今日は終日、雨の日曜日でしたね。
トップ画像は8月6日の空。
オリンピックも終了だけど、ハイライトの番組とか閉会式とか録画してあって、全部火曜日過ぎにゆっくり見る予定です。いつだってみんな一緒ってわけじゃなくても、良いよね。
※ ※ ※
そしてこの記事は、
の、続きと言うか、また別の視点で見たほんの少し違うお話です。
ひとつ前のその記事に
>『私は蝶の写真を姉妹たちにすぐに送りました。
みな凄く喜んでくれて、入院中のスノウさんは家にいる娘ちゃんにその画像を送り感激し合ってくれました。
「誕生」には、「復活」または「再生」の心が隠れているような気がして、励まされたのだと思います。』
と書いたのですが、
画像を姉妹に送った時、スノウさんは喜んでくれて、そして言ったのです。
「これが生きるという事だね。」と。
そして、今仕事の事で思い悩んでいる娘に、この話を伝えたのだそうです。
実は私もベランダでこの蝶を見た時に、思わず涙が目に浮かびました。
虫に食べられたと思っていたのです。もうダメだと思っていたのです。
だけどちっともダメじゃなかったのです。
誰の想いなど関係もなく。
本当の真実は、これだけだと思います。
蝶が「ありがとう。」と言ったような気がしても、それは気がするだけで、本当の事は分からない事です。だけどそんな時、人は何か物語を感じたりすることも多いのではないでしょうか。
そしてこれは私の感じた物語・・・・・姉妹にラインに送ったそのまんまで載せますね。
『16:46 ここで、いかにも私らしいお話を。』
『16:47 羽を閉じて、如何にも透き通って、「何これ、綺麗!!!」と思った時、窓越しじゃなくて、窓開けてカメラ構えたら、何か焦って(蝶が)、いきなり羽を広げたのです。』
『16:48 そして私が写真を撮ったら、「ヤバーい」みたいな感じで、よろよろとベランダの端っこに逃げたのです。あんずさんに襲われてもと思って、鉢で囲って守ってあげたのに、1時間半ぐらいたって羽が乾いたかなと覗いたら、またも「キャー」ってな感じでヨロヨロと飛び立って行ったのじゃ。』
『16:51 私は感傷的な気持ちになって「バイバイ」と呟いたりして、美しい別れを感じていたのだけれど、あとになって考えてみると、今書いたような展開で、あの蝶にしてみたら、私はゴジラに見えてたのかな。モスラめ。パセリを提供して温かい目で見守ったと言うのに、覗くたびにいつも「キャー、ゴジラ!!」って思ってたのかなとか思って、今笑ってる。』
名都さんが言いました。
『思わず頭の中でゴジラのテーマが流れ、そしてモスラの歌が聞こえて来たよ。』
おとといだったか、マンションの花壇の水遣りをしていた時に、一羽のキアゲハがひらひらと私に近づいてきました。
私は、
「あおちゃん !」と呼んでみました。
すると、そう呼ばれたキアゲハは、私の前で羽ばたいて、ひらひらと空高くに消えていったのです。
飛んできたキアゲハが、あの蝶であるかなんて分かるわけもない事です。
だけど私は思いました。
「おお、あの逃げっぷりはあおちゃんに違いない ! 」って。
そして私はなんだか幸せな気持ちになりニッコリと笑ったのでした。
アセアセと逃げていくあおちゃん。
そして・・・・・・・
PCには小さく載せますが、スマホだとそのままかも。
丸々として可愛いのだけれど、やっぱり、それは見てるだけの時。絶対に触れないし、森で万が一、肩にポトリとなんて事があったら、泡吹いて意識失うと思う・・・・私。
【閲覧注意のあおちゃん】