8月の目標はいつも、大掃除と大お片付けです。
それについて書こうと思うと、いくつもミニテーマが持ち上がって来て、何を書けばいいのか、迷ってしまいそうです。
でもなんとなく「ついたち」と言う日を、スルーしたくなかったので、迷わず行こうと思います。
夏はいろいろと処分に頑張りたいと思うと言うと、「私は捨てられなくて。」と言う方が必ず出てきます。私がお仲間だとバレテいるので、安心して話すのだと思います。
そういう方々に
「いつか役に立つよねと取っておいたものは・・・・・」
この先、なんて私が言うと思いますか ?
「やっぱり役に立たなくて、結局捨てるよね。」と言うと思うでしょう。
そんなの「捨てない族」の「捨てない道」に反するわ。
「本当にいつか役に立つよね。」って言います。
すると、その「捨てない族」の皆さんは、「そうそう。やっぱりそうだよね。」と強く頷くのでした。
こんな会話を、一番先に父としたことがあるのです。
やっぱり父は同じように
「そうなんだ。やっぱりそう思うだろう。」と言ったのです。
ただ、父が死んだときに、父の趣味のものでぎっちり埋まった部屋を見て、私は思いました。
「お父さん、そのいつかに間に合わなかったね。」と。
そのいつか役に立つと言う部分は本当の事です。これを取っておこうと思った時に、脳内で、ある種のシミレーションをしているのです。こういう時に使おうと。
そしてそれが、恐ろしい事に10年後に来たりもするのですよね。と、この話をここまでするでしょう。だいたい、同じお仲間たちからは「そうそう」と共鳴していただけるのですよね。
だけど、最近私は言います。いや、父との会話の辺りからだから、最近でも無いですね。
40年50年と生きられる保証があるならば良いのですが(すでに妖怪ですね。)、そのいつかが来て、それを使う前に、私たちの方がいなくなるよと。
また、もっとシビアな話ですが、徐々にその取っておいたものの行方が分からなくなって、いざという時に使えないと言うような事も起きるでしょうと。
たいがいは大笑いをして、「そうだった。」となるわけですよね。
そして私たちは「捨て族」の軍門に降るわけですが、意外と「ちょびっと」と言う困ったちゃんが出現したりするのです。(^_^;)
だけどきっと「捨て族」の皆さんは、「いつか必ず役に立つ。」辺りから、心の中で反論バリバリなんじゃないですか。
だからここで「捨てない族」の一例をお見せしましょう。
トップ画像はの中にいる、小さなフェイルトのお人形は、萩尾望都氏の「とってもしあわせ、モトちゃん」のモトちゃんです。分かり辛いけれど、奥にちっちゃなハートのレミちゃんもいるのです。たぶん40年ぐらい前に、スノウさんが作ってくれたのです。
可愛いなと思いながら、何するでもなく、私のアクセサリー入れに鎮座して何年も、つまりアバウト40年も経っていったのです。
ある日
「あっ、そうだ !!」と思い立ち、その飾りを作りました。
スノウさんに見せると、
「良く取っておいたね。」と言うので
「捨てる理由がなかったから。」と私は答えました。
もちろん凄く喜んでもらえました。
物との再会は、時にはアルバムの中の写真と同じで、想い出の中の時間をさかのぼる事が出来るのですから。
と言いましても、2021年の8月のスローガンは「いったん捨てよう !!」です。
これいつか役に立ちそう・・・・。でもそれが今年か来年で無かったら(譲歩)、一旦捨てようと思います !!!←強い決意・・・・ ?