昨日の「相棒」、面白かったのですが難解でしたね。
〈「相棒」の感想は、遅れてまた書く予定です。〉
仕事から遅く帰って来たルート君、食事の頃にちょうどドラマは半分というか、その辺りでした。
チョロチョロっと見て、
「『シュレーディンガーの猫』がテーマか~。」と言いました。
ドラマは途中だったので、そんな言葉の説明があった事を彼は知りません。
「えっ!? これの事知ってるの!?」と私。
とっても失礼なお母さんです。←私。
「量子力学のあれでしょ。知ってるだろ、普通。」
「げげ、なにそれ。まるで知っている事が常識であるかのような発言は!?」
この「家族スナップ」のルート君シリーズ(勝手にシリーズ化)をご存知の方は、いつもと会話が逆転してることに気が付かれると思います。
世間で俗に言われる「ゆとり世代」のルート君、知らない事がいっぱいです。でもよくよく考えてみると、私が唐突に出している問題は歴史とか文学関係で文系の問題なんですよね。
それで私は言いました。
「凄いね、やっぱり君、理系の人だったんだ。」と。
そしたら言わなきゃいいのに、ルート君。
「いや、ナニね、仕入れ先はアニメなんだけれどね。」
ちゃんちゃん。
いやいや、別に良いのです。
私だってどれだけ漫画で知識を仕入れた事か。
漫画家様が、何十冊もの資料や小説などを読んで作品を仕上げ、それを読むことで間接的にたくさんの知識を知らないうちに身の内に取り込むと言う事はあると思います。
だけどこの「シュレーディンガーの猫」って、シュレーディンガーと言う名前がカッコいいからなんだと思うのですが、なんか「猫」が付くとさらにかっこ良く感じませんか。
このカッコいいネーミングの猫の事が知りたい方は→こちらです。
ところでワタクシ、量子力学などと言う「学」はありませんが、こう言うことって数式には出来ないけれど、考えるよなって思ったりもします。
言うなれば可能性の世界。
例えば事故や災害で命が断たれてしまった場合、実は間一髪で助かったと言う可能性がそこに存在するとするでしょう。
断たれた方の命の記憶はそこで止まってしまうけれど、助かったと言う可能性の世界の人はその先の世界が続いていくのです。
ゆえに死なないのですよね。
(言ってること分かる?)
こうして、自分以外の人は死んでいくけれど、自分自身は可能性の世界の自分の記憶が受け継がれていくので、ほとんどの人が自分の寿命を全うしているのかもしれないなって、時々私は思うのですよ。
例えば私自身も、あの時、この時と死んでいて、助かったと言う可能性の世界で目覚めているのではないのだろうかと思う事があるのです。そしてまた懐かしいあの人やあの人も、ちゃんと可能性と言うパラレルワールドの世界で、何もなかったかのように、そこの世界の私と笑い合っているのかもしれないとも思うのでした。
何わけの分からない事を言っちゃってるんだ、この女は !?
って、思いましたか?
そうだろうなって思います。
だけど私は、こういう事を星屑さえも見えるような、そんな夜空を見ながら考えるのです…と書いたらどうでしょうか。
きっと満天に降り注ぐ星の数に圧倒されたことのある人の中には、
「あっ、分かる。何となく。」って思う方もたくさんいらっしゃるのではと思えるのです。
※ ※ ※
私たちは何処から来てどこに行くのだろうー。
ただ分かっている事は、本当は何も私たちは分かっていないのだと言う事だけなのではないでしょうか。