本会場で展示されているものの中で目を惹いたのは椿を題材としたこの写真のものである。眠っている兎と目を見開いている兎である。これらも面白く関心を惹いたものである。
「めぐり」とあるからには場所を移さねばならない。キョロキョロしながら街道を歩いてみたのだがなかなか会場が見つからない。アーケードを抜けて道路渡りきったところに展示会場を見つけた。中に入るやいなや目に飛び込んできたのがこの彩の綺麗な切り絵であった。雛祭には縁のないものばかりが飾られていたので、コンセプトの無さに辟易しているのだが、展覧会と思えばいいのかと気持ちを入れ替えた。やはり歴史の浅さを露呈しているようでもある。ただ、ここ田川後藤寺を皆でなんとかしたいという気持ちはひしひしと伝わって来るのである。
春間近になると馬鹿者が増えてくるようだ。私のマイナーなブログにも手を出している。
以前からお断りしているようにまともかどうかは必ず判断し、その上で取捨している。
懸命な読者諸氏に置かれては当日寄せられたコメントは当日には絶対に開いて見ないように重ねてお願いしておく。今回ばかりは相当に頭に来ているのである。馬鹿は数多いて取るに足らない者ばかりなのだが、表題を見るやぷつりと線が切れてしまったのである。
書きたくもないが「犬」を馬鹿にした表現であった。私にはもう40年来愛した犬がいる。今でも携帯の待ち受け画面はその愛犬である。いまだに夢の中に遊びに来る。私を見守ってくれているものとも思っている。それを今回の馬鹿者は汚い土足で踏みにじっているのである。ぶん殴っても足りない。投げ飛ばして関節掛けて絞め落としてやりたいくらいの憤りを感じている。まだまだ言い足りないが、涌出て来る蛆虫より最低な馬鹿者には注意しましょう。
以前からお断りしているようにまともかどうかは必ず判断し、その上で取捨している。
懸命な読者諸氏に置かれては当日寄せられたコメントは当日には絶対に開いて見ないように重ねてお願いしておく。今回ばかりは相当に頭に来ているのである。馬鹿は数多いて取るに足らない者ばかりなのだが、表題を見るやぷつりと線が切れてしまったのである。
書きたくもないが「犬」を馬鹿にした表現であった。私にはもう40年来愛した犬がいる。今でも携帯の待ち受け画面はその愛犬である。いまだに夢の中に遊びに来る。私を見守ってくれているものとも思っている。それを今回の馬鹿者は汚い土足で踏みにじっているのである。ぶん殴っても足りない。投げ飛ばして関節掛けて絞め落としてやりたいくらいの憤りを感じている。まだまだ言い足りないが、涌出て来る蛆虫より最低な馬鹿者には注意しましょう。