森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

夏の終わりのタンクトップ

2016-09-01 01:46:20 | 梢は歌う(日記)

朝などに何気なくベランダに出てみると、ちょっと涼しくて空気も爽やかに感じる夏の終わり。

今頃になって、夏に未練を感じたのか箪笥の奥からタンクトップを出してきて着ています。

いつの間にか日本では、むき出しの素肌で外をウロウロなんて、恐ろしくて出来ない気候になってしまったのじゃないかしら。

えっ !?

それはおばさんになったからだろうって !?

いえいえ、そうじゃなくて紫外線が怖いじゃないですか。(本当はそれもある。)

でも家の中だったら、思う存分のタンクトップ三昧。パンツもラフなギンガムチェックで。

これぞ正しき夏の服装じゃない事と自己満足。

 

暑い暑いと言いながら、もうすぐそんな季節も終わりだと思うと、なんだか名残も惜しくなってくると言うあまのじゃく。

この夏を私は本当に楽しんだのかしら。

 

アサガオの花はあまり咲かなかったし、遅く植えたひまわりもまだ咲いてないしー。

でもオクラもしし唐も我が家の食卓にほんのちょっとだけ花を添えてくれたじゃない。

マイナス数えないでプラスを数えたら、結構楽しいよ、きっと。

 

映画はこの夏には二本観ました。

本も4冊読んだかな。

バスツアーでミニ旅行を楽しんだし、息子たちと一緒に同じ時間も過ごせました。

毎日ほんのちょぴり働いて、家では少々のごみなどを捨てる事も出来ました。

夏は毎年どこか体調がイマイチ。それでも今年は一応セーフと言う感じでした。

そう考えると静かな穏やかな夏だったと言えると思います。

 

そうですよね。

昨日の台風の事を考えると、8月の終わりにこのような事を書けることが、有り難い事なのですよね。

 

ああ、そうだった。

この夏はオリンピックがあって、みんなの頑張りで感動をいくつも貰っていたのでしたね。

 

同じように過ぎていく毎日ですが、同じ年、同じ日は本当にないのですから、毎日を丁寧に慈しんで生きたいなと心から思います。

 

今年の夏、私は本当に一人の少年の家族にストレスの限界を感じ、喉の所までお別れしたいと言う想いでいっぱいになっていました。お付き合いももう長く7年にもなろうとしているのです。それなのにです。

「今どきの若いお母さんは・・・・」と言う言葉は好きではありません。

今時だろうが古かろうが、母と言うものは、みな子を想う点で同類項でくくられるような人種です。

詳しくは書けない事ですが、それでも時々存在する自分が知っている常識と言うものが通用しない世界の住人との遭遇は、結構厳しいものがあるのです。

 

だけど子供が憎いわけじゃない。

後ちょっとだ、頑張ろうなどと思ってはいたのです。

 

このお話は、こちらが嫌だと思っていると向うも思っていると言うような以心伝心の話ではありません。もしも心模様が感染しているとするならば「後ちょっとだ、頑張ろう。」と言う想いの方が伝わっていたと思います。

だけど、8月の終わりの日にお手紙が来ました。

「しばらくお休みします。」と言うもの。

 

彼は9月からやって来ません。

 

その事を夫に話すと、

「良かったじゃん。」と言いました。

「それが、あまり嬉しくもないのよね。だって来なくなる理由はね、お母さんの病気なんだもの。」

 

今の世の中はお父さんの収入とお母さんの収入とで家計が成り立っている事が多いのですよね。そしてお母さんのお仕事と言ったら、休んでしまっては0になってしまうお仕事が多いと思うのです。

 

少年を見送りながら、

「また是非戻って来てね。」と私は言いました。

 

もう夏も終わりだと言うのに、私はタンクトップを着ています。

 

 

 

 

コメント (6)
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