森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「ゴーギャン展」に行きました

2009-08-21 00:33:46 | お出掛け日記

学生時代に「月と6ペンス」を読みました。「月」は夢、「6ペンス」は現実を表しているのだとか。ゴーギャンをモデルに書かれた小説だったと思います。でも今となってはほとんどその内容をお覚えていない情けなさ・・・

だけど、なぜかは忘れてしまっていても、その頃私はしみじみと感動し、モームが好きになったのです。

どんな話だったか・・。覚えているのは、友人の妻が悲惨な服毒自殺をしたことだけです。そういう時は、リサーチ入れて思い出してみます。
「月と6ペンス」はこちらを参考に→ココ 

 

でも「月と6ペンス」に感動したはずの私は、ゴーギャンの絵画が好きであったかは別な事でした。

だけど今年4月に「駅路」と言うドラマを見て、いきなり私の中でゴーギャンは大きく興味を引くものになってしまったのです。折りしもタイミング良く7月から東京国立近代美術館で「ゴーギャン展」が開催される事を知り、観に行くことを楽しみにしていました。

今回の目玉は
「我々はどこから来たのか
         我々は何者か   
             我々はどこに行くのか」
と言う長いタイトルの、大作です。

 

 この絵の様々な解釈はと解説はHPをお読み下さい。→こちら

多くの人々がこの絵の前で神妙な面持ちで立ち止まっていました。あきらかに圧倒されているのです。確かに音声ガイドの長い説明を聴いているからと言う人もいたかもしれませんが、そのガイドが終わってもすぐには立ち去らなかったのではないかと思います。

私は最初ガイドなしにこの絵を見ていました。先にこの絵は人の誕生からの一生が描かれているような事は知っていましたが、本音を言えばもっと何も知らずに、タイトルのみでこの絵を観てみたかったです。しからば私はこの絵に何を見出したのだろうかと思うのですね。

以下は音声ガイドを聞く前の、私の素直な感想です。

― この絵でひときわ目を引くのは、もちろん手前の女性です。光り輝いていて逞しい二本の足でしっかりと大地を踏みしめて立つ姿には、楽園の象徴のようなものを感じる事が出来ます。この少女はゴーギャンの楽園に対しての切なる願いと憧れのすべてが込められていたようにも感じました。

次に目を引いたのは、私には奥にひっそりと存在する少女の姿でした。

「ああ、ゴーギャンはフランスに置いてきた家族を描いたのだわ。」と私は思いました。どんなに自分の理想に生きたとしても、過ぎてきた時代、存在していた時間を切り捨てる事はできないのですから。

またこの絵は立体的で円になっていると思いました。赤ん坊が表す生から老婆が表す死。だけどその奥に偶像の女神が存在します。この絵は直線ではなく立体に感じるのはそこですね。死を表す老婆の背後から周り偶像の右手から左手に抜けてぐるっと回ってまた生に戻る・・・。そんな感じです。そしてその方向に何気なく緩やかに木の枝が道しるべのようにいざなっているように感じました。

円になっている構図から、私はこの絵に東洋の曼荼羅を連想してしまいました。

他の絵の解説で、ゴーギャンは自分自身を黒い犬として描きあらわしていると言っていました。この絵の中でも黒い犬は右端に座り、命の輪廻を眺めているのです。

その後の解説で、後ろにひっそりといる少女は、その年に死んだ娘アリーヌだと言われている事を知りました。私の勘は当たっていたのですね。その解説でその少女の死を知ってから見てみると、いっそうこの少女が何処を見ていて何処に向かっているのか、見えない背景にいっそう不安定な不安を感じるのでした。黒い犬は傍観しているのではなく、どうする事もできないで見守っているだけなのかも知れません。

さらに言うと、この絵が立体的に感じたのは、輝く少女と青白く光る偶像が対角に配置されているからなのだと後になって気が付きました。生の世界と死の世界・・・・・

 人であるなら、常に付き纏う疑問。
私達は何処から来たのだろう。そして何処に行くのだろう。何のために生まれてきたのだろう。 

 その疑問は人の脳には対応できないゆえに、疑問であり苦悩の根源でもあるのです。でも私達はその苦悩と向き合い、科学を発達させ宗教を生み出しあらゆる文化に反映させて言ったとも言えると思います。

この絵はそんなゴーギャンの苦悩から誕生した傑作だと思いました。

 

そのほかの気に入った絵。

 

この絵は「女性と白馬」。1903年の作品です。この絵を描いてからゴーギャンは亡くなりました。丘の上に見える白いものは墓標です。彼はこの絵の中に自分を葬ってから逝ったのだと思いました。

  

この絵のタイトルは「浅瀬(逃走)」。この絵は死神がだれか(忘れましたが)を導く絵とか何とか言っていた様に思うのですが、ちょっと不明です。でも怖いテーマだったと思います。それでも「青」は私を引きつける色なのです。

  「エ・ハレ・オエ・イ・ヒア(どこに行くの?)
いかにもゴーギャンらしい絵ですよね。反面、下の絵だったら一枚出されて誰の絵かと言われたら、ちょっと分からなかったと思います。

  変なところを見てしまいますが、芝生が素晴らしい。絵と言うのはこんな風に描くのかとしみじみと感心しました。でも・・・

 「純潔の喪失」です。この絵の動きのないのっぺりとした背景はなんだろうと思ってしまいました。この絵を描いてから、ゴーギャンは家族や今までの生活を捨てて、タヒチに向かったのでした。

この絵の中にはそんなゴーギャンの決意が表れていたのかも知れません。

 

ゴーギャンの生涯は→ここでチェック

 

月と六ペンス (新潮文庫)
サマセット・モーム
新潮社

このアイテムの詳細を見る
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする