出会いには、いろいろある。人、風景、本、映画、そして歌。その中には、自分の行動を決めるような、影響力のある出会いがある。
吉田拓郎の「自殺の詩」は、そんな歌だった。
高校に入って、私はフォークソング部というクラブに入った。そう書いても、「つま恋」にも出かけて行く私なので、ああ、そうかと思われるだけだと思う。
だけど、私は「歌う」ということは、不得手で人前で歌うことなんかは大嫌いな人なのだ。今でも、お付き合いでは「カラオケ」なんて場所にも行くこともあるが、拍手係でいたいと思っている。
そんな私が、なぜそんなクラブに入ったのか。
その動機の裏側にこの歌があった。大きな声で、この歌を歌う。それが私の目標だった。
その頃、私はこの歌が怖かった。この歌を聴いていると、「死」が優しく隣に近づいてくるような気がした。
ある日、クラスメートが言った。
「自殺する人って、凄い勇気があるよね。」
「そんなの、勇気なんかじゃないよ。」言い返した私の語尾はきつかった。その人は、むかついて言い返してきた。
「だって、死ぬのって怖いじゃない。私にはとても出来ないわ。」
訳が分からない。自分に出来ない事をすることは、凄いことなんだろうか。
「自殺しようとする人たちは、生きていく勇気が無くて、生きて行くのが怖いと思っているんじゃないの。」と、言ったところで、どうせありきたりの事を言ったようにしか、聞こえないに違いない。
私の住んでいるマンションの10階の踊り場から下を見ると、足がすくむ。私がこの柵を超えなくてはならないと言うのなら、人生の全ての勇気を出さなければ、無理と言うものだ。なぜなら、死ぬ気なんかさらさらないからだ。それと同様に自決を迫られる場合も、やはり勇気というものはいるかもしれない。死にたくないからだ。
でも、死の誘惑に駆られるものには、人差し指の後押しぐらいで、次の行動にあまり考えるということをしないで移ってしまうかも知れない。素人の私に自殺論は語れない。だからもう止めよう。
だけど、その昔。
駅に電車が入ってくる。
「白線までお下がりください。」と言うアナウンスに、ずっとずっと後ろまで下がり、ホームのキッチリ真ん中でしか電車を待てなかった私。拓郎のその歌が、怖くて怖くて仕方がなかった私。
失敗知らずで、いつも人生に愛されていると信じていたあの頃の、最初の挫折は必要以上に、私を打ちのめしてしまっていた。
ちょっと今はその時のことは書ききれない。
でも、その歌を怯えずに歌ってやると言う動機が、私を次の行動、つまり部活選択をさせたのだった。
ある意味、ささやかなことだが、自分の状況を打破するために取った自分なりのファイティングポーズだったかも知れない。
拓郎はこの歌を、高校二年のときに作ったらしい。
誰もが感じる思春期の行き詰ったような閉塞感。出口の向こうには、時には優しい「死」があるような錯覚がある。彼もまた、この歌を作ることによって、自分の人生に、そのこぶしを打ち込んだのかもしれない。
―疲れた体を横たえて、今日という日を死んでしまおう
そして、目覚める、再生の朝にー
こう書くと、いかにも私らしい言い回しだが、今思うと、人差し指の後押しのように感じて、怖くて仕方がなかったあの歌は、実は同じようなことを言っていたのかもしれないナァと、やっと分かった今日この頃だ。
その歌詞の一部
♪歩き疲れてしまいました
しゃべり疲れてしまいました
何もかもに つかれて今日が来ました
けだるい午後の陽ざしは 花をしおらせて
道行く人の言葉も かすんでいました
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
バイバイ バイバイ
今日のすべて
バイバイ ♪