※追記:先ほど読み直しましたら、なぜか同じ文章の繰り返しが掲載されていました。
読みづらかったと思います。ご迷惑をおかけしました。m(__)m
ある人が、何かを始めて幸せそうだと、なんだか自分もやらなくちゃならないような気持になる時があるのだと知りました。
それは「やってみたい」と言うよりも、もっと踏み込んだ「やらなくてはならないような」感覚。
確かに「良いなぁ」が気持ちの最初だったと思うのですが、それに気がつかずに、自分もやらなくてはと思い込む・・・。
そんな事があるのかと思われるかもしれませんが、それは私の表現の力が不足していて、上手く伝えられないのかもしれません。
昨年は人のそういう感覚に、ほんのちょっぴり振り回されたような気がします。
だけど私自身も何でもやってみたいお年頃で、ちっとも遣らなくてはならないわけではないのに手を出して、生活自体にゆとりが無くなってふぅふぅと言っている愚かさを自分でも感じているので、人のことばかりは言えないと思います。
またある時は、お気に入りの漫画家さんのエッセイを読んで、「断捨離はしない。」と言う言葉に惹かれました。
以前からなんでも捨てたがる断捨離マニアの方には、まったく共鳴できないものを感じていて、独自のマイルールが自分の中には出来ているものの、実践できていないので説得力などありゃしないと言うのが現時点の私です。
だけど、その漫画家さんのその発言には、大きな背景があるのです。つまり生活の変化に伴って、一軒家から一人暮らしに適したマンションに引っ越したので、その時に整理したのだと思うのです。もうこれ以上の整理は、しっかりと子供たちにやって貰おうと思っての発言だったと思います。
ゆえにこの発言を自分の生活にスライドして受け入れてしまってはならないと言うことですね。
また先日友人が、ある俳優さんのエッセイのタイトルに共鳴したと言ってきました。「終活はしない」と言うようなものだったと思います。それはその為に時間を費やさずに、残された時間を好きなことに使おうという趣旨だったと思います。
凄く共鳴しました。
が、
その俳優さん、凄くストイックな人で、無駄な脂肪すら微塵も持っていません。
きっと家の中も同じじゃないかしら。
これはやっぱり100%の共鳴は、逆に危険と言うことなのだと思いました。
(友達、危ないわよ。だけど余計なことは言わない方が良いよね(笑))
私は年齢的に言ったら、まだ「終活」と言う言葉には違和感があるのですが、なんたってお友達を妹も含めて4人も60代で失って、また一人は頭脳明晰を誇っていた人が転んで頭を打ち、昨日の記憶を保てず車いす生活で、まったく会えなくなってしまったと言う友達もいます。何があるか分からない年齢になってきてしまったと言うことなんですよね。
私は「終活」に近いような、最低限やる必要な事があるなと感じています。
私はやっぱりゴミ捨てと(やっぱりそれか !!)とお金の管理と家族に対しての見える化です。
先日ぼんやり考えました。子供のコーナーは置いておいて、物に関しては家族の共有物は20%、夫の個人の物は10%。残りは私の物じゃないかと思います(;^_^A
このままでは万が一、私が先に亡くなったら、家族は大変だと思います。
またこのような人は我が家だけではないと思うのですが、大切な家のお金の管理を、妻が一人でほぼやっているってことはないですか。
これもある日突然、私が居なくなったら、まず夫は家じゅうをひっくり返して、そこから始めなくちゃならないと思うのです。
もちろん諸々と大事なものはそれなりの場所にあり、それなりにノートに記録していますが、なんたって私の頭の中はぶっ飛んでいますので、そのノートが・・・・・。
って止めておきますね(;'∀')(;^_^A
まあ、とりあえず、今年はそれらを楽しみながらやっていこうと思っています。
ただ、タイトルに「自分で決める」と書きましたが、やはり人の話、人の意見は参考になるし、ものの考え方のベースになると思うのですよ。それを参考にしたり、それは私とは違うなと思って見たりで、何でもかんでも無の状態から思考すると、我に走ると言うこともあると思います。
意外と参考になるなと愛読している雑誌は
別にスーパー主婦になる予定はないのですが、くせになる雑誌は
↑ なんかこれ、面白そうじゃないですか。買っちゃおうかな~。
トップ画像は、横浜に行く途中からの画像です。
記事とは関係はありませんが、花を添えました。
ついでながら、本当の花も添えておきますね。
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