私が今やるべきことは、ズバリ家の片づけかなと思っています。
でもこの家の片づけに終始し、その事だけで頭をいっぱいにするのは、いかがなものかとも思います。
これを仕事にしているのであれば、また別の話ですが。
でもやっぱり今メインでやる事は、掃除と片付け。
で、コツコツやっています。
その記事を書きたいなと思っているんです。
だけどその他の書きたい事もたまっていってしまうんですよね。
欲張り、私。
NHKの「あさイチ」で藤原竜也さんの楽しいトークを見ましたが、その感想も含めて、明日は「海底の君へ」の放送があるので、明日は竜也さん関連一色でいこうと思います。
でも今日は、溜まってしまったささやかな事をメモ的にどんどんアップ出来たら良いなと思います。
と言いながら、つべこべと文章を書くので、いつも2つで終わったりすることが多いのですが、いくつ行けるかも挑戦しちゃおうかな・・・。
画像が無いのも寂しいので載せました。昨年のカレンダー写真です。
とりあえず、今、一番最初に言いたい事は、
失敗こそが自分の財産になる時があるって事ですよ。
いや、本来は成功の記憶が(私もそうですが)人の人生を支えるものだと思います。、失敗の記憶は辛くてずっと自分の負の部分を形成していたとも言えると思います。
だけれど人生で無駄なものは無いと言うのも本当で、その失敗の経験が必ず自分の血と肉になっていたりすることに気が付くことがあるのです。
ただそれはすぐにじゃない場合が多いのです。
私の場合なんて・・・・
とにかく私は、嫌な事から逃げる体質で面倒な事は後回し的な性格。だから私の人生なんか失敗の連続ですよ。
そしてその最初の大きな失敗は高校受験です。
きっとその頃までは、かなり自分に自信を持っていたのでしょう。最初の挫折に私はちょっとノイローゼになり、今みたいに心療内科みたいなお気軽に門が叩ける所があったなら、私はそこに通院したと思います。
この頃の気持ちを書いた記事が吉田拓郎氏の歌について書いた「自殺の詩」です。
その時の失敗は自分の中で、はっきりと負の部分を形成していました。ある意味トラウマになっていたと思います。そのトラウマから抜け出したのは、長男の受験の時でした。詳しくは書けませんが、彼が私を負の池の中から救い出してくれたように思います。
そしてその時のあれやこれやの経験は、今の私の財産です。
「その時」と言うのは長男の受験の時ではなく、私の受験のその後の時の事を指して書いたのですが、今思うと彼とまたルート君の受験も含めて、みんな良い想い出と経験になりました。もちろん良い想い出ばかりではないのですよ。
そして失敗の経験だけはたくさんある私に、「あの時の失敗」「この時の失敗」と言う経験が本当に役に立つ時が来たのです。
30年後に。
長い長いスパンです。
私にだって絶対に経験したくない事がいくつかあります。怖いのでブログにも書きませんが、その思っているいくつかを除けば、失敗こそが自分の財産になる事もあると、そう言う事もあるのだと私は思います。