■数多災害を越えて
台風災害により寺域の大樹がごっそり刈り取られてしまったのが醍醐寺という寺院なのですが拝観と共に創建の時代を思いかえすと凄い事に気付かされる。
醍醐寺、真言宗醍醐派総本山の寺院です。その歴史は古いのですが禅寺なんかでは桜花などは遊興の場になり修行の妨げになるという配慮から最初から植えられていないか伐採してしまい、紅葉の季節に遊興の場になったりもするのですけれども、ここでは。
豊太閤花見行列、という、これは四月第二日曜日に行われる歴史行列なのですけれど、祭事が行われるほどに観桜とは所縁あるという。そう、ここは見上げて桜花を愛でてよい寺院なのですね。そしてもう一つ、ここはかの空海さんと所縁ある寺院でもあります。
理源大師聖宝という、かの弘法大師空海の孫弟子さんが造営されたという歴史を持つ醍醐寺、空海さんと所縁あるというだけあってその創建は貞観16年、西暦でいえば874年と古く、聖宝さんといえば光仁天皇の玄孫という皇統の血筋で仏教に帰依した方でして。
貞観16年、考えてみると自然災害が日本史では最も激しかった時代です。いや、日本史の前、日本誕生という三船敏郎主演とかドラえもん映画みたいな時代の更に前の9万年前にはASO-4というどうしようもない規模の阿蘇山噴火災害が起きているのですが。
日本の価値観の一つを形成するなかにあって、この貞観年間というのは、奈良時代の天然痘、天平の疫病大流行と並んで実のところ価値観や文化観に影響を及ぼしているようでして、真言宗の定着とともに仏教文化と災厄の影響は大きいように思えるのです。
ASO-4と比較しますと、火砕流本体流だけで170㎞先まで到達し、九州本州四国に及んだ巨大災害となりましたASO-4,再来しますと日本どころか北半球全域に深刻な被害を引き起こす噴火です、ただ、これは九万年前、神話の世界の更に前という。
貞観大噴火、古富士噴火ともいいますか、貞観8年に発生しました記録される限り最大規模の富士山噴火です。剗海という琵琶湖に準じる規模の大きな湖はこの噴火による山体崩壊でいまの富士五湖となり、火山灰の被害は広範に及んだ、とされていますが。
古富士噴火として、朝廷に記録された即ち行政文書に記録が残る最古の火山災害ですが、この様子は小松左京の小説“日本沈没”などでも紹介されています。富士山の周辺が大きく変容した噴火、これだけでも貞観年間というものは大きな災害があったといえる。
貞観地震、千年前の東日本大震災、とも言われる巨大地震が発生しましたのもこの貞観年間で、貞観11年5月26日西暦では869年7月9日に発生した巨大地震はマグニチュード8.3以上とされ、歴史地震として記録されています。この被害は津波が大きかった。
去海數千百里、多賀城まで瞬時に津波が到達し地震光という発光現象が公式文書に記録された世界最初の地震という。鳥海山と開聞岳が噴火し朝鮮半島からは貞観の入寇として大規模な攻撃もうけていて、更に阿蘇山も小規模ながら二度に渡り噴火しています。
応天門の変も貞観年間で、無い有害化案に大災害連発という不安な時代、醍醐寺が造営されたのはまさにその只中という事となりまして、いや実は京都の現存するこの時代の寺社仏閣は建物こそだい変わりしているものの今に至るものが少なくありません。
花は咲く、という東日本大震災からの復興祈念歌がありましたけれども、貞観年間に巨大災害が相次ぐ中で造営された一大寺院が、いまもかわらず、では必ずしもないのだけれども満開の木々に囲まれる様子を見ますと、ぐっとこう感慨深いものがあるのだ。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
台風災害により寺域の大樹がごっそり刈り取られてしまったのが醍醐寺という寺院なのですが拝観と共に創建の時代を思いかえすと凄い事に気付かされる。
醍醐寺、真言宗醍醐派総本山の寺院です。その歴史は古いのですが禅寺なんかでは桜花などは遊興の場になり修行の妨げになるという配慮から最初から植えられていないか伐採してしまい、紅葉の季節に遊興の場になったりもするのですけれども、ここでは。
豊太閤花見行列、という、これは四月第二日曜日に行われる歴史行列なのですけれど、祭事が行われるほどに観桜とは所縁あるという。そう、ここは見上げて桜花を愛でてよい寺院なのですね。そしてもう一つ、ここはかの空海さんと所縁ある寺院でもあります。
理源大師聖宝という、かの弘法大師空海の孫弟子さんが造営されたという歴史を持つ醍醐寺、空海さんと所縁あるというだけあってその創建は貞観16年、西暦でいえば874年と古く、聖宝さんといえば光仁天皇の玄孫という皇統の血筋で仏教に帰依した方でして。
貞観16年、考えてみると自然災害が日本史では最も激しかった時代です。いや、日本史の前、日本誕生という三船敏郎主演とかドラえもん映画みたいな時代の更に前の9万年前にはASO-4というどうしようもない規模の阿蘇山噴火災害が起きているのですが。
日本の価値観の一つを形成するなかにあって、この貞観年間というのは、奈良時代の天然痘、天平の疫病大流行と並んで実のところ価値観や文化観に影響を及ぼしているようでして、真言宗の定着とともに仏教文化と災厄の影響は大きいように思えるのです。
ASO-4と比較しますと、火砕流本体流だけで170㎞先まで到達し、九州本州四国に及んだ巨大災害となりましたASO-4,再来しますと日本どころか北半球全域に深刻な被害を引き起こす噴火です、ただ、これは九万年前、神話の世界の更に前という。
貞観大噴火、古富士噴火ともいいますか、貞観8年に発生しました記録される限り最大規模の富士山噴火です。剗海という琵琶湖に準じる規模の大きな湖はこの噴火による山体崩壊でいまの富士五湖となり、火山灰の被害は広範に及んだ、とされていますが。
古富士噴火として、朝廷に記録された即ち行政文書に記録が残る最古の火山災害ですが、この様子は小松左京の小説“日本沈没”などでも紹介されています。富士山の周辺が大きく変容した噴火、これだけでも貞観年間というものは大きな災害があったといえる。
貞観地震、千年前の東日本大震災、とも言われる巨大地震が発生しましたのもこの貞観年間で、貞観11年5月26日西暦では869年7月9日に発生した巨大地震はマグニチュード8.3以上とされ、歴史地震として記録されています。この被害は津波が大きかった。
去海數千百里、多賀城まで瞬時に津波が到達し地震光という発光現象が公式文書に記録された世界最初の地震という。鳥海山と開聞岳が噴火し朝鮮半島からは貞観の入寇として大規模な攻撃もうけていて、更に阿蘇山も小規模ながら二度に渡り噴火しています。
応天門の変も貞観年間で、無い有害化案に大災害連発という不安な時代、醍醐寺が造営されたのはまさにその只中という事となりまして、いや実は京都の現存するこの時代の寺社仏閣は建物こそだい変わりしているものの今に至るものが少なくありません。
花は咲く、という東日本大震災からの復興祈念歌がありましたけれども、貞観年間に巨大災害が相次ぐ中で造営された一大寺院が、いまもかわらず、では必ずしもないのだけれども満開の木々に囲まれる様子を見ますと、ぐっとこう感慨深いものがあるのだ。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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