家が雑然としてしまうにはいくつかの理由があるけれど、私の場合は認めたくないのですが、モノに対しての執着心が強い点にもあると思います。
たぶんそれは夫殿が言う通り父の遺伝子によるものなのかも知れません。これ、まだ使えるんじゃないかしら。これ、何かに利用できるんじゃないかしら。物を捨てる場面になると、そう言う考えがむくむく起きてくる場合も多いからです。
ただこの発想は、今の世の中はまるで捨てる事が正義と言わんばかりの風潮がある中、時には早々悪い事でもないと思います。
私の知っている方で、家はピカピカでセンス良く暮らしている方は、この発想をいつもうまく利用している方で感心しています。
だけどそれも限度があって、まったく時間も知恵も浮かばない中、ただ執着のみで取っておくのは愚かと言わざるを得ない事ですよね。
何の役にも立たないのに、捨てる時にちょっとだけ心がきゅっとなるのは、昨年の美しい写真のカレンダーです。
美しい花の大きさの丁度良いものだと、私は切り取って引き出しの敷紙にする時もあります。垣間見た底が美しいからです。
昨年のはサクッと捨てましたが、やはりその美しい風景が気に入っていたので前頁を写真に撮りました。
お片付け記事の時に、そのカレンダーの写真の画像を載せていこうと思います。
そして本題です。
この美しいカレンダーの写真とは全く関係のない話です。
先日の「売れ残った恵方巻の大量廃棄」の記事を読みましたか?
その一方、こんなニュースも。
→フランスが大型スーパーマーケットでの食品廃棄を禁止、「フードバンク」への寄付を義務付ける
なんだかいろいろと考えてしまいますよね。
だけど、今日の私は何もエラそうな事は言えません。(いつも言ってないけれど(^_^;)
今回はかなりダメ主婦の反省の記録です。
結局は夫がインフルエンザで伏せっていたのでやらなかった年末の大掃除では、ラスボスはキッチンだと思っていました。
油汚れがギトギトと言うのではなくて、食品庫がえらい事になっていて・・・・・・。
普段の買い物があまり好きでないので、まとめ買い派の上に、一昨年辺りから忙しい忙しいと暮らしていました・・・・と、言うのは言い訳です。
とにかくぐちゃぐちゃになってしまったので、きっと恐ろしい事が起きているんだろうなと思いつつ、余計に手を出したくない場所になって行ってしまいました。要するに逃げていたのです。
でもやりました!!
全部出すと言うお祭り型お片付けは、夕方までとか言う時間制限付きでは上手くいかない場合もあるのですが、夫が入院中だったのでそのやり方でやりました。これぞ家人が居ない唯一のメリットだったかもしれません。
真夜中までテーブルの上がぐちゃぐちゃでも、別に誰にも遠慮が要らないと言うか・・・・
えっ?
ルート君ですか?
いやいや、彼は平気です。
テーブルの半分を空けてあげれば、うるさい事なんか言うわけがないのです。
えっ?
そんなに時間がかかったのかって?
かかりました。
お片付けの時間制限はなくても、片付けるための時間はあまりなかったからです。
山のように賞味期限切れのものを捨てるかと思ったけれど、思ったほどではありませんでした。
思ったほどではなくても、やはり捨てるものはありました。
エイ、ヤーと捨てましたが心が痛かったです。
「すみません、すみません。」
心の中で誰かに謝っていました。
捨てたものを買うために働いてくれた夫にでしょうか。こんな妻でなかったら、うちはもっと豊かになっていたかもしれません。
食べ物の神様にでしょうか。
― あの時パン作りにちょっとだけ嵌っていて、次の粉を買ったのに、そのまま作らなかったんだわ。あれから二年もたっちゃったのね。もうこの粉、ダメなのかな。思い切って捨てようかな。
― ねえ、捨てるなら、それ頂戴。
ふと妄想の中の子供が語りかけてくる。
― もう、ダメなの、古いから。
― 古くても頂戴、それ。それ、食べたいよ。捨てるなら。
思わず私は呟いてしまいます。
「ごめんね。ごめんなさい。」
きっと私は世界のどこかにいる誰かに謝っていたのだと思います。
食材を無駄にしない。
基本中の基本。
でも時々、その基本をたがえてしまう事があります。
これからは気を付けます。
食品庫を片付けて、しっかり整理をしたので何があって何が無いのか良く分かるようになったので使いやすくなりました。
賞味期限と言う数字に追われるくらいなら、もう「買っておく」と言う買い物の仕方は止めようと思います。
とにかくこの年齢になってくると、日にちが経つのが早いんだものね。
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