。

それを名称変更する、と言うのは相当な勇気というか、失敗したときのリスクを考えると、簡単に踏み切れるモノでは無かったと思う。
まして、年々喫煙者数は減ってきているコトを考えると、冒険の前に「無謀な」という言葉が付きそうな気がする程のコトだと思う。

今回のJTの「マイルドセブン」の名称変更を他に例えると、わかりやすいと思う。
例えば、トヨタが「カローラ」を全く違う名前に替える、と言う程のコト。
「カローラ」と言えば、トヨタにとって企業そのものを現す様なクルマであり、高級車やハイブリッド車が主流になっても、この「カローラ」という名称は生き続けるであろう、と言う程のトヨタという企業の顔となるクルマであり、トヨタという企業の象徴の様なモノだと考えられる。
それと同じような位置づけとなっている、「マイルドセブン」の名称を変更すると言うコトは、新しい商品を発売するよりも大きなリスクが掛かる。

その理由は、以前のブランドイメージを傷つける、と言うリスク。
もう一つが、「マイルドセブン・ファン」を失う可能性だ。
タバコを吸う方のブランド志向というモノがよく判らないので、断言できる程の知識や情報は持っていないのだが、タバコが値上げされる度に愛煙家の皆さんは、買いだめに走る。
その光景をテレビのニュースなどで見ている限りでは、やはり「お気に入りの銘柄」というモノがある様に思われのだ。
それはスーパーなどで、カートンでタバコを買う人の買い方を見てもよくわかる。
「マイルドセブン」を買う人は、決して「ピース」を買ったりはしない。
そこには、「マイルドセブン」というタバコの、味であったり香り様なモノが、ファンにとって「気持ち良い」からだろう。

その内容も一新して、プレミアム商品として位置づける為に名称変更をする、と言うのは「マイルドセブン・ファン」に受け入れられるのだろうか?
実は、市場調査などを実施し、その結果などから大丈夫!と思われた名称変更や商品内容の変更が失敗に終わるコトが多い。
特に、味や香りなどに左右されやすい食品などは、その傾向が強いと言われている。
タバコは食品ではなく嗜好品だからこそ、その影響は大きいはずだ。

と考えると、1年以上かけて検討してきた名称変更、吉と出るか・・・。
ロイターが、このニュースを伝えていると言うのも気になるところだ。




既に始まっている、問題-雇用と人口-

2012-08-07 19:51:19 | ビジネス
新聞各社のWEBサイトが「日本の人口減少、過去最大」と報じている。
人口の減少は、3年連続。
震災の影響も大きいと思うが、それよりも少子化のほうが問題が大きいのではないだろう?
先般東洋経済が「不妊」についての特集を組んでいたが、まさに少子化による社会的問題が待ったなし!の状態になりつつある、と考えた方が良い様だ。

この「人口減少」という問題が取りざたされる度に取り上げられるのが「社会保障」の問題。
労働人口が減ることで、社会保障費の源泉となる「税収が減る」コトへの懸念だ。
もう一つが、労働人口そのものの減少による産業の衰退、と言う点が上げられると思う。

確かに、今の様な社会環境や労働環境では、難しいと思う。
だからこそ、今のうちに企業は視点を変えた「働き方の提案」をする必要が有ると思う。
と同時に、社会的意識も大きく代えなくては難しいだろう。

随分前から言われている「女性が働きやすい職場」という点などは、その良い例かもしれない。
「男女雇用機会均等法」が実施され、女性も男性と同じ立場で仕事をする、と言うコトができる様になった。
それは、女性が男性並に働く、と言うコトでしかなかった。
「子育てをする女性を想定した働き方+雇用機会均等」ではなかった、と言った方が良いだろう。
そのため「仕事か育児か」という選択を迫られたとき、多くの女性は「育児」を選び、その後のキャリアを捨てると言う結果になってしまった。
一度職場を離れると、その後復帰するコト自体とても難しい、そんな現実も良く判っている女性たちは、出産を渋るのは当然かも知れない。
男性目線で考えれば「雇用機会を平等、というならそれまでの企業ルールに従うべき」というコトなのかも知れなかったが、それが結局「少子化へ拍車をかける一因」になっただけだったのでは?

それも今では、揺らぎ始めている。
ご存じの通り「介護」という問題だ。
子どもの人数が減り、介護を必要とする人が多くなる=人材不足、と言うだけではない。
親や伴侶の介護を男性が、せざる得ない状況になりつつある。
そのために、離職を選択する人も出てきている。

とすれば、ある一定の労働人口と社会保障の二つを確保する為には、女性にも社会保障費が払える正規社員として働いて貰う必要が有る。
もちろん企業にとって都合の良かった、「派遣社員」も減らす必要が有るだろう。
と同時に、介護や育児のために短時間の勤務を希望する人たちへの対応も必要となる。
言い換えれば、企業の労働時間に人があわせるのではなく、それぞれの人が抱えている問題に合わせて、企業が労働時間を提案して行くと言うコトが必要なる、と言うコトだ。

もちろん、ひとり当たりの労働時間の減少による、所得の減少は有るだろう。
それでも、確実に労働人口を確保しつつ社会保障費も安定させる、と言うコトを考えるのであれば、相当大胆な発想の転換が必要だとおもう。
そして、それをいち早く実行できる企業が、これから先残っていけるのだと思う。

箱物よりも人材に

2012-08-06 09:08:05 | アラカルト
タイトルを見て「またか・・・」と思われた方も多いと思う。
拙ブログだけでは無く、いろいろなトコロで言われてきたコトだからだ。
ただ、今回の場合チョッと視点が違う。

昨日、私が会員になっているNPOの「ピアサポート」の総会に行ってきた。
「ピアサポート」とは、脳卒中やがんなど重篤な病気を経験した人たちが、同じ病気の人の悩みなどを聞きながら、経験者としてのアドバイスをする、と言う会。
日本ではまだまだマイナーな活動で、「医療者と患者の架け橋」のような役割で活動をしている。
総会と言っても、一般企業の株主総会とは違う。
収支報告と事業報告などは簡単に行われた程度で、総会の中心は今後の活動についてだった。
その中で、とても残念なコトを知ったのだった。

「がん対策基本法」が施行され、5年ごとに内容の見直しがされるコトになっている。
昨年度はその見直しの年でもあり、私が会員になっているNPOの理事長さんがその諮問委員のひとりとして出席・提言をされていた。
その活動の成果として、「がん拠点病院では、がん経験者などによる傾聴活動を定期的に行い、患者のQOLの向上に務める」という趣旨の内容が、盛り込まれたと言う。

もちろん、その様な活動をしていく為にはそれなりの資金が必要となる。
この「がん対策基本法」に基づき、国や地方自治体ではがん治療に対して補助金を出している。
多くの自治体では、病院や病院の設備投資だけでは無く、がん治療のための人材育成にも力を入れ始めている、と言うのが現状のようなのだ。
ところが、とりあえず箱物!と言う考えで、人材育成に回すお金を出し渋っている地方自治体が有るらしい。
その一つが、愛知県なのだ。

実は愛知県には、全国でも数少ない「重粒子線治療」の施設が有る。
生命保険のCMなどで聞く「高度先進医療」のひとつだ。
この様な施設はもちろん必要だと思うのだが、その様な施設に複合的な施設も造っている。
もちろん、病院では無い。
だからと言って、小児がんなどの患者家族向け宿泊施設でもない。

問題なのは、施設はあってもそれを有効に活用する為の人材育成に力を入れていない、と言う点なのだ。
ピアサポートの活動というのではなく、がん検診の啓発活動やがん患者に対する就労支援の為の企業啓発活動などには、ほとんど力を入れていない、と言うのが現状なのだ。

今回の「がん対策基本法」には、「将来的には義務教育としてのがん教育」というコトも盛り込まれていると聞く。
学校教育の中で、がん教育が始まるとなると当然教師にもがん教育が必要となってくる。
どのような教科が「がん教育」に当てられるのかは判らないが、がん教育ができる現役教師はほとんどいないのでは無いだろうか?
とすれば、当然のことながら教員向けのがん講座も必要となってくる。
だからこそ、箱物では無く人材育成に力を入れる必要があるはずなのだ。

「モノづくり愛知」は良いのだが、そこには「人材育成」も含まれているコトを忘れて欲しくない。

エアコンの廃熱

2012-08-05 04:13:57 | ビジネス
連日の猛暑。
いくら暑さを避け、夕方に買い物などに出かけるにしても、その暑さから逃れると言うコトは、なかなかできない。
特にいろいろなお店が入っているビル近くを歩くと、そのエアコンの廃熱の熱さが拍車をかける。

そんなビルの近くを歩いていて、フッと思ったコトがある。
「エアコンの廃熱も『熱』なら、それをエネルギーとして利用できないか?」というコト。
とても荒唐無稽の様な、発想だとは思う。
思うのだが、もし「エアコンの廃熱」が何らかのエネルギーとして利用できたら、都市におけるヒートアイランド現象にも歯止めが掛かり、「エアコンを使いながら、節電」というコトだってできるのでは?」と、エアコンの基本的仕組みも判らない私などは、単純に思ってしまったのだ。

日本の「省エネ技術」は、世界のトップクラスだと思う。
冷蔵庫などの「省エネ技術」などは日進月歩のようで、毎週の様に新聞に折り込まれる家電量販店のチラシを見ると、消費電力が年々少なくなっている。
テレビなども「型落ち」と「新型」を見比べると、その消費電力には格段の差が有る。

エアコンはどうなのか?というと、確かに消費電力は下がってきている。
それは、使用電力という点で大きく下がっている。
でも、室外機から排出される「廃熱量が減っている」という情報は、チラシを見る限り判らない。
もし、家電メーカー各社が「廃熱量も減っています。ヒートアイランド現象を止めるコトにも一役買っています」といった説明が有れば、生活者は使用電力量だけでは無く、購入時の新しい判断材料となるように思う。

考えてみれば、エアコンと同様に廃熱量が高かった家電が、冷蔵庫だった。
10年ほど前に買い換えた我が家の冷蔵庫には、今の様な省エネ構造になっておらず(比較的小さな1~2人用クラスの冷蔵庫で、当時はこのクラスには今の様な省エネ構造にはなっていなかった)、そのため冷蔵庫の近くに立つと、とても暑い。
冷蔵庫内を冷やす為に、それなりの熱を排出している、と言うコトが実感として判るのだ。
おそらく、今の冷蔵庫は私が購入したような1~2人用クラスの冷蔵庫であっても、冷蔵庫の近くに立つと暑い、と言うことはほとんど無いと思う。
それだけ、家電メーカー各社が「廃熱量を減らす」コトで、省エネ化を進めてきたのだ。

ところが、エアコンの場合はどうなのだろう?
いきよい良く回る室外機のファンを見ると、そんなコトを考えてしまう。
本来、一番良いのは「エアコンに頼らない」というコトだと思う。
思うのだが、商業施設などではその様な訳にはいかない。
とすれば、あの大きな室外機から排出される「廃熱の再利用」を含めた、省エネ化という発想があっても良いのでは?

夜になっても、涼やかな風が吹かないまま熱帯夜となった。
エアコンを使いたくても、我慢をしているご家庭も多いと思う。
もし、エアコンの廃熱がエネルギーとして再利用されたら・・・そんなコトを、考えた夜の散歩だった。

違う視点でオリンピックを見て見る

2012-08-03 20:04:40 | ビジネス
ロンドンオリンピックが始まり、テレビにかじりつき!と言う方もいらっしゃるかも知れない。
日本との時差の関係で、日本での昼間には競技が無い。
夕方~深夜~明け方が、丁度競技の真っ最中!と言うコトになる。

日本勢では、お家芸とされてきた柔道が不振に終わった。
特に男子は、金メダルが0と言う結果になってしまった。
逆に水泳では、若い選手たちが大活躍をしている。
体操男子でも、内村選手の演技というよりも美技に酔いしれた方も多かったのでは。
他にも決勝トーナメント進出を決めた、男女サッカーなどはメダルの期待も大きい。

そんなオリンピックだが、チョッと視点を変えて見るとおもしろい。
例えば、各国の選手団が開会式で来ていたユニフォーム。
開催国イギリスは、ステラ・マッカートニーのデザインによるモノ。
開会式で「ヘイ・ジュード」を歌った、ポール・マッカートニーのお嬢さんで、パリコレで活躍している新進のデザイナーだ。
写真で見る限りでは、ステラらしい柔らかな感じをスポーツウェアで表現しているようで、なかなか高評価の様だ。

一方、開幕前に話題を呼んだのが、米国。
デザイナーは、これぞアメリカ!!と言う感じがするラルフ・ローレン。
そのイメージに違わず「アメリカだな~」と言う、デザインと色のコーディネート。
問題は、中国製だったことだろうか?
他にも、プラダやフェラガモなどがユニフォームや小物を提供しているなど、「スポーツウェアのファッションショー」の様な各国のユニフォームだ。

それに比べ・・・何故日本はあのデザインなのだろう?
デザインだけを見れば、48年前の東京オリンピックを彷彿とさせる。
あのユニフォームを見る限りでは、日本はフレッシュな感覚を持ったデザイナーがいないのか?と、思われても仕方ないのかも知れない。
せっかく「クールジャパン」として、日本のいろいろな文化をアピールしようとしているのだから、若いデザイナーを積極的に起用するコトも検討しても良かったのでは?
実際、パリのコレクションなどを見ても、日本人で評価を受けるのは川久保玲さんや山本耀司さんと言った、日本人デザイナーの大御所の様な方ばかり。
日本人デザイナーの登竜門的な「東京コレクション」なども、年々規模が縮小される傾向に有るコトを考えると、日本のファッション産業の問題点のようなものも見えてくる。

もう一つは、某国が「偽物ナイキ」を選手に提供していた、と言う点。
某国の関係者は「本物のナイキが高く、選手に提供できなかった」と、コメントしている様だ。
ただ、オリンピックやサッカーのW杯の様な大規模な国際大会は、スポーツメーカーにとっても「晴れ舞台」であり、そこで評価されるコトが「市場を拡大させる」方法でもある。
このコメント後、ナイキが本物のナイキを提供したかどうかは、判らない。
ただ、この様なコメントが出た限りナイキ側としても提供せざる得ないと思うし、それをきっかけに、某国だけでは無く周辺諸国のスポーツ関係者と、強いコネクションができるかも知れない。
そう考えれば、ナイキが無償提供しても決して損になる話では無いと思う。

そう考えると、選手一人ひとりの活躍はメダルの色や結果だけがオリンピックでは無い、と言うコトがよく分かる。
いよいよ、今週末からオリンピック後半となる。
果たして日本人選手たちは、どんな活躍を見せてくれるだろうか?

住まいを自由にする

2012-08-02 19:08:55 | ビジネス
連日の猛暑である。
そんな暑さを避け、朝早く散歩に出かけたり夜夕涼みがてら近所を歩いたりすると、意外なコトに気づく。
それは、「空き家や空き室」となっているトコロが多くなってきている、と言うコト。
元々転勤族が多く居住する地域なので、季節的な空き家・空き室が目立つと言うコトはこれまでにもあった。
ただ、最近それが目立つ様な気がするのだ。
もちろん、新築のマンションなども建てられてはいるのだが、築年数が10年を超した様な物件になると、空き室が目立つ様な気がするのだ。

それだけでは無い。
以前から住んでいらっしゃる方のお宅であっても、以前は2階に明かりが点っていたのに、ここ数年点るコトが無い。
おそらく、2階に子ども部屋があり、お子さんが成長され独立された為に、明かりが点らなくなったのだろう。

「家は一生に一度の買い物」と言われているのに、その時々の家族構成や生活スタイルにあわせるコトができない「高額な買い物」という気がしてくる。
まして、戸建ての場合住宅ローンを払い終えた頃、子どもが独立をし空き部屋ができてしまう。
また、日本の戸建て住宅の寿命と住宅ローンの返済期間とほぼ同じ、と言う状況に有る。

最近社会的問題となりつつあるのが、「空き家」だという。
家主が高齢化し老人ホームなどへ転居した後、空き家になったまま放置されていたり、家主自身が亡くなったりした後、誰も住まなくなった物件が地方だけでは無く都市部でも目立つ様になってきている、と言う。
そんな「空き家」が有るコトで、地域の治安が悪くなる傾向が有ると言う。

そもそも「家は一生の買い物」というのに、その価格が高すぎるのが日本の住宅事情という気がする。
今の様な経済状況で、新築物件であれば4千万クラスのマンションを購入するコト自体、経済的リスクと考える人がいてもおかしくないと思う。
とすれば、現在ある空き家や集合住宅の空き室を、もっと上手に活用したほうが良いと考える人がいるのでは?
そのためには、可動性の高い間取りに造り替える必要が有るだろうし、「住む人の生活に柔軟に対応できる家づくり」と言う発想も必要になってくるのでは?
極端な発想だが、水回りだけをキチンと整備し、後は住む人の自由な間取り構成ができる、と言う様な考えの住宅だ。
もちろん、間取りを決めるためのアドバイスは必要だと思うが、退去する時にはまっさらな何も無い空間に戻る、と言う様なイメージだ。

「新しい」モノは住宅に限らず、ワクワクするモノがあり、一度人の手の入ったモノは何となく抵抗感が有る。
それは、以前持っていた人の感触があるからだろう。
また、以前から有るコミュニティーに新参者が入る、と言う抵抗感も有るかも知れない。
だからこそ、空き家や空き室が目立つ様な地域では、コレまでとは違うコミュニティーづくりをする必要が有ると思う。
「地域の再生」というコトが言われて久しいが、「人が居る」コトが「再生の第一歩」であり、そのためにも「住宅を流通させる」という発想が、これからは必要な気がする。