27日(日)のネット将棋「女流最強戦」は、矢内理絵子女王対山口恵梨子女流1級だった。先番矢内女王が73手目☗2一飛成と☖5一金取りに成った手に対し、秒読みに追われた山口女流1級が、誤って☖6一銀と打ってしまった。
またクリックミスが起きた。対面での将棋なら、こんな手はあり得ない。しかしこれも立派な手として、永遠に記録に残る。あらためて問う。ネット将棋が公式戦として扱われていいのだろうか。
14日(月)に「将棋ペン倶楽部・通信34号」が届いた。今号は名簿号で、全28頁。その日の夜まで待ち、散歩先の喫茶店で冊子を開く。細かいことだが、「将棋ペン倶楽部」は会報名で、「将棋ペンクラブ」は団体名である。
巻頭は、9月18日(金)に行われた「将棋ペンクラブ大賞贈呈式」のレポートが3頁。その次に湯川博士先生の「編集雑感・投稿文あれこれ」が1頁ちょっと。さらに私を含めて、4名の投稿文が続く。いずれも1~2頁。最後は会員名簿が12頁半に亘って載っている。
まずは自分の文章を読む。というか、活字になった文を「確認」する。題名は「手つきについて」。題名に「の」を入れなかったのは、初めてである。分量は2頁足らずの雑文。よほど過去ブログから拝借しようと思ったが、一部読者がダブっているので、乏しいストックからひとつ使った。締切日を過ぎての投稿だったが、今回はまずまずの文章だったか。
次に湯川先生の「編集雑感」を拝読する。今回は、「将棋ペン倶楽部」に投稿をする際の注意点が、要領よくまとめられている。
この類の雑感は2年に一度くらい載り、「投稿」という範疇に留まらず、会員が日常で文章を書く際の指針にもなるものだ。私の今後の人生において、いまから将棋が強くなっても大した利はないが、文章の上達は生活のなかで大きなプラスになる。将棋棋士が将棋のプロなら、作家である湯川先生は文章のプロであり、こうして文章指南をしてくださるのはありがたいことだ。
しかしその内容は、私には耳の痛いものであった。一部を引用すると、
「(本を作るにも経費がかかっているので)長文や連載が載った人は、(会費を出している)他の会員のおかげであるという気持ちを持っていてほしい」
「ことばの重なりや、修飾語や接続詞、形容詞、空間が多い場合は、できるだけ省略したほうがいい文章になる」
「読みやすく簡潔な文が求められている」
などである。私は原稿の適量(将棋ペンクラブの推奨は4頁以内)を無視して長文を投稿するので、かねてから気にはしていたのだが、ズバリ指摘された感じだ。
そこで拙稿を読み直してみると、2頁にも満たない短文の中に、「ところが」が5回も出てきて、めまいがした。明らかな接続詞の多用である。これが厄介なのは、気にはなるが直すまではいかない「重箱の隅」的なもので、編集部も指摘がしにくかったことだ。しかし私に言わせれば、これはたいへんな減点材料である。今回の投稿文はまともだったと判断していたがそれは甘く、またもや駄文だったというわけだ。
むろん「将棋ペン倶楽部」は会員の投稿で成り立っている部分もあるから、湯川先生の主張がすべて正しいとは言わないが、頷くところは多かった。私は17日(木)から九州へ旅立ったが、今回初めて「将棋ペン倶楽部」を携行し、ヒマを見つけては、湯川先生の玉稿を精読したのだった。
さてそんな湯川先生が、本日28日(月)、東京・浅草の「木馬亭」で、午後6時からの「将棋寄席」で高座に上がる。文章のうまい人は話もうまい(話がうまい人が、文章もうまいとは限らない)。湯川先生の落語を聞くのは初めて。石橋ママから半強制的に購入させられたチケットではあるが、いまから楽しみである。
またクリックミスが起きた。対面での将棋なら、こんな手はあり得ない。しかしこれも立派な手として、永遠に記録に残る。あらためて問う。ネット将棋が公式戦として扱われていいのだろうか。
14日(月)に「将棋ペン倶楽部・通信34号」が届いた。今号は名簿号で、全28頁。その日の夜まで待ち、散歩先の喫茶店で冊子を開く。細かいことだが、「将棋ペン倶楽部」は会報名で、「将棋ペンクラブ」は団体名である。
巻頭は、9月18日(金)に行われた「将棋ペンクラブ大賞贈呈式」のレポートが3頁。その次に湯川博士先生の「編集雑感・投稿文あれこれ」が1頁ちょっと。さらに私を含めて、4名の投稿文が続く。いずれも1~2頁。最後は会員名簿が12頁半に亘って載っている。
まずは自分の文章を読む。というか、活字になった文を「確認」する。題名は「手つきについて」。題名に「の」を入れなかったのは、初めてである。分量は2頁足らずの雑文。よほど過去ブログから拝借しようと思ったが、一部読者がダブっているので、乏しいストックからひとつ使った。締切日を過ぎての投稿だったが、今回はまずまずの文章だったか。
次に湯川先生の「編集雑感」を拝読する。今回は、「将棋ペン倶楽部」に投稿をする際の注意点が、要領よくまとめられている。
この類の雑感は2年に一度くらい載り、「投稿」という範疇に留まらず、会員が日常で文章を書く際の指針にもなるものだ。私の今後の人生において、いまから将棋が強くなっても大した利はないが、文章の上達は生活のなかで大きなプラスになる。将棋棋士が将棋のプロなら、作家である湯川先生は文章のプロであり、こうして文章指南をしてくださるのはありがたいことだ。
しかしその内容は、私には耳の痛いものであった。一部を引用すると、
「(本を作るにも経費がかかっているので)長文や連載が載った人は、(会費を出している)他の会員のおかげであるという気持ちを持っていてほしい」
「ことばの重なりや、修飾語や接続詞、形容詞、空間が多い場合は、できるだけ省略したほうがいい文章になる」
「読みやすく簡潔な文が求められている」
などである。私は原稿の適量(将棋ペンクラブの推奨は4頁以内)を無視して長文を投稿するので、かねてから気にはしていたのだが、ズバリ指摘された感じだ。
そこで拙稿を読み直してみると、2頁にも満たない短文の中に、「ところが」が5回も出てきて、めまいがした。明らかな接続詞の多用である。これが厄介なのは、気にはなるが直すまではいかない「重箱の隅」的なもので、編集部も指摘がしにくかったことだ。しかし私に言わせれば、これはたいへんな減点材料である。今回の投稿文はまともだったと判断していたがそれは甘く、またもや駄文だったというわけだ。
むろん「将棋ペン倶楽部」は会員の投稿で成り立っている部分もあるから、湯川先生の主張がすべて正しいとは言わないが、頷くところは多かった。私は17日(木)から九州へ旅立ったが、今回初めて「将棋ペン倶楽部」を携行し、ヒマを見つけては、湯川先生の玉稿を精読したのだった。
さてそんな湯川先生が、本日28日(月)、東京・浅草の「木馬亭」で、午後6時からの「将棋寄席」で高座に上がる。文章のうまい人は話もうまい(話がうまい人が、文章もうまいとは限らない)。湯川先生の落語を聞くのは初めて。石橋ママから半強制的に購入させられたチケットではあるが、いまから楽しみである。