森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「グリフィンドール !!」だったよね。

2016-11-06 16:28:45 | 梢は歌う(日記)

確かに「花ファンタジア」のコキアは見頃を過ぎてしまったかもしれません。でもその他の花たちはなかなか見ごたえがありました。この「花ファンタジア」は出来たばかりの頃と違って勢いと言うものがまったくありません。

だけどそれがかえって静かな空間を作り出し、たぶんこの場所の隠れファンは多いはずです。

撮って来た画像の好きなものがなくなるまで、しばらくは飾りに使わせてもらう事にしました。

 

※          ※         ※

人の名前だとか物の名前が上手く出てこなくなるのは、何も加齢によるものばかりではなく、若い人にも結構ある事だと思います。だけど、やっぱりその頻度と量が多くなってくるのは、悲しい事に年齢に寄るものだと思うのです。

夫が期間限定で家にいるので、一緒に映画を見に行く機会が増えました。

次に行こうと彼が言っているのは

『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』。

これは「ハリーポッター」の物語よりも70年も前のニューヨークが舞台のお話なんですって。

魔法学校の教科書『幻の動物とその生息地』を執筆したという設定のニュート・スキャマンダーが主人公。なんだか面白そうですよね。キャストも『レ・ミゼラブル』『博士と彼女のセオリー』のエディ・レッドメイン。なんとシナリオは作者のJ・K・ローリング。期待していいんじゃないかと思いますよ。

と、ここまではついでの映画情報でした。

 

さて本題ですが、車の中で夫殿が何やら「ハリーポッター」の話を何とはなしにしていました。

「ハリーポッター」と聞いて、私は思わず今は亡きスネイプ先生だったアラン・リックマンの事を思い出し、彼の話は少々上の空でした。

だけどその時彼が、

「『スリザリン』はすぐに思い出すのに、他の寮の名前がまったく思い出せない。」と言いました。

「えー、もういらない情報だから脳内消去したんじゃないの ?」と私。

「だけどなんか気持ち悪いじゃん。アー、なんか俺、学校の名前も思い出せない。」

そう言われた途端に、私も頭の中が白紙です。

「確か寮は4つあるのよ。」

「3つじゃなかったっけ。」

「確か4つよ。ええと『スリザリン』と『ハッフルパフ』と・・・・・・・えーとえーと・・なんか濁点のある文字が入っているのよ。ガガガガ、ギギギギ・・・」

だけど夫が

「声に出さないでやって。」と言ったので、家に帰ったら粘って思い出そうと思いました。

こういう時、すぐに検索とかしちゃったらダメなんですってね。

 

それなのに、夫殿。帰った途端に「ホグワーツにグリフィンドールだ。」とパソコン前で大きな独り言。

むかっ~てするでしょ。まったくさあ。

それに車の中で「ググググ」って呟いていたら思い出したかもしれないのにね。

で、4つ目はどうしたって、これは私も検索しました。だって絶対に最初から覚えてないから。

「レイブンクロー」なんだけれど、これ言いづらいし、原作を読んでいた時からきっと文字の形で分別していたと思うんです。映画を見ていた時だって「レ」って音でスルーしていたと思うので、絶対に聞かれても分からないと思ったんです。

だけど「例文苦労」なもんで、もう忘れないよ~。

 

しかし、ああ、

この先の人生にまったく必要もないと思われる、また無駄な知識を再インプットしてしまった~。

 

 


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セピア色の、コ。。

2016-11-05 08:53:07 | お散歩&写真日記

11月2日、お友達と一緒に野田市にある「花ファンタジア」に行ってきました。

お目当ては、コレ。

真っ赤なコキアが並んでいるところは「ひたち海浜公園」が有名なんだけれど、なんたって遠いもんだから、
近くで間に合わせようと思ったのですが、

でも、

ああ、

まあ、タイトルからオチはミエミエですね。

 

 

何ですか ?

このセピア色のコキア群は・・・・・。

 

それでも、シャッターを押している間に赤く染まらないかと・・・・

ってなわけはないのですが、

角度を変えて、何とか可愛らしく撮る事は出来ないものかとチャレンジしてみました。

 

   

   

 

大地から箒がにょきにょき。

ああ、大掃除の季節が近づいてきたな。

 

 見ようによっては、怒った猫の行進。

 

でもやっぱり、コキア。

しかも

セピア色。

 

「撮っているうちに、これはこれで良いんじゃないかと思えてきました。」

 と、

そのような事はまったく思えず、

意味もなく

呟いてしまいました。

「泣くよウグイス平安京。」

もちろん心の中で。

 

※ だけど大事な世の定義を思い出すことが出来ました。それは世界は自分中心には回っていない。花は待っていてはくれない。思い立ったら即行動。

と言うわけで、今日も1日良い日でありますように♪

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「デスノート Light up the NEW world」を観てきました。

2016-11-04 09:27:50 | 映画

11月1日に観てきました。

これ、見た人のレビューの「馬鹿な人たちが全力で頭脳戦をしようとしている映画」と言う言葉がツイッターを席捲していて、逆に楽しみ度が増したかも。

確かに頭脳戦と言うのではなかったかも知れません。だけど6冊のノートとかでマツケンの「どんだけ増えるんだ。」発言もあったけれど、それをどのように描くのかという興味もあったし、なんたって次の時代を担うであろう若手三人をどのように使いこなすのか(言葉が悪いが)も見どころだと思います。

だいたい物語と言うのは、その人が「天才である。」と設定したらもう天才なわけで、壁一面に数式書かれて、この式はと解説されてもこっちがわかるわけがないのであって、まあ、何が言いたいのかと言うと、驚くべき頭脳戦がなくても、映画自体が面白ければそれでいいじゃんって私は思うのですよね。

凄く面白かったです。

先日、少々の不満を感じつつそれでも暖かい目で感想を書いた「インフェルノ」と比較する必要なんかはまったくないのですが、映画館でついつい思わずしちゃったんですよね、その比較。

自分の気持ちに正直になって言うと、「インフェルノ」よりも倍は楽しかったです。(注:kiriy内比較)

 

しかし死神だなんて荒唐無稽な話を描きながらも「デスノート the Last name」は傑作だったんだなあとしみじみ思いました。これはこの作品と比較してと言う意味ではなく、この作品の中にもそのオマージュが感じられたからです。

 

だけどこの映画の感想、なんでだか凄く書きづらいです。

たぶん映画自体の感想よりもキャストさんたちへの感想の方が多いような気がするからかもしれません。

とにかくこの映画、娯楽作品としては十分楽しめますよ。

 

そう言えば同じ娯楽作品だとしても、「デスノート the Last name」は、ものすごく泣いたんだった。

ヤッパ、あれは傑作だったのよね。

 

その時主役だった夜神月さんは今回も十分に楽しませてくれますよ♪

この夜神月さん、10年前と全く違和感ないのが、本当に凄いと思いました。

さん付けってなんだってな所ですが、真夜中テンションで書いていると、そうなってしまうのかも。

新作公開のお知らせが入った時、藤原竜也の夜神月は過去映像で使われるぐらいはあるかなと期待なんかしたのですが、かなり重要な役どころであり、ばっちりと新しく撮られたものでの出演が嬉しい限りでしたね。

 

と言うわけで以下は少々のネタバレ感想です。

 

  

始まり方がホラーっぽかったですよね。なかなか楽しい始まり方だなと思いました。だいたい出だしが丁寧に作られている映画は期待しても良いものが多いような気がします。

で、その次は東京で狂気の無差別殺人。

このシーンで、今度のデスノートの所有者はあまり物事を深く考えない人にももたらされちゃうのだなと分かるのですが、この最初の彼女の死亡シーンでは、謎が残りませんでしたか。

誰が一体彼女の名前を書き込んだのか・・・。

誰 ?

最初はテロリストの紫苑優輝かなと思い込んでいたのですが、でもこの時彼は所有者ではないわけで・・・・・。

 

あれは三島がすべてを書き込んでから所有権を放棄していたと理解して良いのでしょうか。それとも、エンドクレジットの夜神月さんの一言で、もしかしたらあれは・・・・
なんて思ってしまいますよね。

続編もありかなって思うのですが、竜崎や紫苑優輝は死んでしまっているのでどうなのかって思う所です。

 

私的嫌いで退屈な所は、銃を持った皆さんが制圧にいらっしゃるところ。こういう時に銃で突入してくるわけがないじゃない。それに、

「デスノートを政府が所望した。」

これも、何をいまさらって思ってしまいました。こんなのさ、リアル…いやあり得ない話だけれど、敢えてリアルであったら、一番先に所望されっちゃいますよね。

だって隣のバカ、ミサイルなんか打ってんじゃないよ!!

と思ったら、サクッとね。

10年前にも

「デスノートが本当に有ったら、政府の要人は毎日震えちゃうな。」と私が言ったら、

「いや、試し書きの段階で世界のトップが入れ替わるだろう、これ。」とラッタさんが言って、なるほどと思いました。だから、そこには触れないのが「デスノート」の世界観のルールだと思っていたのですが。

 

好きなシーン。

シーンではありませんが、死神アーマ。死神なのに死亡フラグが立ちっぱなし。綺麗な死神で好きだったので、ああヤッパしと思っても悲しく感じました。

ずっといい人キャラの松田。この人を「デスノート」関連部署に置いておくのは危険ですよね。他の人はそれなりの配慮で人選されているのに松田だけ危険にさらされているわけでしょ。あんな最後で可哀想に感じました。

そしてミサミサ。

弥海砂紫苑優輝の過去は意外と被る。

大人になった彼女には、後悔の気持ちも含めていろんな想いがあったのかもしれません。だから彼女はあの最後の選択をしたのだと思います。それなのに紫苑に手を貸したのは、同じ境遇の彼に家族のような想いを抱いたのでしょうか。

可愛らしくて微塵も夜神月を疑うことの無かった弥海砂。美しい大人になった彼女は最後まで夜神月を想って死んでいきました。

とても切なく感じました。


数日たって感想を書くと、あまり心に残っているものは無いと言う娯楽作品の王道と言う感じなのですが、今が旬の若手俳優祭り、やっぱり面白かったと思います。

 

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相棒15第4話「出来心」

2016-11-03 01:51:53 | ドラマ(相棒)

山形弁で思わず水にぬれて気持ち悪い時は「やばちぃ」と言うのですね。

ひったくりの現場に遭遇して「警察の仕事だから」と無視しようとしても、故郷の言葉に反応して体を張って助けてしまった詐欺師の平井でした。

 

故郷とは母の住む場所。

でもその母はとうの昔に平井が塀の中に入っている間に死んでしまっていたのでした。

それでも遠い昔に母と育んだ故郷の想い出は彼にとっては大切な想い出。

 

物事は単体では存在しません。ああなってこうなってと物語は進んでいきましたが、すべては最後の取調室での右京と平井の落語のオチのような会話の為の前振りのように感じてしまいました。

 

母の声の「捕まえて」と言う山形弁に反応してひったくりを防いでしまう。→そのひったくりにあった女性に、お礼が言いたいからその人を見つけて欲しいと右京は頼まれる。→右京が動いた結果、彼の美人局と言う詐欺が露見して逮捕。→捕まって家は留守。→その留守宅にサバイバルナイフを持った殺人犯が襲ってきた。

 

助けてしまったのは「魔がさした。」と言う平井。

右京は、捕まっていなかったら犯人に殺されていたのではないかと言います。そしてそれは「神が手を差し伸べたと言えるのではないか。」とも言うのです。

それに対して平井は「今までさんざん神の名を使って悪い事してきたんだ。そんな俺を神が助けるわけがない。」

「神にも出来心と言うものがあるのでは。」と右京。

 

で、タイトルが「出来心」ですね。

でも子供の頃の平井を優しく見守る若い母、そして

「こんな所からさっさと出ておいで。」と刑務所に面会に来た老いた母の姿が映し出されていました。

私には神の出来心と言うよりは、死んだ後も、それでもずっと我が子を見守り続けている母の愛を感じました。

 

 

コミカルに物語は進み、推理劇としてはまったく面白くは感じられなかったのでしたが、そのラストはとても良かったように感じましたし、なんたってゲストの風間さんが良い感じ。

美人局の罠にしっかり嵌ってしまう青木君はツボでした。

 

今回のシナリオは「人生最良の日」「右京の同級生」の山本むつみさんでした。

 

 

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ハロウィンナッシング

2016-11-01 01:06:33 | 梢は歌う(日記)

 

なんたって、我が家のアホ息子のラッタ君の誕生日は10月31日なもんだから、なーんとなくハロウィンなるモノを意識したのは、川崎よりも早かったのですよ。川崎市のハロウィンは20年前からだそうです。

因みになんでアホ息子などと言うかって言うと、メール送っても返事が来ない・・・・・。

この母は、子離れがどこかで出来ていないもんだから、寂しくなってテンションも低くなるってもんですよ。

彼はアレです。誕生日におめでとうとか言われるのが嫌なんだな、きっと。

 

そんな事はともかくとして、ハロウィンのお話だけれど、お仕事の関係もあって10年以上それなりの飾りつけをして来たりイベントをやってきたりしてきました。

でも今年は家にやってくる小学生が居なくなってしまったし興味も失せて、とうとうなーんにもやりませんでした。

ブログ周りをしていると、部屋に飾りつけと言うよりは、今年はベランダなどに飾る人のアイデアが素敵で少しは自分の楽しみの為にやろうとは思ったのでしたが、なんたって最近気力不足でとうとうやれずに10月は去ってしまったのです。

 

近頃、「気力がない」「やる気が出ない」などと言う言葉を書き込んでしまう私ですが、自己観察するにたぶん怠け病が発症中なのではないかと思います。

最初は、これが噂の「旦那の定年の寄る妻の鬱」ってやつかと、少々疑いましたが、鬱までではないと思っています。

確かにリズムが狂ったのか体調もすぐれなかった事もあったのですが、そうじゃなくて、毎日が日曜日の人が側にいるのが怠け病発症の引き金ではあったかも。

 

だけどいつまでもそんな事は言っていられませんね。

今日から11月。寒さで身も引き締まる思いがしますが、心も引き締めて行きたいと思います。

 

トップ画像の花は朽ちた紫陽花。

紫陽花はまるで素敵な女性のようです。

咲きながら朽ちていく。または朽ちても咲き続けているか・・・・・・。

「朽ちる」などと言う言葉を使う残酷さよ。でも「老いる」と言う言葉の比ではないような気もしてしまうのです。

老いていくのは秋の日の日落ちる前の時間のように寂しいものです。

でもそれでも、「私は咲いているんだ」と見せつける紫陽花の花からは、何かを学ぶような気がしてしまうのです。

 

そして、今年のほんのちょっとだけのハロウィン

 

昨年のハロウィン記事は→手抜きハロウィーン

2014年のハロウィン記事は→同じ風景でも《2014年のハロウィーン》

その前の記事は、上記の記事内にリンクしています。

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