森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

2010年11月29日の記事「龍馬伝最終回『龍の魂』」

2016-08-27 09:13:57 | NO.50の記事

※ このカテゴリーの趣旨は、「昨日の50番目の記事&夏の飾りを楽しむ」をお読みください。

※ 今朝、この記事の少し前にアップした「「ジャングルブック」を観てきました。」も読んでくださいね。

 

8月26日の50番目の記事は

『龍馬伝最終回「龍の魂」

今日は冒頭のシーンから、涙がジワっと来てしまいました。
海辺の訓練のシーン、海援隊がいるのかなと思ったら、そこに龍馬がやってくると、なんと向かえたのは武市さんに以蔵にそして長次郎までいるではありませんか。
そしてみな嬉しそうに「もうすぐじゃ、もうすぐじゃ。」と言っているのです。もちろんそれは、夢が叶うのは、新しい時代がやってくるのは「もうすぐ じゃ。」と言っているのでしょう。でも、過去の未来を知っている者にとっては、それは「もうすぐ会える。」と言う風にも聞こえてきてしまったのでし た。・・・・・使命を終えてもうすぐ会える。

それは龍馬の見た夢のシーン。
・・・・・・・・・・・』

でした。

大好きだった「龍馬伝」。その記事を掘り起こしてくださって、ありがとうございます。

 

「龍馬伝」は最終回まで失速ナシで素晴らしい作品でしたね。

龍馬と弥太郎の二人の主役が良かったことは最終回の記事でも書きました。

他の方々の想い出を語れば・・・・・。

この時人切り以蔵を演じた佐藤健さんは、この時の演技が認められて、後の「るろうに」に繋がったのではないかと、私は思っているのです。顔の腫れも引かずにボコボコのままで斬首と言う演出も素晴らしかったです。

武市半平太役の大森さんもはまり役で凄く良かったです。

土佐藩主の山内容堂公の近藤さんも大好きだったし、今ウィキ様で「龍馬伝」のページでキャストを眺めてみたら、それだけで幸せな気持ちになってくるのです。本当に毎週楽しみにしていたんだなと思います。

そしてこのドラマを毎週楽しみなものにしたのは、やっぱり後藤象二郎役の青木崇高さんの存在だったと思います。

その頃は朝ドラを観ていなかったので、この役者さんを知らず、そしてこの役の為に15キロも体重を増やしていたので、決してハンサムにも思えず、役柄も結構アクの強いモノでした。最初はその癖のある役に嫌悪を覚えたほどだったのに、どんどんと好きになっていき、最後は役名の前にとうとう「私の」と言う冠まで付く始末です。

「私の後藤様」と感想を書いていた一年は、本当に楽しかったです。

 

「真田丸」だって、相当気に入っていて楽しみに毎週見ているのですが、こんな風に「私の」まで付けて感情移入できる人がいないから感想を書く気がしないのかなととちょっと思ってしまったりもします。

武将として最近ちょっと好き度が上がってるのは、大谷刑部(おおたに ぎょうぶ)こと大谷吉継。

「関ヶ原」も近いですよね。

 

ちょっと実家に帰ります。

明日はブログはお休みします。

 



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「ジャングルブック」を観てきました。

2016-08-27 08:25:58 | 映画

 

以前は頻繁に一緒に映画を見に行っていた友達たちが、夫のリタイアと同時に一緒には行けなくなって、
本当に久しぶりに行った映画が「アリス・イン・ワンダーランド 時間の旅」でした。

その時にすごく友達たちは喜んで、また一緒に行こうと言うので、

「じゃあ、予告編でやっていた『ジャングルブック』を見ない?」とお誘いしたのに・・・・・・

速攻で
「あっ、それはいいや。」と言われてしまいました。

オバさん好みじゃないのか~、これは、と思いましたが、私と言うおばさんは、この映画の予告編にワクワクしたのです。ジャングルの緑の濃淡や走る動物たちの描写に。この時はまだ少年以外が皆CGだなんて知りもしなかったのですが、それでも8月になったらこれは絶対に見たいと思ったのでした。

だけど友人たちが速攻で「NO」と言った気持も、実はわからないでもないのです。

 

子供の時にはこの「ジャングルブック」と言う物語が好きではありませんでした。

動物たちとの交流が、幼稚な子供だった私には「幼稚」だと感じさせたのではないかと思います。それはすなわち今の友人たちのこの物語への印象そのものなのかも知れません。

「子供向きなんだ。」と言う印象。

確かに私はこの映画を見ながら、私に孫と言う存在がいたら良かったのにと思いました。一緒に見る事が出来たならどんなに幸せに感じた事でしょう。この映画は子供と一緒に難しい事を考えずに見る事が出来る映画です。でももちろん大人のお一人様だってOKです。

 

予告編で感じた通り、ジャングルの美しさや少年と動物たちの生き生きとした表情に引き込まれました。

お話も結構面白いのですよ。

 

だけどこの映画を見て、一番心に響いたものは「人間とは」と言う自分自身の問いかけでした。

 

中学の社会科の授業で習った、人間はなぜ進化して他の動物たちとは違うものになったのか。

それは二足歩行で歩く、言葉を持つ、そして道具を使うではなかったでしょうか。もしくは火を使う者だったかしら。

 

この映画はファンタジーですので、動物たちはほとんど話しますから、「言葉を持つ」はここでは当てはまらないかもしれません。

だけど・・・・

あっ、それはたいしたことはないのですが、この感想にネタバレはないつもりでしたが、その「だけど」の続きはほんのちょっとだけネタバレになってしまうので下の方に書きますね。

狼に育てられても、それがしっかり歩くようになってからの事だったからが幸いしたのか、モーグリ―は二足歩行です。この何気ない設定が人間社会に返すと言う選択が出来る幅を生んでいるのだと思いました。

 

そして、人間とはイコール道具を使う者の事を言うのかなと言うことを強く感じたのでした。。

人間の中にあっては「人間とは」などと考えることなどあまりない事だと思います。

だけれど動物たちの中のたった一人の人間であればこそ、「人間とは」と強く感じるたのかも知れません。

 

人間とは道具を使う者である。火も然り。

だけど今はその道具が私たちの生活の中で溢れ、不要になった溢れかえった道具を捨てるにも「技術」を要するような時代になってしまいました。だけれどそれは人間の世界すべてに起きている事でもないし、愚かにも道具で埋もれてしまったと言うのなら、時間と労力を費やして解決をしていけば良い事だと思います。恐ろしいのは、この物語の動物たちも言っている赤い花、すなわち火の扱いなんですよね。触れればすべてを焼き尽くす赤い花。

本当に恐ろしいのは、すべてを、道具で構築した人間の文明も、何の罪もなくジャングルで平和に生きている動物たちも、焼き尽くしてしまう赤い花の進化なのかも知れません。

 

だけどこの物語の中の唯一の人間であるモーグリ―はまた、私たちに「人間には知恵があるのだ。」と教えてくれるのです。

 

狼に育てられたモーグリ―の、人間としてのジャングルでの物語は、楽しくて美しくて夏休みの終わりの日々の想い出にお勧めできる作品だと思います。

 

 

 

 だけど…の続き。

この物語の中の動物たちは皆ほとんど話します。

でもたくさん出てくる猿たちは言葉を持っていません。(本当に大したネタバレじゃなかったですね。('◇')ゞ)

セリフが必要ないから?

声優が足りなくなるから?

私の勝手な推理ですが(正解と言うわけではありません。)、彼らは命令されて動いていたりして「個」の存在として描かれていないのですよね。ゆえに自分の言葉を持っていないものなんじゃないかなどと感じたのでした。

 

 

 

 

コメント (4)
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