森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

月を見上げて虫の声を聞く

2016-09-17 02:06:39 | 梢は歌う(日記)

夜のバイトの後の帰り道で、ふと見上げたら月がとっても綺麗で光り輝いていました。

すれ違う人も居ない夜の道なので、気を許してずっと空を見上げて歩いていました。

もしも足元に異空間への穴がボカンといきなり空いた所で、私はわけも分からずピューと落ちて行ってしまった事でしょう。

だけど残念ながら、そんな楽しい事は、いや恐ろしい事と言った方が良いのでしょうか。とにかくそんな事は起こらず、私はずっと空を見上げたままで道を歩いていたのです。

 

公園の横の空き地を近所の人が勝手に花壇にしています。だけど綺麗な花壇を作っていると言うよりは、夏にはひまわり秋にはコスモスをワッと植えてお手入れはナシです。それでも綺麗に勝手に咲いているのでそれはそれで有り難い事だなと思っています。

人の視界と言うものは病気でもない限り結構広くて、月を見上げているその目の端に秋のコスモスが揺れているさまが映るのです。

それでも私は足も止めず、月を見上げたまま。

だけど耳だけは気持ちの良い虫たちの鳴き声に魅かれて地上に向けられていたのでした。

 

ああ、この道を、あの時私はべそをかきながら歩いたなと思い出しました。あの時と言うのは夫が入院していた冬の夜の事です。

いつか必ずやってくる人生の節目の時。逃れられない別れの季節。

だけど運命は、それは今ではないと伝えてくれたのでした。

 

いつの間にか季節は春、夏と過ぎて秋が来ていました。

 

昨日キッチンで、トン汁にお味噌を入れるだけの時間が出掛けるのに間に合わず、夫殿に「ヘルプ~ !」と呼んで手伝ってもらいました。その時の話の前後は忘れましたが、

「いやあね。いつか私もあなたも、ジーサンとバーサンになってしまうのね。」と言ったら

「俺たちは既に、もう爺さんと婆さんだ。」と夫。

「ああ、そうねえ。いつの間にかねえ。じゃあ、後は頼んだよ、じいさん。」と言って、ばあさんは出かけて行ったのでした。

 

日本には晩夏があり同時に初秋が存在する、感性を磨けば世界は美しさで溢れていると思います。

歳を重ねておじいさんと言うまたはおばあさんと言う存在になる事は、ある視点から見れば寂しい限りです。若き日の煌めきと比較すれば容色と体力の衰え、または脳の衰退など嘆きたくなることばかり。だけど心の引き出しの中には想い出も経験からなせる知恵もぎゅうぎゅうと押し込まれているはずです。

また視点を変えれば、そこまでたどり着いたと言うことが素晴らしいのではないでしょうか。

 

40歳になったばかりの頃、80歳まで生きる事を考えて

「まだまだ半分です。」と言ったら、少し年上の友人が

「下りは早いぞ~!!」と言いました。

確かにそうかもしれません。

 

もう半分どころか、ここから先は50年生きたらテレビが取材に来て、10年未満の人も居れば、運が良くて後20年ちょっとぐらいがせいぜいで、30年生きられたら凄いねと言われると思います。

人生後半は転がる坂道。

だけどせいぜい足を踏ん張って、転がらないように丁寧に歩いていきたいなと、月を見上げながら思ったのでした。

 

 

 

 

 

コメント (4)
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