母は、ちょうど昭和が平成になった頃、自治会館の管理を地域のボランティアとして始めました。
確かに年度の終わりには、もうすぐお別れになる諭吉殿を三枚ほどは頂いていたかも知れませんが、母は365日、ほぼ休みなくその場所を管理していたので、地域ボランティア、例えば自治会役員の謝礼のようなものだと思います。
そのお仕事を30年やり遂げました。
管理というのは、その場所の貸し借りの申し込みを受け、鍵の管理をすると言うのは通常の事でしたが、毎朝、鍵と窓を開けて風を通し、かび易いその場所を守りました。
そこは中途半端に広い公園の一角に建っていたので、油断すると不行き届き者たちのたまり場にもなりかねない場所でしたので、しっかりと戸締りをし、それでも朝、真夜中に明かりに群がる虫のようにその玄関の所で集まっていた人たちのまき散らしたゴミなども片づけていました。
日帰りでどこかに出掛けても、自治会館の戸締りの時間を気にする母を、時には私はあまり良く思えない時も、実はあったのです。
遣りすぎてしまえば、次の人が困るに違いないからです。
だけど次の人など現れることもなく、母はまるでその場所の主のように貢献していました。
そして30年も経てば、50代で中年だった母も80代となり、立派な老人です。
こんな風にトンカラトンカラと朝に窓を開け夕に窓を閉める生活を規則正しくやって来てしまうと、それを止めた時に母はどうなってしまうのだろうかと、私たちの中に新たなる懸念が生まれてきたのでした。
だけど3月31日をもって、そのお仕事から解放された母はどうも清々しているようです。
それでもその前を通り過ぎる時には、真夜中の良からぬ頭だけガキンチョで図体だけ大きい人たちのトッ散らかしたゴミなどは気に掛けているようです。ごみが散乱して片付いていなければ、その場所は荒れる事が必定だからです。
普通の当たり前の風景の中に、当たり前では済まない人々の努力がある事を私は忘れてはいけないと、私はこの母(または父)から学んだように思うのです。
そして母は、自治会の総会で30年間のお仕事に対して感謝状を頂きました。
同じくその総会の場所にいた姉が言うには、その時の母の挨拶も立派だったそうです。
写真などが夕方、ラインで姉から送られてきました。
それに対しての妹からのコメントに、私は心を打ちました。
「本当に30年間お疲れ様でした🥳お母さんの挨拶は、恒例お正月の挨拶でも分かるように、何時も素敵で、素晴らしい挨拶だから今日も、さぞかし感動するスピーチだったと思います。本当に長い間お疲れ様でした。後は、ゆっくり遊んで暮らそう✌️
明日から会館間違って行かないように、管理していてね。😉習慣は意外と怖い…"」
はっきり言って、私は身内馬鹿です。
いえ、これは我が一族の特徴です。
身内同士で褒め合っていると言う幸せな一族なのですが、それでもやはり私は母や姉妹を誇りに思っているのです。
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画像は今日、一緒にお出掛けしたお友達の親戚の家に咲き乱れていたチューリップ。