森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「タミフル」ですが・・・

2007-03-21 16:35:32 | ’08/12/7までの未整理日記
タミフル、10代投与を中止…異常行動また2例で(読売新聞) - goo ニュース

 ニュースネタが続いてしまいますが、今朝、この「タミフル」のニュースを見てちょっと気になってしまいました。


 我が家ではインフルエンザ経験者もタミフル経験者もひとりしかいません。それはルート君なのですが、彼は御丁寧に二回もインフルエンザにかかったことがあるんですよ。

 中学の時、インフルエンザに罹ったルート君にお医者様が
「今はいい薬が出来たのよ。」とタミフルを処方してくれたのです。劇的に楽になりました。特効薬と言うのは本当ですね。

ただ、今問題になっている異常行動のことですが、あのことはこのときの出来事だったのかと思うことがあるのです。


子供が病気の時、さりげなくなんども子供の部屋をのぞきに行く私ですが、たまたま覗きに行った時、ルート君はむっくり上半身を起こしました。

「どうしたの、トイレ?」と聞くと
「うん。」と答えます。だけど、手を伸ばし宙にある、何かを掴もうとしているのです。一生懸命に続けています。私は吃驚してしまいました。これって寝ぼけているわけ?熱にうなされているわけ?

 だけど、ルート君は立ち上がり部屋から出て行こうとします。そして、玄関の方に向かいます。
「ルート、そっちはトイレじゃないよ。」
私は、彼の向きを変えて、トイレまで肩を抱いて連れて行きました。でも、トイレに行きたっかのではないみたいなのです。

部屋に連れ帰っても何か言っていたような気がしましたが、私は怖かったのですよ。寝言に返事をしてはいけないと言うでしょう。だけど、全然目覚めないで、寝ぼけている子供の言っている事を、まるっきり無視は出来ない感じで、
「そうね、そうね、ほんとにそうね・・」とか言いながら、
「だからね、今はここに横になるのよ。」と寝かしつけ、しばらく子供の部屋でぼんやりしていました.


こんなことは、後にも先にもないことでした。だからと言って、このことは「タミフル」との因果関係があるかどうかを問うようなものではありません。時期も本当に一致しているか100%の確かさではありません。私の中では、薬の副作用と言う発想はなく、熱が下がっても、熱で錯乱するようなことがあるんだと思いました。

ただ、これは単なる寝ボケとは明らかに違う怖さがあったのです。

元気になった頃、その話しをしても、ルート君はまったく覚えていませんでしたよ。

私はたまたまドアを開けたのです。そしてその時たまたま子供がエクソシストのようにむっくりと起き上がったのです。そのときの様子を見ていたから、上のような経緯になったわけですが、そうでなければ熱も下がり、トイレに行くと言っている中学生の後についていく母親などいないと思います。

でも、ルート君はあの時何処に行こうとしていたのでしょうか。



「可能性」と言う情報であっても、判断基準の元になるわけですからもっともっと早い時点で、知りたかったです。「可能性」を知っていたら、起きなかった事故もあったのではないでしょうか。


 反面・・・・
朝、ニュースを見ていただんなが言いました。
「これ、きついなぁ。」
これは例年より遅れて流行っている、今年のインフルエンザなのにタミフルを使いたくても使えなくなってしまうことがきついといったのです。

前にみのもんたの「朝ズバッ!」で、タミフルが原因ではなく、インフルエンザによる脳症に原因があるようなことを言っていて、知り合いの看護婦さんはそれを支持していました。

ルート君の最初のインフルエンザの時、半端ではない高熱で、座薬を入れても39度近くあり、私は氷を入れた洗面器の中でタオルを絞り何度も交換しながら、インフルエンザの嵐三日が過ぎるのを頑張りました・・・



―何かを最初に間違えてしまった、気持ちの悪さを感じえません。
コメント (6)
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父と子

2007-03-21 01:51:36 | ’08/12/7までの未整理日記
宮崎駿版の「人魚姫」、新作アニメ来夏に公開(朝日新聞) - goo ニュース

今朝新聞を開いたら、宮崎駿監督の新作「崖(がけ)の上のポニョ」の記事が載っていた。


宗介のモデルの一人は、「ゲド戦記」を監督した宮崎監督の長男吾朗氏。「仕事を理由に、幼い息子とかかわることがなかったという自省が監督の胸にある」と鈴木氏は説明する。



 父殺しから物語が始まる「ゲド戦記」。その偉大なる王が誰を暗に指し示しているのか、感じてしまった人は多いと思う。だが、あえて原作にない父殺しという重いストーリーを加え、またはそれは精神的なものの比喩だったとしても、深淵のテーマに触れておきながら、少しも描ききれていなかった、ゆえに「ゲド戦記」は、私の中ではイマイチである。


 だけど、今度はその父が、息子吾朗をモデルにするという。

子育ての反省は誰にでもある。自分の人生を作品に織り込んでいくと言うのは、何も問題がない。が、しかし・・・である。何でかみたいと言う気持ちが失せる。

宮崎版人魚姫と言えば、ワクワクしそうなものなのだが。

どうもこの親子は、映画で自分の気持ちを語り合っているような気がしてしまう。

だけど、この記事の内容からでも私はそんな風に感じてしまったのに、スポーツニッポンの記事はどうだろう。


吾朗氏が昨年、「ゲド戦記」で映画監督デビューしたことを、宮崎監督は自分への反抗ととらえ、「こんなことになったのは吾朗が5歳の時、仕事ばかりで付き合っていなかったからだ。二度と吾朗みたいな子をつくらないために」と反省の気持ちを込めているという。



かなりストレートだ。だいたい、<吾朗みたいな子>って、どんな子のことを言うのだろうか。まぁ、幼年時代、忙しい父親に構ってもらえない寂しい子供と言うことなのだろうなとは思うが、何処にもそんなことは書いていない。
<反抗><こんなことになった><吾朗みたいな子>一人歩きしそうな言葉が並んでいる。



私が上に書いたような「映画の中で・・」と言う事を言ったら、ラッタ君が
「壮大な親子喧嘩」と言った。


吾朗氏は自分がモデルになることを照れているらしいので、本当は違うのだと思うが、我が家と同じような事をふと感じてしまった人たちも、多いのではないだろうか。





 




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