森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

空がどんなに晴れていても

2009-08-01 02:56:05 | 思いつくまま
 ―ある時、私は自分の心情を語る。―

いつも言っていることですが、それを語れる友人や家族を持っていると言うことは、如何に幸せな事でしょうか。普通の世間話やあったことを語ることが出来る知人はたくさんいても、その先の本音を言う事はなかなか出来ないことがありますよね。一人でも自分の気持ちの重さを語ることが出来、その話に耳を傾けてくれる人がいれば、辛い時代も乗り切れるのかもしれません。

「私の人生には、強い風が吹いているわけではない、土砂降りの雨が降っているわけでもない。でも、ずっと続く曇り空の下に立っている様な気がするの。どんなに本当の空が青くても、私の心に雲の切れ間から垣間見える青空が見つからないわ。」

そう、私の今は不幸せでもなく笑いも絶える事がない。明日食べる事にも困っていないし、住む家もある。大切な人たちは皆健康で、そして仲良し(一応)
だから強風にさらされて踏ん張っているわけでもなければ、大雨にずぶ濡れになっているわけでもない。でもその空は晴れていない。そんな心象風景。


明けない夜はない。春の来ない冬はない。上がらない雨はない。
でも、この低く重く続く雲が取り払われる日、真っ青な青空を心の風景で見ることが出来る日は、いつか来るのでしょうか。

そんな話を、先日友人にしていましたら、
「私も。」と彼女が言いました。
「知ってる。」と私は言いました。




また、先日義母と出かけて、彼女に友人のような感覚を覚えたと言う事を別の記事で書きました。その感覚に甘えて、私は同じような事を語っていました。すると母は
「当面の問題は、そのことだけよね。」と言いました。

そう。「だけ」なんです。その「だけ」の部分が、存在が大きいけれど私の雲の正体だったのですね。


「友人」と名前のつく人が皆私の味方になるとは、そこまでの綺麗事は言いません。でも耳傾けて心を支え、または次に進むヒントをくれる、そんな同じ時を生きるお仲間に助けられて、私は今日も生きて行くのだと思います。


―外は土砂降りの雨が降っている。
 だけど私の心の中には、いつも真っ青な青空がある。

いつの日かそんな言葉を言える日が来る、そう信じよう。


今日から8月。夏は、特に8月は訳もなく大好きな月です。子供の頃の夏休みの楽しかった思い出が蘇ってくるからでしょうか。


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