先日より、過去記事「名探偵ポワロ第64話「オリエント急行の殺人」」
に多くの人がいらしてくださって、ありがとうございます。
(その記事は映画などの感想を交えての、「オリエント急行殺人事件」のまとめ記事のようにもなっています。またこの記事は、それを踏まえて書かれている部分もあるので、お読み下さるとうれしく思います。)
何故かと言えば、たぶん土曜日にNHKBSで放送されている「名探偵ポワロ」で、その64話が放送されたからだと思います。
私も録画して、昨日見ました。
ポワロはかなりいろいろな回を複数回見ているのに、この「オリエント急行の殺人」は、今回で二回目の視聴です。たぶん私的には、繰り返しては見たくない作品なのかも知れません。「見たくない」と言うと拒否っているみたいですが、そうではなく、寧ろすごく大事に思っているからなんです。
ゲストの人々には、(詳しく知らないが故ですが)華々しさを感じる事はなかったのでしたが、それでも全体の重さを考えると、映画並みにも感じる作品だと思います。
そしてその重さを感じさせるのは、「罪と罰」「信仰と赦し」がテーマになっているからなのかも知れません。
リンクした記事の中で
>「杉下右京には絶対に出来ない選択だな。」
と言う事を書いたのですが、これは三谷版のコレの感想の中で私が言った言葉です。
右京には出来ない選択。だけど、私にも出来ない選択だったなと、今回、またこの作品を見てそう感じました。
誰も「あなただったら」などとは問わないと思うのですが、思わず今回は思ってしまったのですよね。
「オリエント急行殺人事件」のラストは、映画や他の作品だと、そのラストがほとんど「してやったり」みたいな感じになって、「良かった良かった。」みたいで終わる事が多いと思うのです。だから考えても見なかったのかもしれません。自分だったらこれどうする、みたいなことを。
それはポワロの言っている「法」についての考えが、今回凄く良く理解できたからだと思います。
法で裁かれなかった罪を、皆で断罪する心情は凄く分かります。だけどその自ら裁きを下した罪から逃れようとするのは、また別の問題なのではないかー。
お気楽に見ている私の心を揺るがすポワロの言葉。
だけどそれでも、ポワロはもう一つの選択をするのです。
警察に報告した後、微塵にも笑わず、12人の刺客たちの方に顔を向けるポワロ。
さながらカンパーイと言う雰囲気ではないけれど、そのポワロの視線に大きく目を見開いたメアリーの顔には、ちゃんと感謝の気持ちが表れていたように思いました。
また5年前から信仰に目覚めたグレタは涙ぐみます。きっと彼女は、神に赦されたのだと思ったのかもしれません。
しかし去りゆくポワロは苦悩に顔をしかめ、そしてその手に十字架を強く握りしめるのでした。二回目だと言うのに、やはりここで私は、やっぱり泣いてしまいましたね。。。。。
そしてその時私は思いました。
ポワロの人生の多くの事件のうちに、この「オリエント急行の殺人」があったから、最後の「カーテン」の選択があったのだなと。
やっぱりこのシリーズ、凄いです。
そしてやっぱりこのスーシェの「オリエント急行の殺人」が一番好きです。
(あっ、ちょっとね。メアリーとかグレタとか名前が知りたくて、ウキに行ったんですよ。そしたら、吃驚しました。この事件→「カーテン」の事が書いてあったんです。そう感じたのは、あながち間違えではないなと思う反面、ちょっと嫌な感じ(笑)パクリじゃないですからねって、そこはキッパリ。(^_^;))
因みにドラマとは関係ありませんが、オリエント急行旧駅舎のレストランに行ってはしゃいでいる記事は→こちらです。・オリエント急行☆イスタンブール
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