※ このカテゴリーの趣旨は、「昨日の50番目の記事&夏の飾りを楽しむ」をお読みください。
9月5日の50番目の記事は。今年の1月21日に投稿した
でした。
どのような経緯でこの記事にたどり着いたのかは分かりませんが、お読みくださってありがとうございます。
もしかしたら、開いて「ちっ !」とか言いながら即閉じられたと言う可能性も無きしもあらずですが、それでも開いてくださったことに感謝いたします。
>この「人生の休暇だと思って」と言う言葉ですが、病気になってしまった人、入院してしまった人に、誰にでも迂闊に言える言葉ではないと私は強く思います。
励ましにならない場合もあるからです。
だけれど夫殿はようやくその言葉が言えるところまで来ました。
今年の最初からほぼ40日夫は入院し、一時は、私は未亡人になってしまうのかと悲しい日々を送っていました。
それは「肺炎」と言う病気だったのですが、その病気が治って退院してくると、今度は入院中に飲んでいた薬で押さえられていたリュウマチの痛みが激しく出始め、地獄のような一か月が続きました。
リュウマチと言う病気は以前からと言うものではなくて、もしかしたらそうかもしれないので、今度検査しましょうねと言われていた矢先に肺炎になってしまったのです。
そして退院して来たら、それが一気にその痛みが出たと言うわけなのです。
この時にもちろん会社はお休みです。それで査定が悪くて、人生最後のボーナスと言うものは、今までにないほど悲しい金額でした。でも仕方がない事です。
夫が私に言いました。
「ごめんね。」
「いいよいいよ。仕方がない事じゃないのよ。」
だけど私は真夜中に泣きました。
彼が可愛そうでこっそりと泣きました。
だって「ごめんね。」なんて言うんだもん。
「最後の」と言う言葉が私の胸を締め付けるのです。
ついてないな、あの人。
思わず、「男の厄年」なんてものを検索しちゃったりする私。
本当の事を言うと、いつもはそう言う事には全く興味なしなんです。
はっきり言って左右されたくないの。
だけど、思わず調べた !
どんぴしゃりだったなあ、彼の厄年。
なになに。
私は来年 !?
ジョーダンじゃ無いよ、もう。
今年一緒で良いよ。
だってさ、夫婦は本当に運命共同体じゃんか。
彼が大変なら、私も大変。
彼が可哀想なら、私だって十分に可哀想よ。
今年の彼の「大変」はまだまだ続いたのですが、それはまたの機会に。
そしてその大変は私にとっても、すこぶるまたまた「大変」な事なんですよ。
だからね、
「厄年」どうのこうのは、もう終わり。
私の厄年は、今年に前倒しで終了~って事にしましょう。
いろんな意味で頑張るよ、私。
と言うわけで、(どんなわけだか)、夫殿は9月で退職することになりました。いや、別にクビじゃないですよ。普通に定年です。
そして今日が、最後の出社になりました。
「寂しい?」と私が聞くと、
「いやまったく~。」と彼は言います。
明日来る未来を見つめているのだと思います。
そして数か月の間ではありますが、彼にとって再び「人生の休暇」がやってくるのです。