今更ですかと言われそうですが、今頃になって「タイトル」が楽しみになってきました。
「新選組!」の時もタイトルには拘りを見せていましたが、「真田丸」でもこれはずっと二文字の熟語で行くんだなと、その拘りに嬉しく思ったりもしたのです。それに気がついたのは3回目辺りと気が付くのは遅かったのですが、二文字の熟語でタイトルを貫くっていうのは、回数も多いし時は戦国とお話の内容も内容なだけに、結構難しいような気がするのですね。
だからどんな風に続いていくのだろうかと、それも楽しみの一つになったと言う次第なのです。
ドラマを見る前に、そのあらすじなどを読んでいた夫が、
「松は死んでしまうのかも知れないね。」と言うので、驚いて
「いや、この人は長生きよ。」
だいたい死ぬっていうキャラじゃないし。
「じゃあ死んでしまうのは夫かな。」
「いや、あの人も長生きよ。」
「じゃあ、なんで『悲しい知らせと共に帰って来る。』なんて書き方をするんだ?!」
「それは今回のドラマの中では悲劇チックな展開になるって事で、シブトク生きるって分かってるから安心して見てられるわ。」
歴史を描く大河の見方には実は二通りあるのかなと思います。
先の事は分かっているけれど、その展開がどう描かれるかを楽しむと言う見方と、さっぱり何も知らないのでどうなっていくのかと筋からハラハラしながら楽しむと言う見方。
そこのところを作り手が良く分かっていると、気持ちの悪いような歴史的改ざんはしないし、松の安否も次回まで引っ張るなんて事はしないのですよね。(助けてくれた男が良さそうな人で良かったですね。)
そんなわけで三谷さんの作品は、安心して見ていられます。
信長が死んで、またも時代の海に放り投げだされたような真田一族。
織田の家臣として滝川の配下になるのか、北条につくのか上杉につくのか・・・・?
滝川が明智討伐の準備をしているうちに、秀吉が明智を打ってしまったと報告が入ります。
ようやく秀吉の名前が出てきました。名前ばかりではなく調子のよいような姿もチラリ。
「羽柴秀吉様はどのようなお方ですか?」と滝川に問う昌幸。
ようやく名前がインプットされたところなんですね。
一方その頃徳川は、伊賀越えの疲れが取れずに家康はお灸などして休憩中。
本多忠勝などは一日で、その疲れを取ったと豪語します。そして早く明智討伐に行こうと促すのですが、まったく行く気など家康にはなく、滝川の援軍要請にも、行くと答えても行く気なし。
狸っぷりが全開ですが、なんか彼らのシーン、今のところですがコント風で憎めないんですよねえ。
そして私には、男たちの汗臭い、いやその段階じゃなくて今後の未来がかかっているわけですが、その駆け引きよりもなぜか心に残ってしまったのは、きりの悲しい対応だったのです。
そりゃ、梅のように
「源二郎様が生きて戻って来てくれて嬉しいです。真田の里で何かあったら、私を守ってくださいませ。」のような事を言われたら、胸もキュっとなるってもんですよね。
それなのにきりったら、
「(松の事を)、あなたのせいではないと言って貰いたいんでしょ?」などと言っちゃうんだものね。
なんか悲しいよ、きり。
梅かきりかと言ったら、私は梅のような人になりたいけれど、なんだかきりのような人になってしまいそうで、思わず応援しちゃいますよ。
あっ、これって、作者はそれを狙ってるのかしら。
まんまとその策略に嵌っちゃってるのか、私 ^^
人質になって行くおばば様に付いて行く事を報告したくても、仲睦まじい梅と源二郎の姿を見て、何も言えないまま旅立つきり。
待っているのだよ。
来週は助けに来てくれるからね。