森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「ある惑星の悲劇」☆私の漫画史

2016-08-06 16:53:42 | 漫画・マンガ・まんが

人との出会いは「縁」と言うもので結びついた摩訶不思議なものであると感じる時がある。

それは本との出会いにも同じことが言えるのではないだろうか。そしてそれは漫画においても同じである。

漫画と私の出会いと歴史を順番に語っていきたいのだが、今日は8月6日なのでやはりこの本の話をさせていただきたいと思う。

 

ある惑星の悲劇 (1983年) (ほるぷ平和漫画シリーズ)
草河 達夫,旭丘 光志
ほるぷ出版

 

私は小学校のある時まで、おかっぱと言うヘアスタイルをしていた。言うなればサザエさんちのわかめちゃんカットのようなものだ。本音を言えばダサいなと思っていたと思う。もちろん、その頃は「ダサい」なんて言葉は誕生していなかったわけだけれど、しかしどんなに綺麗におかっぱに仕上げて貰っても、くせ毛が目立たぬくらいにある私の後頭部は、いつも髪の毛がくるくるとうねっていて、おかっぱ頭と言うよりいつも雀の巣と言う印象の子供だった。ゆえに自分の髪型に対してのこだわりがあまりなく、ある時まで親に床屋に行きなさいと言われたら行くと言う幼稚なお子様だっと言うわけだ。

そして私はその床屋に行くと言うことも、実は好きな子供だった。なぜなら床屋は顔剃りもしてくれてさっぱりするし、何よりも待っている間は少年漫画雑誌が読めるからだった。

そこで手にした雑誌・・・・どうも「少年マガジン」だったみたいだが、そこに特別寄稿のように載っていた「ある惑星の悲劇」と言う漫画に興味を惹かれたのだった。そのタイトルから、当時はSFと言う言葉も知らなかったが、そのような空想科学物語だと思ったのだった。

だけれどその「惑星」と言うのは、私たちが住んでいる地球の事だった。1945年、8月6日にその地球に人類初の原子爆弾が落された。その記録・・・・。

この漫画の作者、旭丘光志がある時薄暗い古本屋の片隅に埋もれるようにあった、自費出版の本の、やはりタイトルが気になって手に取った所から始まるこの物語は、読み手である私たちをあっという間に作者の目線に引っ張っていった傑作だと思う。

そしてその内容に、私は物凄いショックを受けたのだった。

 

思わず顔をあげて、あとどれぐらいで自分の番が回って来てしまうかをチェックする私。

自分の番が終わった後も、また待合いのソファに戻って漫画を読む人なんかいないからだ。

 

その頃の私が、原爆の事を知っていたのか知らなかったのかと言う記憶は定かではない。小学校では歴史は6年生で習うので学校でと言うことはなかったと思うが、母は戦争映画はしっかりと私たちに見せようとする人だったので、先の戦争でアメリカが使った新型爆弾の事は知っていたかもしれない。

だけど私は、その時まで明らかに知らないで、その漫画で知った事実があった。

つまり、人の皮膚は焼けただれ肉から離れるとすべて手の指の方に垂れていき、人々はまるで幽霊のように手を前にと突き出して歩く。原爆の最初の難を逃れた作者(草河達夫)が、その後見たモノは、そのように手を前に突き出し水を求めて川に向かう死の行進だったと言うー。

 

なんと言う恐ろしい爆弾だったのか。

子供だった私には、本当に恐ろしく感じ鳥肌が立ちブルブルと震えた。

そして家に帰った私は真っ先に母に

「お母さん、あのね・・・・。」とこの話をせずにはいられなかったのだった。

 

だけど本当は残り数ページを残して、私はおじさんに呼ばれてしまったのだ。でも私は、その時異例の事をしてしまったように思う。「ように思う。」と書いたのは、何しろあまりにも昔の事なので、記憶がすっきりとしていないからだ。その異例の事とは、自分の髪のお手入れが終わった後も、そこのおじさんに頼んで、その漫画だけ最後まで読まさせてもらったように思うのだ。

最後まで読まさせてもらったけれど、その内容の記憶が残っていないのも、やはりあまりにも昔の出来事だからなのだと思う。

しかし私の中にはその漫画と出会ったと言う記憶がしっかり残った。

 

人の思考の構築には、その人が出会ったものをいかに血とし肉にするかによると思う。

この作品は、私の中の反戦を思う心を作ったひとかけらの肉である。

 

 

コメント (2)
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し・ご

2016-08-06 03:08:07 | 梢は歌う(日記)
 
ニノの「坊ちゃん」の記事で。。

さっき、別の所でだけれどブログを更新しようと編集面を開けましたら、その横帯の所に気になるエンタメニュースが目に飛び込んできました。そのブログ〈gooではないよそ様ですが〉は、編......
 

上の囲みは、昨年の8月5日に投稿したものです。

因みにこの記事は死後の事や死語の事をテーマにしたものではなく、単なる4日と5日の日記です。死後の事をテーマにすると、生前整理の話か、もしくはやっぱりオカルト話になるかと思うのですが、このようにブログ書き書きの時間が、深夜となると、そっちは怖くて書けません。ネタが無いわけじゃなないのですが。

昨年の記事を読むと二宮くん、昨年は、いや昨年も頑張っていたのですよね~。この記事に書いてあった、「坊ちゃん」はしっかり見ましたよ。あのドラマの中の坊ちゃんはすこぶるかっこ良かったですね。

子供の頃に私のおじさんに、面白いお話をしてと頼んだら、この「坊ちゃん」のお話をしてくれたのですが、まったくさっぱりどこが面白いのか分からなかったのです。でもこのドラマでは分かりましたよ。

それから「赤めだか」も面白かったです。ちょっと実在の方よりもかっこ良すぎたのが・・・・・・おっと・・・・失礼  ^^:

それから映画館に行こうと思っていたのに、行きそびれた「母と暮らせば」。今年の8月にWOWOWあたりでやって欲しかったけれど、こちらはブルー・レイが発売されたばかりなので、もうちょっと待たなければならないかもですね。

母と暮せば [Blu-ray]
吉永小百合,二宮和也,黒木華,浅野忠信,加藤健一
松竹

・・・・

母と暮せば [DVD]
吉永小百合,二宮和也,黒木華,浅野忠信,加藤健一
松竹

・・・・

やっぱり8月は、こういう内容のドラマや映画などを見たいと思う私です。

昨日の5日、午後から「黒い雨」をテレビで見ました。見たのは二度目ですが最初に見た時に田中好子さんが好演していて、私の頭の中でアイドルだった彼女が女優さんに切り替えられた、そんな作品でした。いつか読んでみたいと思っていた井伏鱒二原作の「黒い雨」はあえて白黒で作られていて見応えがありました。

残念ながら仕事に行く時間が来てしまい、ラストまで見る事が出来なかったのですが、記憶の中の映像では、最後までヒロインの育ての親のおじさんは前向き。ヒロインに原爆病が発病してはた目には、死んでいくのに違いないと思えてしまうラストでも、きっと良くなっていくんだと結んだのだと思います。ただ、一回目に見た時は、救いのないような現実に対して心ではファイティングポーズを取りながらも、女性は死んでいくのだと思っていました。だけどふと、もしかしたら彼女は死ぬとは限らないのではないかと思えたのです。

それでまたこの映画の事を少し検索してみたら、キャッチコピーは

「○死ぬために、生きているのではありません。

 ○体の中で、戦争は続いています。」

まさに生きるために闘っていたのですね。未公開部分でビデオにしか収録されていないらしいのですが、ヒロインは生き延びると言う原作にはないシーンも、今村昌平氏は撮っていたのです。そして悩みに悩んで本編公開時には削除したらしいです。もしもその映像があったなら、この映画に対してのイメージは相当変わったような気がします。でもやっぱりそこはゆっくりと、自分の脳内で考えてみると言うのが良いような気が、私はしました。

 

ところで、さすがに昨日は疲れていました。今週だけはほぼ毎日、昼間の一番暑い時に出かけて行かなければなりませんでしたので、その疲れの蓄積が、昨日は一気に出て午前中はひたすらゴロゴロしていました。そしてやっぱり猛暑の中、日傘をさしてお仕事に行ってきました。

あちぃーよ~とべそをかきたいような気持で歩いていましたら、足場屋さんのお兄ちゃんたちが、あっちでもこっちでも汗だくになりながらお仕事をしているのが見えました。

それを見ていて、「あー、私も頑張ろう~。」と言う気持ちになりました。

 

遡って4日の事ですが、この日の日記は実は書いたのです。でもあまりにも診察室での会話が細かくて、医師と私の診察室コントが恥ずかしくなったので、朝読み直してアップするのを止めたのです。

でも途中までは、その書いておいたものを使おうと思いました。

『8月4日の昨日は、朝一番で病院に行き、先日の大腸の内視鏡検査と胃カメラの結果を聞いてきました。

検査の直後、最初から出すことが決まっていた腸の生検は出したけれど胃は出さなかったとぼんやりした頭で聞いていましたので、たぶん大丈夫だとは思っていました。

でも映像を見たら、ポコっと膨らんだ透き通ったポリープがありました。

「あら、いやだわ~。」と私が言うと、

「胃は確かに荒れていますが、慢性胃炎の人なんかは、コンナノがポコポコといっぱいあったりもするんですよ。大丈夫です。」とお医者様が言ってくださったので安心しました。

 

いろいろと症状に合わせて薬を変えて出してもらいました。

「先生。私、頑張って長生きしたいなって最近思うようになってきたので、薬も頑張って飲みますね。」と私はその時に言いました。

でもこれはちょっとだけ嘘。

「最近」とか言ったけれど、「最近」そんな事を思ったことなんかないです。いつだって10年をめどに生きて行こうなんて弱腰な事を言って姉などを不安にさせている私なのです。じゃあ、いつそれを思ったのかと言うと、本当の「最近」、その診察室でそう思ったのです。

家族が癌体質なので、調子が悪いとすぐに「癌だったら嫌だなぁ。」と言う発想になるのです。

でも「セーフ」と言って貰ったので、「頑張って長生きしよう。」とその瞬間に思ったのですね。』

 

私はそのお医者様に言いました。

「能力もないのにハッタリ効かせて未だに毎日仕事をしているんです。それがストレスになっているのかもしれません。」

私の仕事の内容を知っている彼は、

「確かにストレス多いかもしれませんよね。でも仕事を続けられるのは良い事だと思いますから頑張って。」と言ってくださったのです。

 

私は思いました。能力がないのにハッタリで仕事をしているからストレスになるんだなと。

じゃあ、勉強するかなって。

ただでさえ衰え失っていくものが多い毎日の中で、生きるために生きる、そのために闘うって言うのも素敵な事なんじゃないかしらー。

 

 

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