一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

大工鉄夫さんの思い出

2011-08-21 02:09:48 | 旅行記・沖縄編
部屋の襖の上にはいくつもの遺影が飾られていたが、その中央にある、一回り大きな遺影が、私の目に入った。おじちゃん…!!
「ご主人!? ご主人、亡くなったんですか!?」
私がそう叫ぶと、おばちゃんは小さくうなずいた。
おじちゃんが、亡くなっていた!!
いないわけだ。鳩間島に上陸して、おじちゃんを目にしなかったわけだ。だって、亡くなっていたんだもの。道理で、電話口のおばちゃんが、元気がなかったわけだ。だって、亡くなっていたんだもの。その謎が、いま解けた。
しかしああ…何てことだ! 何てことだ!!
「なぜ? どうして…。だって、去年はあんなに元気だったじゃないですか」
私は誰に言うともなく口走る。
「そうねぇ…」
おばちゃんも困惑している。
「……。し、失礼ですけど、どこが悪かったのですか」
「肝臓です」
「ああ、やっぱり」
「去年までは元気だったんだけどねぇ。今年のゴールデンウィークに、あの人があまりにもつらそうだったんで、石垣の病院に行くよう勧めたんですよ。
それで診てもらったら、即入院だって。医者からは手遅れだって言われました。でも老人だから進行は遅いと。あと半年はもつだろうと。ところが先月の20日に突然…」
「ああ……。泊まるんだった。去年、泊まるんだった!」
去年私は鳩間島を訪れたものの、宿泊場所は石垣島の八洲旅館ユースホステルだった。ユースのヘルパーさんと仲良くなり、ゆんたくの時間も楽しくて、鳩間は日帰りにしたのだ。
しかしまるだいには顔を出し、昼食をご馳走になった。宿泊者に、中村桃子女流1級似の女性がいたことを憶えている。その後私は泳ぎに行き、シャワーまでお借りしたのだった。
「こんなことになるなら、石垣に帰るんじゃなかった!」
私は再び嘆いた。
「でも顔を見せてくれたから…」
おばちゃんはさみしそうに笑った。私たちは改めて、言葉を失った。
「おいくつだったんでしょうか」
宿泊の奥さんが聞く。
「79です。でも戸籍上は81だったみたい」
とおばちゃん。
私の目に、涙がたまってきた。宿泊のご家族も、みんな涙を浮かべている。私はここで緊張の糸を解いたら、号泣してしまうと思った。だからグッと堪えた。
「お線香を上げさせてください」
奥さんが申し出て、正面に祀られてある仏壇に線香を供えた。私もそれにならった。
――おじちゃん、去年泊まれなくて、ごめんなさい。
改めて遺影を見る。鳩間の港で撮ったものか、頭にハチマキを巻いたおじちゃんは、柔和ないい顔をしていた。
おじちゃん…。こうしていると、鳩間のおじちゃんこと、大工鉄夫さんとの思い出が次々とよみがえってくる。
おじちゃんは食事のときは、私たちが摂っているテーブルの近くで、2、3のつまみを肴に、泡盛をチビチビやるのが常だった。
夜のゆんたくの時間も、おじちゃんは宿泊者とヤルのが好きだった。当然私も誘われたが、「下戸なんで…」と遠慮すると、
「なんだ面白くない」
と不機嫌そうなポーズをした。
三線も弾いてくれた。夏の夜、縁側で心地よい涼風を受けてくつろぎながら、三線の音色と、おじちゃんの艶のある歌声を聴く。それは都会では経験できない、何とも贅沢な時間だった。
鳩間島での別れは、島の恒例でもある。しかしおじちゃんは、私たちが貨客船に乗ると、すぐに踵を返して、宿に戻ってしまう。下ろされた荷を少しでも早く宿に届けるため、という理屈はつくが、ちょっとシャイに見えるところもあり、それがおじちゃんらしくもあって、好きだった。
いまから数年前、「ビッグコミックオリジナル」や、日本テレビ系「瑠璃の島」で鳩間島が舞台になってから、民宿まるだいにも大勢の観光客が訪れるようになった。
ある年予約を入れたら、何とかOKが出た。私が宿に赴くと、例年とは違う部屋に通された。秘密の小部屋、という雰囲気だ。この部屋は、ふだんは誰も泊めない、もしものときの特別室だった。これは、「まだ鳩間島がそれほど有名でなかったころに来てくれたお客さんには、たとえ満室でも、絶対に泊まってもらいなさい」というおじちゃんの教えだった。
そして今年分かったのだが、その「特別室」は、「瑠璃の島」の中で、女優の鳴海璃子が、自分の部屋として使っていたところだった。
ある年は、おじちゃんの釣りに付き合わせていただいた。といっても釣るのはおじちゃんだけで、私たち宿泊客は、船の周りをシュノーケリングした。
色とりどりのサンゴと魚が視界全部に拡がる。私がいままで見た海で、一番美しかったのが、おじちゃんが案内してくれた、ここだった。
このときのこと。おじちゃんが釣り糸をサンゴの裏側に引っ掛けてしまい、それを解いてくるよう、私が指名されてしまった。しかし私のシュノーケリングは、プカプカ浮いているだけで、潜ることができない。
それでも見栄を張って潜るが、どうしても尻が浮いてしまう。そこで強引に糸を引っ張ったら、釣り糸を切ってしまった。ビクはサンゴに引っ掛かったままだ。まさか糸を切られると思わぬから予備のビクもなく、釣りは中止になった。
釣った魚は私たちの食事に出される。つまりこれは仕事の一貫だったから、私の不始末は大きかった。
「入れ食いだったのに…」
とつぶやいたおじちゃんに、私は心の中でお詫びをしたのだった。
「きょうはこの部屋を使ってください」
おばちゃんの声で現実に帰る。遺影の飾られている、この部屋だ。
「今年はおじちゃんと寝るんですね」
私は無理やり笑みをもらした。

鳩間簡易郵便局で貯金。
「まるだいのご主人、なくなったんですね」
私がそう言っても、郵便局のおじさんの返事は返ってこなかった。鳩間島は今年、本当に偉大な人物を喪ったのだ。
昼食を摂ったあと、島内を散歩。反対側の道に出て、10時半の位置にある立原(たちばる)の浜で、海に潜った。
鳩間島はどこでも海に入れるが、この浜がおじちゃんの一番のお勧めで、歩いてもたどり着けるサンゴの群生地と魚の群れは、おじちゃんが「水族館」と呼んでいた。
また、海の奥の奥の奥、という感じのところまで行くと、突然サンゴが途切れ、水色の海がパアーッと拡がる。このスリルが、たまらなかった。
今年もほぼ独占状態で、広い海を自由に泳ぎまくった。
帰ってシャワーを浴び、部屋に帰ったあと、扇風機を回して一眠り。これがまた、気持ちのいい時間だった。
午後7時に夕食。島らしく、やはり魚が中心だ。アジに似た魚に塩コショウし、アルミホイルに包んで蒸し焼きにしたものがある。この宿の名物料理だ。魚の皮がプリプリしていて、実に美味い。
宿のスタッフは、おばちゃんのほかに、ふだんは東京・品川に住んでいるという娘さん、それにヘルパーと思しき人がいた。私は娘さんに聞く。
「これから、魚とかはどうするんですか」
「私が釣りに行くよ」
「ああ、それはよかった」
「ほかの人の釣り船に乗ってでも行くよ」
娘さんは、この宿で生活していくらしい。まるだいの存続のためにも、これは朗報だ。
「この魚はネ、お父さんが釣ったやつなんだよ」
「?」
「お父さんが5月に釣って、冷凍保存してあったやつ」
「え! 本当なんですか!!」
「今月いっぱいで終わりになっちゃうけどね」
「ああ! そんな貴重な魚…」
私たち5人は顔を見合わせると、絶句した。天国からの魚、というべきか。こんなに貴重な食事が、これまであっただろうか。私には、どんなに豪華な夕食も、この魚には敵わないと思った。
テーブルの端に目をやると、おじちゃんが特製の椅子に座って、泡盛をチビチビやっていた。
「おじちゃん…」
私はまた、目頭が熱くなった。
(つづく)
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Twitter風

2011-08-20 01:55:09 | 将棋雑考
駒桜に、入っちゃおうか…。
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鳩間島でのショック

2011-08-19 18:34:13 | 旅行記・沖縄編
石垣港ターミナルを出て、730交差点の土産物屋に入る。まだお土産を買うには早いが、目的のものを見つけておけば後でラクだ。
リラックマのストラップが売られている。これは昨年、島井咲緒里女流初段にいくつかプレゼントした。現在彼女は、「私が勝手に選ぶ女流棋士ファンランキング」第1位なので、ちょっとお土産を張る必要がある。
リラックマトランプ、なんてのがある。リラックマシャープペンも面白そうだ。これらは沖縄最終日の17日に買うとしよう。
ユーグレナモール(旧あやぱにモール)に行く。ここ一帯の土産物屋も品数が豊富だ。
とある店では、リラックマ沖縄限定のミニぬいぐるみが2種類売られていた。これは絶対に買いだ。買いだが、17日に何かの都合で買えなくなることもあるかもしれない。そこでちょっと味が悪いが、この2コはいまのうちに買っておいた。
ところがこれが早まった。別の店では、同じ品物が消費税抜きの価格で売られていたからだ。やはり、もっと情報を収集してから買わなければダメだ。
港から少し離れた宿へ旅装を解く。この宿は犬の宿泊が可で、ペット大好きの夫婦が経営していた。もちろん素泊まりなので、私は再び港へ取って返す。
石垣島に来ると必ず寄る軽食喫茶「パピヨン」に入り、カツ丼セットを頼む。単品は600円だが、セットにするとアイスティーがついて650円になる。プラス50円するだけで、優雅な気分が味わえるわけだ。
ここに通って15年以上になるが、年に1回顔を出すだけでも店のおばちゃんに認識されるようで、ここ何年かは、「この男の人、以前見たわ」という顔をする。しかし私は何も言わない。この味がいいのである。
相変わらずさびしい食事だが、構わない。ひとり旅だから、何を食べようと私の自由だ。
軽食喫茶を出て、すぐ近くにある喫茶店「プラゼール」に入る。ここのアイスコーヒーは、氷にコーヒーを使っていて、氷が融けてもコーヒーの味が変わらない。いやむしろコーヒーの味が濃くなってゆく。このサービスがうれしくて、私はこの喫茶店も贔屓にしている。
店には客がおらず、私ひとりだった。例年だと、地元のおっちゃんがバカ騒ぎをしているのだが。
おずおずと定位置のカウンターに座る。店のママさんは、飲み屋を経営したらピッタリのおばちゃんだ。
アイスコーヒーが運ばれ、私はそれを飲む。静かなときが流れる。
「どちらからいらしたんですか」
おばちゃんが沈黙を破った。
「東京です」
この問答を皮切りに、しばしの会話が始まった。この店に来たのは4回目ということ、アイスコーヒーの「氷」が好きで通い始めたこと、などを私は述べる。続いて辺銀食堂のラー油の話になった。私は吠える。
「港では2,000円で売ってたんですよオ。定価840円でしょう? どうかしてますよねえ。たかだかラー油ですよ」
「大きな声じゃ言えないけどね、地元のモンは買わないよ。みんなヒトに頼まれて買うだけ」
――これ以上書くと辺銀食堂の営業妨害になるので控えるが、おばちゃんと私の意見は概ね同じだった。
午後10時前に、宿に戻る。私が泊まる離れは下宿のような作りで、入口の横に台所とフリースペースがあり、そこにパソコンが置かれている。
インターネットも可でご自由にどうぞ、というわけだが、いざ立ち上げてみると、「オフライン作業」という表示が出て、ネットには接続できなかった。
クーラーは3時間100円。こんなところでカネを使いたくないが、こう蒸し暑くては眠れない。仕方なく100円を使う。
この宿は「エコ」を前面に出していて、このクーラーも、「一時停止」のボタンを押せば、3時間のクーラーをもっと長く使えるという。
しかし私が押したボタンはコインボックスの「一時停止」ではなく、リモコンの「停止」だった。これでは時間が節約できず、3時間経ったら冷房が終わってしまう。それに気付いたときは時すでに遅く、また100円を出費する羽目になった。
ヒトの説明はちゃんと聞かなければならない。私はそれでいつも損をしている。
翌朝、宿の主人にネット不接続の件を申し出る。しかし主人がカチャカチャやっても、一向に直らない。相当な「重傷」のようだ。
「どこかヘンなところ押しましたか?」
「いえいえ!」
「これは業者に頼まないといけないかもしれませんね」
主人は明らかに不機嫌だ。「アンタおかしなところ触っただろ」と、その背中が言っている。
鳩間島行きの高速船は9時30分。まだ8時30分だが、ここにはいられない感じだ。
「あのう、もう行ってよろいいでしょうか」
「ああ? ああ、いいですよ…」
「ど、どうも」
私は逃げるように宿を出た。
さて、いよいよ鳩間島である。鳩間島に初めて訪れたのはいまから10年前の3月。火曜だったか木曜だったか、港へ戻ってくる上りのバスが2~3分早く着いたお陰で、私は9時00発の鳩間行き貨客船に飛び乗ることができたのだ。
当時鳩間へは、火・木・土と貨客船が出ているのみ。いまのように高速船が毎日往復することはなかった。
鳩間島に着くと、島には何もなかった。民宿が3件あるのみと情報を得ていたので民宿をあたるが、早くも2軒に断られてしまった。残る民宿は「まるだい」。ここで宿泊を断られたら、私は島で2日間、野宿しなければならない。
ふらっと来た鳩間だが、大変なことになったと思った。
まるだいの門を叩くと、でぶっと太ったおじちゃんが出てきた。宿泊を請うと、
「ああいいですよ」
の返事。このときの感激を、私は一生忘れない。
宿に荷物を置いて昼食に出ようとすると、
「昼は食べられないよ」
という。
「?」
「島には食堂が1軒もないのサ」
「エエッ!?」
これは本当に、とんでもない島に着いてしまったようだった。
昼食後、さらにおじちゃんは、
「いま小学校の校庭でグランドゴルフをやってるんだが、あんた私の代わりに出てくれ。NHKの人も来てるから」
といった。おじちゃんは、登校拒否になった児童を引き取る里親になっていて、その模様をNHK「人間ドキュメント」が取材に来ていたのだ。
指示された小学校に向かうと、NHKのスタッフ嬢に、
「あなたの映った映像を流すことになりますが、よろしいでしょうか?」
と聞かれた。私は当然のように、はい、と答える。ちなみに後日その番組を観たが、グリーンゴルフのシーンは、全編カットされていた。
鳩間島は全島が自然そのもの。気候は温暖、海も透明度が高く、私は鳩間島が大いに気に入った。そしてなにより、朴訥だがどこか温かみがある、宿のおじちゃんに、大きな好感を持ったのだ。
鳩間島へは、西表島・大原から郵便船に便乗しても上陸できる。
その次の年以降私は、貨客船との両方を駆使して、その後も鳩間島にお邪魔するようになった。それはもちろん、まるだいのおじちゃんに会うためであった。
きょうの高速船は西表島の大原を経由する。それでも1時間10分で着くから、貨客船の2時間20分に比べると、涙が出るような速さだ。
きょうは乗客が多く、サザンクィーンとあんえい12号(八重山観光フェリーとの共同運航)の2隻で出航。西表上原で多数の乗客が降り、サザンクィーンにまとまった一行は、10時40分、鳩間港に着いた。
ここからまるだいまでは坂を登っていけばすぐだ。何しろ鳩間島は周囲4キロ。ちょっと歩けば、すぐ反対側の岸に着いてしまう。
玄関に着くと、先客が4人いた。家族1組と青年。いずれも同じ高速船で来たようだ。
食堂を見ると、懐かしいおばちゃんの姿があった。受付を済ませると、おばちゃんが先の4人を部屋へ招じ入れている。ちょっと様子がおかしいので、私もそれに続いてみる。
「……ああっ!?」
思わず私は、絶句した。それは大変な、ショックだった。
(つづく)
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石垣島上陸・竹富島に行く

2011-08-18 23:39:47 | 旅行記・沖縄編
14日(土)の宿泊も私ひとり。よって15日(日)も、ペアレントさんと私と、ふたりだけの食事になった。ここ宮古島ユースホステルは、毎年キャラクターの濃いホステラー(宿泊者)がいるのだが、今年は客自体がいないから、論外である。
ゆったりした朝食が終わった。年に1度の宮古島旅行も、2泊だけではあっという間だ。ペアレントさんとも来年の再会を約束し、私は宿を後にした。
さて石垣行きの飛行機は11時25分だが、宮古空港行きの路線バスは本数が少なく、発着便にも対応していない。飛行機利用者はタクシーを利用しろ、ということなのだろうが、このへんの宮古協栄バスの感覚が分からない。
私は宮古郵便局で815円の旅行貯金を済ませると、ぶらぶらと宮古空港に向かう。この時間がもったいないが、時間が中途半端で、ほかに行くところもないのだ。
飛行機はDHC-8型のプロペラ機だった。昨年は利用しなかった特便割引を今年は使ったが、それでも石垣空港までは10,700円する。八重山旅行に宮古島観光を加えると、けっこうな出費になる。来年以降は考えなければならない。
11時59分、石垣空港着。ここから連絡バスで、石垣市街に向かう。港の入口あたりに来たとき、不思議な感覚にとらわれた。この風景を見るのは1年振りなのだが、最近も見たような錯覚を覚えた。期間でいえば3ヶ月振りくらいの感じか。それだけ時が経つのが早いのだろうが、私がちっとも成長していないことの証のようにも思われた。
何はともあれ腹ごしらえ。石垣に来ると必ずよる日本蕎麦屋がある。「ひらのや」といい、石垣市役所の近くにある。今回も入り、ランチ「精進天丼セット」を頼んだ。野菜ミニ天丼にたぬきそばで750円は安い。
腹もくちて石垣港ターミナル構内に入る。石垣港高速船乗り場が数年前に移転し、立派な待合室が出来てから、だいぶ使い勝手がよくなった。
まずはきょうの宿の手配。昨夜、石垣市内にある八洲旅館ユースホステルに予約の電話を入れたら、ペアレントさんが病院通いで、8月いっぱいは休館、とのことだった。ふつうの宿で「休館」はありえないが、ユースの休館はよくある。
それはともかく、八洲旅館が休館とは誤算だった。昨年はノリのいいヘルパーさんがいて、3日間のゆんたくは爆笑爆笑また爆笑だった。あのひとときを今年も…と目論んでいたのだが、予定通りに行かないのが旅であり、人生である。
まあ、男ひとりの宿泊はどうとでもなる。石垣空港などで無料で配布している旅行ガイドから、市内にある適当な宿を選び、宿泊の予約をした。
結果はOK。勢いに乗って、翌16日(火)の予約も入れてしまう。場所は鳩間島にある「民宿まるだい」。ここは宿のおじちゃんがぶっきらぼうながら面白い人で、このおじちゃんに会いたいから毎年鳩間島に行っている、といっても過言ではない。電話の応対にはおばちゃんが出たが。16日の宿泊はOKだった。これで宿の手配は完了である。正味4泊5日は、沖縄旅行には短すぎる。
八重山観光フェリー、通称「やえかん」の窓口に行くと、「かりゆし周遊券」なるものが発売されていた。石垣に来るときの機内誌にも載っていたが、これはやえかんが運行する離島の高速船が、4日間乗り放題で5,000円、というもの。これ、離島めぐりをした人なら分かると思うが、離島愛好者にとっては涙の出そうな企画である。LPSA芝浦サロンの1ヶ月間フリーパスが1万円、という企画のようなものだ。
離島の運行はほかに安栄観光などがあり、やえかんと安栄はライバル関係にある。やえかんが観光客の取り込みに強烈な一手を放ったといえ、安栄の反撃が注目される。
もちろん「かりゆし周遊券」を買い、まずは竹富島の往復券を発券してもらう。次の出発は13時30分だ。ちょっと時間があるので、構内を回る。ある商店で辺銀食堂の「石垣島ラー油」が売られていた。その価格、何と2,000円! ふつう買えば840円だが、このラー油は入手困難なので、プレミアがついている。この店、たしか去年は1,800円で売っていた。しかし今年の2,000円は、限界点を越えてしまった感じである。たかだかラー油に、こんな大金は出せない。
乗るべき船が入港したが、竹富行きには珍しい大型船だった。
着席して、やえかんの時刻表を改めて見る。竹富行きはは本数も多く、日帰りできるから問題はない。
翌16日は9時30分の高速船で鳩間島入り。17日は10時45分発の第1便で石垣に戻る。10時45分? これは意外と遅い時間である。17日、石垣から那覇行きのANAは18時30分発。17時半ごろには石垣バスターミナルに戻ってこなければならないが、離島に行くにはちょっと時間が少ない。八重山に来ると毎年訪れている黒島は、13時00分発。戻りは16時00分発となる。黒島の正味2時間では、仲本海岸で泳ぐのもちょっと慌ただしい。
しまった…と思う。ということは、黒島に行くならきょうだった。こんなことなら「ひらのや」で食事をせず、真っ先に今後の行程を考えるのだった。
しかし私は竹富行きの船の中である。きょうはこのまま竹富に行って楽しむしかない。
13時30分、石垣発、45分竹富着。竹富島にはもう何回も行っているし、さすがにもう飽きたが、島の集落に美味いかき氷を食べさせる店があり、あれは島に訪れたら賞味する価値はある。今回の目的もそれであった。
とりあえずはコンドイビーチまで歩いていく。このビーチは究極の遠浅で、どこまで行っても、波がヒザ下までしかこない。したがってサンゴや魚の類もあまりなく、鑑賞するのは水着のおねーちゃん、ということになる。しかし沖縄の日差しは厳しく、ビキニを着るなど自殺行為だ。よって、そんな女性もいない。
チャプ、と海に浸かって汗を取る。しかしそれだけではやはり退屈だ。1時間ほどで上がって、例のかき氷屋を目指した。
店の正確な位置は憶えていないが、近くに行けばぶち当たる。ところがこの店が、まさかの休みだった。人気のある店は、書きいれ時に関係なく、臨時休業をすることがある。
すっかりシラけて、島内を歩く。「もろみの塔」が見えてきた。この塔はだいぶ昔からあったが、昔はそんなに人気はなかったと思う。しかし塔からの景色が素晴らしいのと、「定員1名」という希少価値が相まって、徐々に人気が高まった。
いまも観光客が列を作っているが、カップルばかりで、とても私は並ぶ気になれない。
いまさら水牛車に乗る気も起こらず、私は16時15分の高速船で、石垣島に戻った。
(つづく)
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宮古島・新城海岸に行く

2011-08-17 12:54:32 | 旅行記・沖縄編
今回の旅行は宮古島に2泊、石垣島に2泊し、17日(水)に帰京することになっている。ただし例年とちょっと違うのは、帰り、那覇→羽田のチケットがまだ取れていないことだ。もし当日も席が取れなかったら、私はどうするのだろう。
朝日で目が覚めて、宮古島2日目が明けた。食堂に行くと、ペアレントさんが朝食の準備をしている。声を掛けて、1年振りの再会となった。私が初めてペアレントさんに会ったのは私が20代のときだから、けっこうな時が経つ。そのぶんお互い歳を取っているわけだが、少なくともペアレントさんの容姿は当時のままだ。
ほかに宿泊者がいなかったので、ペアレントさんを相手にふたりで食事。これがまた至福の時間である。この雰囲気を何度も味わいたくて、私は毎年、宮古島ユースホステルに宿泊するのだ。
朝食のあと他愛もない話をして、私は宿を出る。本日向かうところは新城(アラグスク)海岸である。吉野バス停のひとつ手前の新城バス停から歩いて30分のところにある、白砂の綺麗な海岸だ。
連日同じ方向へ出かけるのは頗る味がわるいが、ひとり旅なので誰に遠慮をすることもない。11時ちょうど、きょうは平良営業所から出発。運転手さんは例の山口英夫八段似の人だ。乗客は私を含めて3人。相変わらず閑散としているが、これが平日なら、もっと人が乗っているのだろうか。
11時30分、新城下車。ここから海岸までは徒歩で25分前後かかる。しかし一本道なので、吉野海岸よりは分かりやすい。
正午前に、海岸に着く。すぐさま海の家の人が寄ってくる。ここは2社が営業していて、浜の左右にそれぞれ無料休憩所を設けている。旅行者は歓待され、そこで1日休んでもいいのだが、そこはそれ、そのお返しに食事でも…という暗黙の了解があるわけだ。
このシステムは私は好まないが、実際日除けはありがたく、今年もお世話になった。
すぐに着替えて、海岸に潜る。新城海岸と吉野海岸、バス停でいえばひとつしか違わないが、海の中の様子は微妙に違う。私はサンゴがいっぱいある吉野海岸のほうが好きだが、新城海岸もけっこうある。吉野はあんな感じなので最近は敷居が高く、どうかすると新城海岸のほうがのんびりできる。
ひと泳ぎしたあと、お約束の昼食。宮古そばか宮古牛カレーか迷ったが、きょうはオシャレにカレーにした。500円。ちょっと質素だが、これでも前日に比べれば豪華だ。
またひと泳ぎしたあと、今度はかき氷を食す。200円は良心的な値段といえるだろう。
午後3時20分、海を出る。新城海岸のシャワーは、覆いはないものの無料でありがたい。その脇には簡素ながら脱衣所もある。すべてが有料となってしまった吉野海岸とは雲泥の差だ。
さっぱりして、新城バス停まで戻る。このバス停脇に自動車修理工場があり、以前そこの社長とおしゃべりをした際、平良まで送ってもらったことがある。今回も…と淡い期待をしたが、残念ながら工場は休みだった。
16時40分、宮古協栄バスが来る。バス停の時刻表は当然ながら「16時30分」となっている。乗客は私ひとり。大型バスを優雅に借り切って、気持ちがいい。保良で折り返し、平良へ向かう。途中の更竹でひとり男性が乗ってきた。きのうと同じ人だ。
そして私もきのうと同じく、下地鮮魚店前で降りる。そしてこれまたきのうと同じく、例の喫茶店は休みだった。これはいよいよ、閉店してしまったのかもしれない。閉店といえば、きのう港近くの飲食店街に出向いたとき、AV女優・月見栞表紙のエロ雑誌を買ったこともある本屋が、居酒屋に変わっていた。宮古島も、いろいろと変動が激しいようだ。
ユースホステルへは前日にチェックインしているので、きょうはそのまま港方面に行く。宮古島最後の晩餐は優雅に…といきたいところだが、きょうは旧盆の最終日で、主だった飲食店は休みだ。
そのままユースホステル方面に戻ったが、そのまま歩くとユースに着いてしまうので、途中で方向転換する。きのう入ったスーパーかねひででは、400円の弁当が100円で売られていたが、きょうもそうなのだろうか。しかしいくらなんでもなあ…。と思う。
下地鮮魚店前バス停の近くに、和食を食べさせるファミリーレストランがあったことを思い出し、そこまで行く。「お手軽寿司セット」1,165円。4桁の食事は豪華すぎるが、たまにはこんな贅沢もしていい。寿司や蕎麦は、いずれも美味かった。
このあとは、スーパーかねひでに寄る。ハイサイさんぴん茶を買うためだ。やはり98円は破格である。
ところが店に入ると、値札が138円になっていたのでズッコケた。98円は、きのう限りの特売だったということか。
しまった、と思う。こんなことなら、きのう2本を買ってしまい、1本は宿に置いておけばよかった。こうした商品は価格がコロコロ変わる。安いときに買っておく、という買いだめの精神が私にあれば、きのうは躊躇なく2本買っていただろう。
しかしまあ、仕方ない。私は138円になったそれを、しぶしぶレジに持っていった。
(つづく)
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