森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「吉田拓郎ラジオでナイト」で悔いる事は、

2019-04-01 23:59:55 | テレビ・ラジオ
毎回欠かさず聴いていた「吉田拓郎ラジオでナイト」も、とうとう3月31日に最終回を迎えてしまいました。

拓郎さんが「ひとりでしゃべっています。」と言い、私は一人真夜中の部屋で聞いていました。だけどひとりで居ながらひとりではなかったのです。
ツイッターのお仲間たちと一緒でした。

ツイッターのお蔭で、その「ラジオでナイト」が三倍は楽しかったと思います。
本当に本当に、皆様ありがとうございました。

そんな私の唯一悔やんでいる事は、この2年間、100回もあったと言うのに一度たりともメールを出さなかった事でした。
本当は出そうと思っていたテーマの時もあったのですよ。
「泣ける歌」とか「自作の詞」を送るとか。
でもすぐ、気持ちだけ気合が入ってしまって、ふとそのテーマ募集が終わってしまったりとか・・・・愚図な私(/_;)

それにこの二年間、ちょっと私なりに忙しかったものですから。

あっ、でもやっぱり悔やまれる~。

でも良いんだ~。
私、こういうメールとか苦手だもん。
書いたことないし。

って思う事にしました。

が、しかーし、見つけちゃったのですよ。ラジオにメールを送った事がある記録を。


だけどこれ、・・・・・・違う番組にだぞ !!
でも、なんちゅうか、タイムリーちゃあ、タイムリーじゃないの、日付的に。

だってさ、今日はなんたって「令和」で一日が終わってしまって、エイプリールフールネタをあまり見かけなかったでしょう。

2015年4月1日には、こんなメールを送っていたのよね。
『今日は4月1日と言うことで、ツイッターなどで、下記のようなウソニュースが流れていました。
 
http://www.o-picnic.net/takuchan/ 

その日限定かもしれませんが、内容は朝ドラで拓郎さんの半生が「たくちゃん」と言うタイトルで、2016年放映が決まったと言うものです。 

「主人公の拓郎を錦戸亮(関ジャニ∞)、ヒロイン準ちゃんを満島ひかり、拓郎の母親朝子さんは拓郎夫人である森下愛子というキャスティング。さらに脚本は「あまちゃん」以来の登場となる宮藤官九郎だ。」 と言う非常に魅力的な内容になっています。

 お友達ともお話が盛り上がったのですが、このようなドラマ化のお話はないのですか。 いや、今の段階では全くないと分かっていますが、今後、このような記事を目に触れて、ふと気まぐれに思ったりもすると言うのが拓郎さんではないですか。 ぜひぜひ「たくちゃん」、よろしくお願いいたします。

 霧島花子』


なんか懐かしいですね。
「吉田拓郎ラジオでナイト」のメールコーナは、まだ開けたままになっているそうです。ライブの感想などを送れるようにと言う事です。

送る ?
送らない ?
さあって言うしかないですね、今のところ。

とりあえず、平成最後の日々を大切に生きて行こうと思います。

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いだてん13回「復活」

2019-04-01 14:44:31 | ドラマ (大河)
いだてん感想の難しい所。

例えば、織田信長が明智光秀を仕官させたシーンで、それが凄く素敵なシーンに描かれていたとするでしょう。そこで
「その後、彼に本能寺で裏切られちゃうなんて悲しいね。」と書き込んでも、ネタバレだと叱られることはないはず。

だけどラザロが出てきて四三と足袋の話で盛り上がり、それまで異国の選手たちの中で、ひとり外れていたような四三を一気に輪の中心まで持って行った良いシーンで、
「このラザロが、競技中に亡くなってしまうなんて悲しすぎて、彼の笑顔を見ていると、既に涙が出てくる。」と書き込んでしまったら、既成の事実でありながら、なんてネタバレを言うのだと叱られそうに感じる。

大森兵蔵と安仁子の物語もそうだ。彼の論文を本にした永井と可児に、日本に帰ったらお礼を言わなければなと治五郎が言った時に、やはり胸がいっぱいになった。大森が再び日本の土を踏む事はない。その事を知っていたからだ。だけどやっぱり、それを書き込めないような気持ちになってしまう。

そこが今までの「大河」とは違う、不思議であり難しい所だと思う。
四三にしても大森にしても、その功は大きくても、あまり世間的には有名ではない。知らない人だからと、思わず検索して調べて、そのさまざまなエピソードを先に知り、それでドラマを先取りしたり深読みしたりして楽しむタイプと、せっかく知らない人なのだから、先の展開をドラマと同時に並行して知り、そして驚きつつ悲しみつつと心を大きく震わせたいタイプに分かれているようにも感じるのだ。

私は前者。なのでブログに感想を書く時は、ムムムと口を閉じている。

因みに大森兵蔵と安仁子の物語は、朝ドラのなっていいほど、これはこれで面白い。あっ、これ、前にも言ったけな。

今回、心に残ったシーンは、やはり彼の日記とタイムラグのあった手紙。
敗北の翌日の日記には
「大敗後の朝を迎う。終生の遺憾のことで心うずく。余の一生の最も重大なる記念すべき日になりしに。しかれども失敗は成功の基にして、また他日その恥をすすぐの時あるべく、雨降って地固まるの日を待つのみ。人笑わば笑え。これ日本人の体力の不足を示し、技の未熟を示すものなり。この重圧を全うすることあたわざりしは、死してなお足らざれども、死は易く、生は難く、その恥をすすぐために、粉骨砕身してマラソンの技を磨き、もって皇国の威をあげん」 と記されていた。

なんと意識の高い人だろう。
「死は易く、生は難く、」

「負けたら切腹ですか。」と参加を拒否した頃の四三を思い出す。この人は、たくさん走り、たくさん考えてこの地に赴いたのだと、私は思い感動したのだった。

「四三はやります。必ずや、優勝旗を持って・・・・・」の手紙。
ちょっとどころではなく、かなり切なかった。



孝蔵の話も面白かった。結局彼もプレッシャーに負けて、完走できなかったのだ。だけど「頭が痛いから、今日はこの辺で。」と朝太(孝蔵)が言った時、客席から「え~」という声が。途中で終わるなんてと言う驚きよりも、その先も聞きたいのにの「え~」に聞こえた。
着物をプレゼントした清さんの気持ち良かった。
「また化けるかもしれないから。」と返そうとする孝蔵に
「入れたり出したりすればいいじゃないか。嘉納治五郎のように。」と言う清さん。彼は癒しキャラだな~。

ところで !!!
HPは読むべきだなと思った。

四三を介抱するペトレ家の人々は、本当のペトレ家の子孫だそうですよ、あなた。ビックラポンや。

なんかさあ、想像すると、凄いよねえ。感動するなぁ、私。


そして、ぐっと来たシーンは、選手たちがラザロの倒れた所で祈り、
「また四年後に会おう。」と誓って別れて行く所。

だけど四年後のベルリンオリンピックは1916年にあたり、その頃世界は・・・・・。(ノД`)・゜・。



って、そこを書いてもネタバレにはならないのではとは思うよね。

「明智光秀は結局すぐに倒されて、なんだかんだとあった後、秀吉の天下になった。」って言って、ネタバレするなとは言われないレベルの事だものね。


あっ、そう言えば、次回はお休みで次は14日なんだってね。
なんで ?
編集とか撮りなおしとか、いろいろかな~(^_^;)







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2019年の4月1日は月曜日

2019-04-01 01:48:47 | 梢は歌う(日記)
 
2018年の4月1日は日曜日
 2017年の4月1日は土曜日。 2016年の4月1日は金曜日。 今年の4月1日は水曜日。 4月1日、火曜日 4月1日、月曜日。今朝実家にて「今日は4月1日だ。」と......
 

上の囲みは昨年の4月7日に投稿したもので、2013年からの同じタイトルのツリーになっています。

なぜ今頃その記事を書いているのかと言うと、それはですね、すっかり忘れてしまっていたからなんですよ。

2013年の4月1日の記事には、その年が最後の4月1日だった父とのエイプリールフールの応酬をしていました。

その父との思い出や、エイプリールフールの日の出来事を語っていたこの「4月1日」の記事。

 

それなのに忘れてしまったのです。

 

今年の5月には父の7回忌があります。

私たち姉妹は、決して父の事を忘れたわけではありませんし、事あるごとに思い出話を語ったりします。

だけど、時にはあの瞬間が特別なものに思えた過去のある時間が、日常の中に溶け込んでいってしまう事は、このようにある事なんだなと思いました。

今年の4月1日に選んだエイプリールフールネタは、2015年の「たくちゃん」のお話。→「吉田拓郎ラジオでナイト」で悔いる事は、

そのメールも、本当にたまたま見つけたのですよ。

本当はその日に、そのメールを見つける事に意味があったのかも知れません。

でも近頃ぼんやりと生きている私には、送られてきていたメッセージを受け取ることが出来なかったのでしょう。

 

何やら怪しい書き方。

 

私は、見えない者たちに語りかけられ守られているんだと信じている方。何かメッセージを送られても、こちらの受信機の調子が悪ければ受け取る事なんか出来なくて、いわばそれを感性ともいうのですよね。

 

だけどブログのお蔭で、あの時の父との楽しい会話を思い出すことが出来ました。

 

そしてもう一つ、4月に入って大事な事は、「四月はもう一つの新年だ。」と思い、自分の目当てや生活の再チェックをすることです。

 

ああ、やってないな・・・・。

いや、微妙にやって居ると言えるのでしょうか。

こんな事ではいけないとか、こんな事をしたいとか、時々モアモアと考えています。

でもモアモアとした感覚ではダメで、ちゃんと具体的に上げて行かないと何一つ実行して行かないのですよね。

 

とにかく4月はお片づけ月間です。だけど何とはなしに進まないのは、何かをしながら録画消化なんかしているからで、家に居たら居たらで楽しい事優先させてしまう私。

それでは進まないのは無理もない事ですよね。

何事も覚悟と具体的な計画が必要なんですね。

 

とりあえず今日は、午前中が研修会ですっかり疲れてしまったので、スマホ内の整理をしていました。

もうどこもかしこもとっ散らかっている感じがして、遣り甲斐があります・・・・ふぅ。

 

因みに今年の4月1日は何をしていたのかと言うと、新しい元号が発表になるので、お出掛けもしないでその時間にワクワクしてテレビ前で待機していたのでした。

その日は何をしたかなあと、すぐには思い出せなかったのですが、今年の4月1日は大きな一日だったといえるのでしょうね。

 

 

2019,4,14     01:48:47


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