26日に観にいった「アテネのタイモン」のお出掛け日記。
お芝居の感想は→「「アテネのタイモン」を観てまいりました。」
です。そちらもよろしくお願いいたします。
【その2 さい芸に至る道で思った事】
私は、紫陽花の花などがその花を枯らしたまま道の片隅などに存在していたりすると、そしてまたその枯れた様が美しくあったりするのを見ると、さながらそれは女性の化身のような気持ちになるのです。
枯れてもそれでもそのままが美しいと、女性なるもの心惹かれるものがあるからでしょうか。
さい芸に行くために与野本町と言う駅で降りるでしょう。その駅前には道の傍らにミニ薔薇園が存在しているのです。薔薇の季節にそこを運よく訪れる事が出来ると、ちょっと得をした気持ちにもなります。
流石に12月。
今は咲いているはずもないと思いました。
ところが、
もちろん、ほとんどの花は咲いていませんし、遠目に咲いているように見えた花も、近づけば枯れているのが分かります。
それでもこんな季節まで咲き続けているなんて立派だと思うし、中にはこれからと言うものもあるのです。
一番美しい季節はとおに過ぎたと言うのに、それでも咲き続けるこの薔薇の花たちに、私はやはり枯れた紫陽花と同じような女性の魂のようなものを感じてしまうのでした。
通りすがりに急いで撮っていたりするものですから、自分の体で陰を作ってしまいました(たぶん)。暗い画像ですが綺麗に咲いている事だけは分かっていただけると思います。
自分がお芝居を見に行く時、与野本町で同じ時間帯で降りる女性を見ると、皆さい芸に行くような気がしてしまいます。
老女と中年の婦人。この人たちは違うかなと思う人も、実はそうだったりもするのでした。
今まではほとんど夕刻時にしか、この街を歩いていなかったような気がします。明るくて少々時間があった今回、しみじみと手形の見学をしようと思いました。
だけど前を行く人たちも同じことを考えていたみたいです。
若いとは言えないお年頃の女性と、その母親。
その母だと思われる人は、杖などを利用して私の母よりもかなり年上に見えました。
お二人は何か楽しそうに会話をしながら、その手形を見学していました。
「しまった。同じコースか。」と思っても仕方がありません。何気に距離を置きながら、ついて行きました。
藤原のたっちゃんのところで、また二人は立ち止まります。
当たり前ですね ♪
そしてその時その人は
「意外と小さい手をしている。」と嬉しそうにはにかみながら、自分の手をそのプレートにある竜也さんの手形の上にそっと重ねたのでした。
ああ、薔薇の花の人だと、私はその老女を観て思ったのでした。
プレート巡り・・・・。
そしてー。
おまけです。
そう言えば「タイモン」にはお金に群がる遊女や踊り子ばかりが出てきて、真心をささげる淑女も、愛に生きるマドンナも出てきませんでしたね。
そのような女性を出してしまったら、きっとタイモンも憎しみの砦から引きずり出されてしまったかも知れません。それで敢えて登場させなかったのかも知れませんね。
今回買ってきたお土産のラムネです。
これ、よく売れていました。
だってですねぇ、
彩の国シェイクスピア・シリーズ @Shakespeare_sss
ツイッターに流れて来た、これを見たら買わなきゃって思いますよね^^
それからクリアファイル
行かなかったのですがこの様な催しも