土曜日からちょっと実家に帰りました。
その翌日に母と姉と近所の人とでちょっと出かけたのですが、その時に母と私はバスで隣あって座りました。
ある山道をバスが走って行くと、畑の真ん中に蓮の花がたくさん植えられているのが見えました。
「あっ、見て~ !!」と私が言うと、母は
「あれは蓮の花だ。」と言いました。
「・・・・・・ !? えっ !?」と、思わず、私は母を見て、
「知ってます !!!」と言ってしまいました。
「花の名前は何かなんて言っているのではなくて、綺麗だなと思ったから『見て』と言ったのです。」と、説明する私。
母と私の会話はだいたいこんな感じで成り立っています。
先日あった時には、その母が同じ話を繰り返すようになったなと特に感じました。
母が同じ話を何回もするのは、前からです。でもそれは歳を取ってボケが始まったからとか認知症の症状が出たからというのとはちょっと違って、話したい話を気の向くままにするからなんです。要するに話した事を忘れたと言うよりもまたその話をしたくなったのですると言うことなんですね。だけどどんなに面白い話でも数回聞かされたら、うんざりです。父がいた頃には気を付けていた事を、誰にも制止されずに歯止めなし。そして頻度が、加齢が加わったからなのか、行くたびに同じ話をするなと言う段階から、同じ話を数時間後にまたするにレベルが上がっていました。
この症状を世間ではボケの始まりというのでしょうか。
だけど子の欲目か、母は若く見え、かなりしっかりしているようにも思えとてもそうは思えません。
きっと歳を取ってくるとそう言うことが、誰にでも起こることなのかなと思い、自分は気を付けたいなと思ったりもするのです。
本当に認知症などで、同じ話を繰り返す人には
「それは今聞きました。」のように指摘してはいけないのだと、どこかで聞いたような気がします。
でも私は母はまだ平気だと思っているので、やっぱり言ってしまうのですよね。
「その話は、2時間前に聞いたよん。」って。
すると母は、
「何度でも聞かせてヤルから。」と言ったのですよ。
ムカッとするでしょ。ムカッとしましたよ。何言ってるんだ、こやつはって。
「何が『やるから』よ。『聞いていただく』でしょ。いやいや、娘に「いただく」はないけれどさ、そのぐらいの気持ちで「聞いてもらう。」と言うべきよ。」と言い返す私・・・・。
相手が年寄りでも容赦しないー。
すると母はいきなりしおらしくなって
「はい。分かりました。じゃあ、これからは聞いてもらうね。」
「うん。そうよ。聞いてあげますよ、いくらでも」
・・・・、あれ?
同じ話を何回でも聞いてあげる事になっちゃった。これって、どっちの勝ちなわけ?
そんな様子を見ていた近所の人が
「娘さんは良いわよねえ。楽しそうで。」と言いました。すると母は
「いいえ、娘には叱られっぱなしで。」などと申します。
まったくなんてことを言うのじゃ。
それじゃ、まるで私が怖い娘みたいじゃないのよー!
家に帰る道すがら、
「夕食は何にしようかしらね。」と言う話題になって、母が家にあるものでと言うので
「何があるの?」と聞くと
「ご飯ならいっぱいある。」などと言います。
「・・・・・・?」
ご飯がいっぱいあってもなあと思い悩んでいると、またそこで
「塩パンが買ってある。」と母が言いました。
私は短気なので、またもイラッとして
「なんでさ、夕飯に塩パンを食べなくちゃいけないわけ!?」と言うと、姉が
「美味しい塩パンがあるから、昨日わざわざ私に買って来てとお母さんが言って買ってきたのよ。花ちゃんに食べさせたくってさ。夕飯に食べると言うわけじゃなくて、『あるよ。』って言っただけよ。」
ー あっ、そうなのか。ジーン。
いやいや、「ジーン」じゃない。なんでそれを夕飯はどうしようかと話している間に言うのじゃよ、我が母上殿は。
と言うわけで、夜は昨晩の天ぷらの残りを姉に貰って天丼を作りました。
そして翌朝
塩パンは美味しかったです。二個も食べちゃった。
別に見た目は綺麗ではありませんが、母の作る朝食はゴージャス。いつもはこれに寒天が付いたりヨーグルトが付いたりするのです。フルーツをいろいろつけてくれたから今回はそれが無かったのね。毎朝ゆでている卵も、その日の朝は卵焼き。甘い。近頃甘い卵焼きを食べていなかったので嬉しかったです。サラダにかまぼこ。個性的だけれどマヨネーズで食べると美味しいです。
実家に帰ると、母とはちょっときつめの漫才をしているみたいになってしまいますが、帰る時にはいつも途中まで送ってくれるのが母の習慣です。途中で知り合いに会うと必ず
「二番目の娘が泊まりに来ていたの。今から千葉に帰る所なんです。」言うのです。
そしてその人が
「娘は良いよねえ。仲が良くて。」と言うのを聞くと、母はいつもちょっと得意そうな顔になるのでした。
「今度は11月に来るでしょう。お父さんの誕生日にね。」と別れ際に母が言いました。
「うん。もちろん来るよ。」
「お墓参りの後に、またあそこの温泉に行こうね。」と約束し合って別れました。
ふと振り返ってみた母の顔は、やっぱり子の欲目バリバリで若く見えました。
それでも翌日の姉との電話で、母も老いたよねなどと二人で言い合ったのです。
やはりそれは母との会話で感じたことだったのですが、姉と話しながら、ふと母が若かった頃の母と自分との会話のあれこれを思い出し
「いや、お母さんってさ、若い時からあんな感じじゃなかったかしら。別に歳を取ったからじゃないよね。」と言う結論に。
そして姉と私で、何でかホッと安心したのでした。
「子供叱るな、いつか来た道。年寄り笑うな、いつか行く道。」
私はこの言葉が好き。
なるほどなあと思うからです。
でも昨日ふと
「子供叱るな、いつか来た道。年寄り叱るな、いつか行く道。」
と言う風に言葉が浮かんできました。
そしていつか来た道だろうがいつか行く道だろうが、言うべき時には言わなくちゃだめだよねって思いました。守るためにです。
だけど双方とも侮ってはダメですよね。それはやはり自分の過去であり未来の姿。
自分の未来の姿と思うゆえに、親と言うものにはまだまだ元気だと過信し、時には厳しい会話もしてしまうと言うものなのかも知れません。