森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

龍馬伝40回「清風亭の対決」

2010-10-04 18:46:08 | ドラマ (大河)
今回の「龍馬伝」には本当に痺れました。
私は涙とはお友達。朝焼け見たって夕焼け見たって泣いてしまうドロップの神様とおんなじ。
でも今回の「龍馬伝」には涙なし。それでも後から感動が追いかけてきたのです。まるでタイムマシンに乗って歴史の一駒を垣間見たような気分になってしまったからです。

先週の39回。第4部スタートの始まり方も「馬関の奇跡」の戦闘シーンもとっても面白かったですね。語り手の弥太郎にも、その終わりが見えてきました。物語の終わりに、その語り手の何かも終わる。なかなかの展開だと思いました。
高杉晋作、またもかっこ良すぎ。
戦場(いくさば)に、何故にあの格好と思ったら、気をそらす役目だったとは。しかも死をも恐れていない彼には、味方の弾に当たって死んでも良いのだと言う潔さもあってか、逆に弾がよけていくと言う、昔ながらのドラマのお約束。

底辺に決死の「義」ある者には、命令されて動く者の数など恐るるに足りなかったと言う結果になりました。
かくして、徳川はその戦に破れ、時代は変わると言う、その序章が始まったのでした。

一方弥太郎は、土佐藩からの大役に張り切っていました。でも長崎商人の口からは「坂本」「坂本」と二言目には龍馬の名前が出てきて、嫉妬に狂う弥太郎を苦しめます。
「どいつもこいつも龍馬に惚れて・・・」
そんな弥太郎に、お元は
弥太郎こそが一番龍馬を気にかけていると、その心をばっさり切るのでした。

だけど弥太郎、長崎においても、堂々と妻を褒め倒すところが、最高でしたね。好感度、更にアップです。


と、こんなところまでが先週のお話だったでしょうか。

そうそう、先週の話で忘れてはいけないのは、弥太郎とお元の会話を借りて龍馬の行動の矛盾を修正した事には意義があったと思いました。
「龍馬はうそつきじゃ。」
・・・・、私も頭が固いから、ちょっこしそう思っていたわ。だけど、話しながら意見を変えていくのは、この私であって、あれっ、龍馬もB型かしら・・・心の声。
「そじゃけど、」
お元、否定せず
「龍馬さんの嘘は、みんなが笑っていられる国を作るが為です。」
その後の弥太郎の「そんな事を言っているのか~!!」と言うセリフにも笑えましたが、柔軟で臨機応変に駒を進める龍馬の行動に納得出来る気持ちが生じました。


そして今回の「清風亭の対決」。

みんなが「龍馬」「龍馬」と言うのには、ちゃんと説得力があるというのが今回の大河であって、そこが昨年の大河との違いなんだなと思えてしまう第40回でした。(昨年の大河のファンの方、いらしたらすみません。)

とうとう龍馬と象二郎は対峙する事になります。
その時の龍馬の話術戦略は見事でしたね。

相手を手の内に引き釣り込んで行く上手さ。
象二郎側と龍馬側、剣が舞うリボンのように乱れます。

剣のイメージには、本当は人はそんなに簡単には切れないと言うものがありますが、それは殺せないと言う意味で、ギコギコやる、何回も叩くとかも言われますが、切れると言う意味では、ことのほか良く切れるみたいです。そんな剣が部屋中にトンネルが如くに向かい合う。恐ろしいシーンです。
私たちはふすまの陰から覗く傍観者・・・

いやいや、そこにお元がいるではありませんか。
とんでもない目撃者です。その目を借りて、その部屋の片隅に席を置いてみたら・・・
お元は肝が据わった芸者かもしれませんが、一触触発の凄いシーンでしたね。

このシーン、
冒頭にも書きましたが、後から感動が追いかけてきました。本当はどんなだったのだろうかと、胸がときめきます。

だけどこの対決がなされたのも、私は象二郎の成長がキィポイントだったと思います。

龍馬とおりょうが新婚で浮かれていたように見えてしまった(このドラマの中では違っていましたが)霧島登山の回で、象二郎の成長が伏線で描かれていたように思います。
偉大すぎた叔父の東洋は、象二郎にとってはなかなか越す事の出来ない壁だったように思います。だけど、時を経て、彼にもようやくその壁を越す時が来たのだと思いました。

龍馬が敬愛する叔父に自分以上認められていたことに苦しんでいた過去、その死の責任を龍馬のせいにしたかった過去・・・
長崎にて龍馬の名前を聞いた瞬間、その憎しみが吹き出てくるのですが、それを抑えて、龍馬と会おうとするのです。

緊迫したこの回は、事前の象二郎の成長なくしては、説得力に欠けたお話になってしまったと思います。

この人の事はこちらで詳しく→ここ。

ところで、4部から、龍馬暗殺までのカウントダウンが入るようになりましたね。
これ、時代の背景が分かりやすいですね。ちょっと怖いですけれど。

龍馬暗殺まで、後10ヶ月。










コメント (4)
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蜘蛛が来た

2010-10-03 02:02:02 | 家族スナップ
―朝来た蜘蛛は、良くぞ来たと言って逃がし、夜来た蜘蛛は、よくも来たと言って退治するらしい。
じゃあ、もうすぐ明け方の真夜中に来た蜘蛛には、どう接するのだろう。―



9月25日の土曜日、実家にまた帰っていました。
この日は末の妹も一緒。

翌日の26日は家族でちょっと遠出する事にしていて、朝早くに起きる事になっていました。

でも、歳の離れた妹と二人で枕を並べる事はほとんどなかった私は、ついうっかり真夜中までおしゃべりをし、それから焦って眠りにつきました。眠りに入ればあっという間にその深みにいける私なのでぐっすり寝ていたわけですが、ふとトイレに行きたくなって目が覚めてしまいました。
自宅のマンションにいるときはほとんど、夜中にトイレに起きる事はありません。だけど一軒屋ってなんとなく冷えるのですよね。

ああ、もうすぐ起きる時間のような気もするのに、悔しいから我慢しちゃおうかな。でも気にしているとぐっすり眠る事が出来ないから行こうかな。そんな風に迷いましたが、残りの時間がわずかでもぐっすり眠ることを選択して行くことにしました。
別に真夜中のトイレが話題と言う訳ではないのです。

戻ってきた時、私は信じられないものを目にしました。

めくられた布団の上の白いシーツの上に、そう、蜘蛛がいたのです。

蜘蛛と言っても、実家で見かける蜘蛛は凄く苦手です。直径10センチはある(大きいものはもっと大きい)大蜘蛛だからです。と言っても、足がやたら長い水蜘蛛と言われるものらしいのですが、昔から実家にはそれが突然出現します。

何が怖いって・・・

子供の時、やっぱりいきなり自分の部屋の壁に出現したその蜘蛛に、本を投げつけて撃退した事があります。見事に直撃したのですが、その時、あの長い足が一瞬で縮んで2・3センチになってしまったのを見た気持ち悪さったらないですよ。しかも殺してしまったと言う罪悪感付き。撃退=殺すだったはずなのに、やっぱり胸が痛みます。
その子供のときのことがトラウマになって、たかが蜘蛛と言えども、私には殺せないのです。

でもふと、このあまりにも唐突過ぎる出現に、これは私だけが見ている幻じゃないかしらと思えてきました。
勝手に撃沈している「オカルトクラブ」のカテゴリーで、いろいろ書こうと思っていたお話のひとつに「蜘蛛の幻影」があるのです。起きてしっかりと意識があっても見え続けた蜘蛛の幻影のお話・・・。
もしかしたら、またこれはあの時と同じ事が起きているのかしら。時間的にもそうだし・・・
私はそうっと、その蜘蛛に近づいていきました。
ぼんやりと常夜灯のあかりに浮かび上がる蜘蛛。そちら側からも私が見えたのでしょうか。じっと絵のように動かなかったのが、いきなり動き出し、なんと妹の方に大直進。
「キャー」
思わず妹を叩き起こしてしまいました。

蜘蛛はまた布団のふちにへばりついています。

私は思わずへんな言い方をしてしまいました。

「あのね、私の指差すところをじっと見て。そこに蜘蛛が見えるか確認して。」
妹は奇妙な顔をしました。

普通は「見えるか」じゃなくて「いるか」ですよね。

でも我が家は昔からいろいろ変なので、妹は飲み込み早く、そうっとその指差す方向を覗き込みました。

「ちゃんと見える。いるよ、蜘蛛」と妹。
「じゃあ、何とかして。」と私。
「無理。」と妹。
まあ、そうだろ。

と、そこに運悪く、父がトイレに起きてきました。

父か~・・・
ちょっとがっかり。
あの男が(失礼!)、昔から蜘蛛で役に立った事なんかないって知っていましたよ。
父は蜘蛛が大嫌いなのです。

でも私はすっかりそんな事は、忘れた振りをして、トイレから出てきた父を待ち受けて、何とかしてと言いました。

父は若くは見えますが、中身はかなりの爺さんです。
でもおばさんになってしまったとは言え、娘に「助けて」と言われたら、頑張らない訳にはいかないらしく、箒を持ってきました。

「ええ、その箒で叩くわけ?」などと、父の作戦を問いただしているうちに、蜘蛛は「今だ~!!」と言ったかどうかは知りませんが、スタコラサッサと仏壇の陰に入ってしまいました。

あっ、しまった、逃げちゃった・・・
と言うよりは、
あっ、良かった、逃げちゃった・・・と言うのがわれらの本音。

蜘蛛も思っただろうな。
「こいつら、みんなアホで良かった。」って。
しかも、その蜘蛛も命からがら逃げた訳で、恐怖からの脱出だったと思います。だから戻ってくる訳もないのです。
だけど、私はその布団に戻る事が出来ません。

それって、子供のときに読んだ、梅図かずおの「紅蜘蛛」という漫画のせいなんだと思います。どれだけの影響力なんだ、まったく。
毛布に包まって妹と片寄せあって眠りました。どうせ起きる時間まで1時間を切っていましたし、眠ることなんか出来ないと思っていたからです。
ところが私、本当に眠ければどこででもすぐに眠ることが出来るらしいのです。1時間もないその時間、ソファでぐっすり寝てしまいました。

目覚ましがなって、キッチンに行きましたら、なんだか不思議な光景を見たような気がしました。

母が起きていないのです。
結婚してから(出産の時は別にして)、里帰りの時に、朝、母が起きていない光景を見たことがあったかしら。

いつだって母はキッチンに立ち、起きて行くと振り向いて「珈琲が入っているよ。」と言うのです。
でもシーンとした暗いキッチン。

声をかけようとした時、ふと、夜中の蜘蛛のことを思い出しました。

まさか、お母さん、真夜中に・・・

普通なら
「お母さん、朝よ。」と大きな声で言えば良いだけなのに、思わず警戒して
「もしもし、お母さん、朝・・・なんですが・・」返事のない母に、私はそっと近づいて・・・
ふと、今思ったのですが、私のとった行動は明け方の蜘蛛に取った行動と同じ・・・・

そう、同じく真上から覗き込んだ時、母は目をパチリと開け、
「もう朝?」と言いました。

何か期待させてしまったらすみません。
母は疲れていただけなんです。

でも、私はこの話がおかしくて。
明け方の蜘蛛騒ぎもそうですが、そこで終わらずただ寝坊した母に、もしかしたら夜中に母に何かあり、蜘蛛はその化身だったと一瞬だけど疑ってしまう。
私の育ったうちには、そんな雰囲気が昔から、ちょっとあるうちなのですよ。

早速笑い話のように、朝食の時にその話をしていたら、母が
「それは、昨日のアレに関係があるかなあ。」とまじめな顔で言うのです。
アレって言うのは、妹と二人で近所にラーメンを食べに行ったら、入り口でも
「三名様ですね。」と言われ、「二人」と答えたのに、また別の人がテーブルにお水を三つ持ってきたと言うのです。

母はこんな事がしゅっちゅう。
止めてくださいよ、まったく~。


私の周りの年寄り、姑も父も母もみんな若くて元気。
それでも真夜中に間違い電話なのか、一度でもベルが鳴るとドキリと目覚め、蜘蛛が真夜中に来ただけであらぬ事を考えてしまう。
そう言えば、二週間会っていないけれど、姑は元気にしているかや。
明日顔を出す事にしよう。







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